光と陰、そして立方体
二人は電車に乗って、最寄りの児童相談所の施設の前まで来た。端から見ればどうだっただろう、姉弟、そうじゃなくて親子?そんな邪推をしながら重い足取りは確実に別離の方向へ向かっていた。
児童相談所――。公の機関で、児童(18歳未満をさす)の健全育成のために、育児が出来ない家庭にいる児童の保護や、調査等をするそれだ。近年では放棄を含む児童虐待が問題化して、保護される児童が増えているのだと聞いた事がある。社会の保証や制度、織恵が大学の社会学部で勉強している、正にそのテーマだ。
光のように保護者が養育できない家庭の児童が保護をされ、必要であれば児童養護施設に送られる。織恵が学校で知った内容といえばこんなもので、身近にいる人物が関わる事も今までなかった。
「エエよ、ここで」
光は織恵から託された文書を持ち、中に入ろうとするのを止める。
「一人で、行けるよ。織姉来たらややこしいで、多分」
「はは、確かにそうだ――」
こんな状況でも冷静な光には毎回驚く。
「またな……」施設を背中に、光は小さな右手を差し出した。
「サイナラちゃうで、『また』やで」
織恵は光がそう言い終わらないうちに手を取って、思わず光を抱き寄せた。
「ごめんね……、私には無理だ。笑うのは」
織恵は光に顔を見られないように無意識にとった動作だった。
「笑ってよ、織姉!俺は嬉しいねん」
顔は見えないが光の声が震えている。彼もこれから待ち受けているわからないものに不安なのだ。それでも気丈に振る舞って、織恵を困らせないようと努力している。
「俺にここまでしてくれた人、織姉が初めてやから……」
人前で弱い顔を見せない、その心意気は織恵が今まで会ったことのあるどの男よりも男らしく見えた。
「ここは私が大人にならなければ!」
まだ八歳の少年が腹を括っているのだ。織恵は自分に言い聞かせて目を見開き、光の両肩をつかみ、その小さな少年の顔をじっと見つめた。
「またね――、必ずだよ」
織恵は微笑むと光は持ち直した。声には出なかったが、織恵にお礼を言っているように見えた。
「いつか、あの公園に、行くよ――」
彼は小さな声でそう言うと、背中を向けた。本当は光の方が不安いっぱいで辛い筈なのに堂々としている。手を真っ直ぐ天に挙げて小さく振る後ろ姿を織恵は直視出来なかった――。光の姿が見えなくなって織恵は回れ右をすると、今まで堪えていたものが我慢できず、堰を切ったように流れ出した。
織恵は駅からの帰り道を一人、とぼとぼと歩いた。商店街のはいつもと変わらない喧騒は、何故か悲しく聞こえる。最後は光の意思で行った筈なのに、織恵は彼を救えなかった気がしてならなかった。
一人になった家に帰ると資源の無駄遣いでしかないDMの中に紛れて本命の会社の内々定通知が入っていた。どうにかしてでも欲しいと思い、やっとの事で掴み取ったそれであるはずなのに、不思議と達成感はなかった。
満たされていない状況での成功というものはひどく呆気ないものだ。たとえそれが人生を賭けて勝ち取ろうとしたものでさえも――。
作品名:光と陰、そして立方体 作家名:八馬八朔