輪廻
「不都合はないと思いますが。というより、好都合でしょう。殺された瞬間を記憶に残して生きていくのは、つらいことだと思いますよ」
「そうかもしれませんが、でも……私、どうしても知りたいんです」
男から目を外し、真っ直ぐ上にある天井に向けた。相変わらず、真っ白で無地の天井がスクリーンのように見え、次の瞬間、私が包丁でメッタ刺しにされているビジョンがそこに見えた。
「――私が誰に殺されたのか」
すがすがしい朝だった。カーテンから洩れる春の日差し。ベッドから飛び起きると、私は思い切りカーテンをひいた。シャッ――と音を立てて、目の前に晴れ晴れしい景色が広がる。窓を開いて、大きく息を吸い込む。空気ってこんなにおいしかったっけ?
なんだか、すべてのことが新鮮に感じた。まるで生まれ変わったよう。
――そう、ある意味、あのときから私は生まれ変わったのかもしれない。
今日は一月ぶりに、府内の大学に通学する予定になっている。私は先月から約一ヶ月間、海外にホームステイしていたことになっているのだ。この一ヶ月間と言うのは、私のいまの身体、つまりクローンを培養するための期間だ。クローン技術が進み、培養が高速化されたといえども、私の年齢――死亡したときは二十歳――まで生長させるためには、最低一月くらいはかかってしまうらしいのだ。
そのため、死亡してから約一月、忽然と私はこの世界から姿を消していたことになる。蘇生保険をかけていた両親はともかく、私の知人はそのことを不審に思うかもしれない。
しかし、そのあたりの保険会社の事後対処は完璧だった。つまり、それが私のホームステイというわけだ。
「――彩?」
ふいに背後から名前を呼ばれた。
「やっぱり、彩だ! 後ろ姿を見て、もしかして、と思ったんだけど!」
振り返ってみると、知っている顔――友人の春奈が、最高の笑顔で立っていた。本当に嬉しそうな顔だ。私は昨日に会ったばかりなのだけど、彼女にしてみれば、一ヶ月間離れ離れになっていたのだ。
「ひさしぶりね! 一月ぶりくらいかしら。元気にしてた? ほんと、彩ったら突然いなくなっちゃうんだもん。いくらホームステイ好きだからって、そんなにしょっちゅういなくなってたら、彩の顔、みんな忘れちゃうよ?」
相変わらずマシンガンのように喋りまくる友人に、ちょっと気おされながら私は答えた。
「ちょ、ちょっと、久しぶりに会った早々、捲し立てないでよ。それに立ち話もアレだし、どうせなら、もう少しゆっくりできるとこで話さない?」
「そうね。これから講義があるんだけど、彩と久々のご対面だもん、サボっちゃいます」
そう微笑む友人と浦島太郎のような私は、大学付近の行きつけのカフェレストランに向かった。昼にはまだ程遠い時間帯だから、店内は淋しいくらいに空いていた。
私達は窓際の二人用のテーブルを選んだ。通側のテーブルで、大きな窓ガラスからたくさんの車が行き交っているのが見える。
「ね、それで。どうだったのよ、海外生活は?」
「え、なに?」
「もお、聞いてなかったの? 海外生活はどうだった、って訊いたのよ」
「まあまあ、ってとこかな」
私はそれらしく答えた。もちろん、そんなのは嘘っぱちだ。
しかし、友人は私の嘘に気づくはずもなく、
「でしょ? やっぱり日本が一番よ。平和だしね」
「そうね」
と、適当に相づちを打っておく。
もちろん、一番の友人である彼女にくらい、事実を話したい気持ちはあった。
しかし、「蘇生保険」は当たり前だが非合法であり、その存在を知っているのは、政界の権力者や大富豪など、ほんの一握りの人だけだと私は聞かされている。当然、「蘇生保険」の存在は極意事項となっていて、保険締結の際にも機密保持契約が必須となっているくらいだ。万一、機密を漏らした場合、その本人もそれを知ってしまった相手も命の保証はできないとまで、あの初老の男は話していた。
「そう言えばさ。彼とはどうなったの?」
春奈のこの言葉で、急に話の流れが変わった。
「え? だれ?」
とぼけたのではなく、本当に心当たりがなかった。しかし彼女はそう捉えなかったようで、アップルティをソーサーに置くと、軽く首を振った。
「はぐらかしたってダメよ。背が高くてスラリとしたロン毛の。涼くんって言ったっけ。たしか、どこぞの御曹司だそうね。ルックスもいいし、金持ちだし、言うことないって言ってたでしょう。その彼とはどうなったのよ」
「……リョウ……」
やはり思い当たる人物はなかった。
しかし、その名前を口に出すと、頭がうずくような、何か胸に突っかかるような、なんとも言い難い感覚に陥った。
リョウ……。もう一度、その名前を繰り返してみた。リョウ。さらにもう一度。リョウ――!
「涼……アイツだったんだ!」
「なに、もしかしてホントに忘れてたの?」
如月涼。私がつきあっていた男。忌々しい男。私を騙した男。殺したいくらい憎い男。そして、おそらく……。
「わ、悪いこと聞いちゃったのかな。とっくに別れていたりして……ごめん、悪気はなかったのよ」
私の表情を読んだのか、彼女は両手を合わせて謝った。
堰を切ったように沸き上がってくる憎悪に耐えられなくなって、私は思わず立ち上がった。
「ゴメン。私、用事を思い出した」
タクシーに乗り込んでから十数分後、如月涼の高級マンションに到着した。一年前と変わっていなければ、アイツはここの七階に住んでいるはずだ。エントランスの自動ドアにナンバー式のロックがあるが、一年前の暗証番号で開いた。結構いい加減な防犯管理だ。
701号室。
見るのも憎々しいドアの前まできた。インターホンを押す。アイツはまだここに住んでいるのだろうか。いや、きっと住んでいる。前にこのマンションは買ったのだと話していた。一度、買ったものをそう簡単に手放すような男じゃない。
『――誰かな?』
インターホンから声が聞こえた。間違いない、アイツの声だ。インターホンにカメラがついているのだが、向こうは私だと気づいていないようだ。
「あたしよ。ちょっと話があってきたの」
とりあえず、こう言っておけば間違いない。つきあっている女が何人もいるのだ。
『話? ――まあ、とりあえず中に入ってよ。話はそれからだ』
そう言い終わると、カチャリとロックが外れる音がした。私はしたり顔でドアを開け、中に入った。
直進してリビングに入ると、如月涼が背中向きでソファに坐っていた。テレビを見ているようだ。
如月は私の気配に気づくと、
「どうしたんだ、今日は?」
そう言いながら、こちらを振り返った。そして私を見た瞬間、如月の表情は凍りついた。
「ど、どうして……おまえが……」
「やっぱりアンタだったのね……私を殺したのは!」
私はすぐ横にあるキッチンの収納から、使われた試しがない包丁を取り出した。使われてないだけに切れ味はよさそうだ。
「や、やめろ……落ち着け、冷静に話し合おう、な?」
包丁をかまえて迫ると、如月は後ずさりしながら情けない声を出す。何が話し合おうだ。人を殺しておいて、よくそんな台詞が吐けるものだと感心する。