赤マントになれたらと
「ああ、当たり前だ。悔いない筈がないだろうっ! 私は人間なんだからっ!」
――いっそ、人間を止めてしまえればいいのに。
「何度も思ったさっ! 人間なんて止めてしまえればとっ!」
――だが君は人間だ。人間である以上、君は覚悟しなければならない。
ぽつぽつと雨が落ちてくる。
――君は自らに科す罪を認めなければならない。それが嫌なら、救い続けなければならない。二つに一つ、選択は一つしか選べない。
やがて小雨は雨へと変わる。
――選びなさい。救うか背負うか。どちらも同様に等価であります。
「ほんと、割に合わない選択だよ」
彼らは夜の闇に紛れて消えた。
彼らが私の前に現れたのは、『私が私自身に科す罪』を見ないふりをしていた自らの行い故であった。
そして、結局。私は『背負う』方を選び続けるのだろう。
現実問題、やはり自分の手を伸ばせる範囲は狭い。私はヒーローではない。伸ばしたところでその手をすり抜けて行く救われないモノも多い。どうあれ救いきれなかったモノ、助けられないモノは『背負う』しかなくなってしまうのだ。
だから、私は『背負い』続ける。いつかその重さに歩けなくなるだろう。その日まで、私は『背負い』続けるのだ。
それこそが、私への罰なのだ。自責の念は底知れず。原罪が洗い流されるその日まで、私は自ら科す罪を背負い続ける。
そして、彼らはお役御免となる。赤マントも雨女も。あの着ぐるみすらも何れは役目を終える。結果残るのは人の罪のみ。
ぼんやりとした月の下を、赤い外套の魔法使いが飛ぶ。
私はその様子をアパートの窓から眺める。
怪人・赤マントは、明治三十九年の福井にて発生した『青ゲットの男』という事件と昭和十一年の『二・二六事件』、そして芥川龍之介著『杜子春』を下敷きにした加太こうじ作の紙芝居『赤マント』が歪に混ざり合って出来上がった怪人譚だと言われている。
――『青ゲットの男』。福井県にて起きた連続殺人事件でざっくり説明すれば、青ゲット(赤毛布)を被った男が廻船問屋の番頭とその母、そして妻を「親戚に不幸があった」と順番に連れ出して行き、連れ出された三人は翌朝に無残な姿で発見された、という事件だ。
――『二・二六事件』。これは歴史の授業でも聞いたことがあるだろう。日本陸軍皇道派の影響を受けた青年の将校ら起こしたクーデター未遂事件。この情報統制とその後の異様な空気が市民に恐怖を与えたという。
そして、加太こうじ著作の『赤マント』。今まで輪郭のなかった恐怖、この紙芝居の登場人物、『赤マントの魔法使い』がそれら恐怖に輪郭を与えた。
これら以外にも様々な人の噂、恐怖が混ざり合い、怪人赤マントは人々の心の闇の中で育っていったのだろう。
ところで、加太こうじ著作の『赤マント』に登場する『赤マントの魔法使い』は、怪人ではなく魔法使いの紳士なのである。赤マントの魔法使いは靴磨きの少年を弟子にする、というファンタジー作品であり、その頃から囁かれだした怪人赤マントの噂によってこの紙芝居は警察に押収された、という経緯がある。この事件が昭和十五年、一九四〇年頃であり、丁度太平洋戦争開戦の前年である。
怪人赤マントは、戦前のきな臭い空気の中から生まれた人々の恐怖心の具現であったのでないかと、私は思う。
罪は人が贖うようになった。しかし、恐怖は依然彼らの領分だ。確かにお化けなんかより人の方が怖い。しかし、怪人も都市伝説も『人間』の中から生まれる。それらは、人の恐怖の具現なのである。故に、それは彼らの領分なのだ。
忘れるなかれ。恐怖はいつもすぐそばにある。社会に闇が、恐怖が満ちる時、第二、第三の赤マントは生まれるだろう。それは怪人ではないかもしれない。もっと別の、しかし恐怖を形作る都市伝説として、囁かれだすのだ。
きっと、人と人の話の中で、姿を変えて恐怖の具現として生き続けるのだろう。
赤マントは跳ぶ。夜の街を、人間の闇の中を。
せめて赤マントに――魔法使いになれたらと。そう思うばかりの夜だ
作品名:赤マントになれたらと 作家名:最中の中