光と陰、そして立方体
光は一人目を覚ました。織恵の部屋に来た事までは覚えている、いつの間にか眠ってしまったのだろう。ベッドから部屋を見回すと壁にもたれてウトウトしている織恵を見つけた。光は静かに起きて、さっきまで自分が使っていたタオルケットを織恵にそっと掛けた。
「今なら出ていく事ができる」光は考えたが、
そんな愚策は採らず静かな部屋で一人、気を紛らすかのようにキューブを回していた。
光はこれから来るであろう現実を予想した。
以前にも同じような事があった。真凛が捕まった次の日、大勢の刑事が部屋に来て何やら調べ回り、その後祖母に引き取られた。そこは今よりも劣悪な環境で、真凛と少ししか変わらない義祖父や同い年の叔父がいたりで3日持たずに逃げ出した、今も思い出したくない経験が甦った。光はそれだけは避けたいと思った。
子供ながらにも、今回は長くなるだろうと思っていた。ではどうすればいい?その答えも見当がつくはずもなかった。
「お……」
そんな中、キューブを回す光の手が止まった。これから先やって来る現実の日々を一時的に忘れさせるには十分だった。
光の手の中にある「それ」が本来の美しい姿を見せているのだ。
「できた……、やったぁ――」
完成されたそれは何ともシンプルだ。長い時間をかけてようやくできた割には、歓喜の叫びもなく、光自身も驚くらいあっけないもので、声が溢れた程度だった――。
「え、何?」
光の漏れた声を聞いて織恵が目を覚ました。
「どうしたの?……あ」織恵もその光景を見て眠気が一気に吹き飛んだ
「全面揃ってる……」思わず織恵は光の手からキューブを取り上げた「スゴい……、スゴいじゃん、光くん」
織恵は昨夜の事を忘れて光に微笑んだが、当の本人があまり嬉しそうな顔をしていない事に気付くと、上がったテンションが萎んでいった。
「織姉、俺、これからどうなるの?」
光が珍しく不安な表情だ。今まで対等な友達関係であった方がおかしかっただけで、この時初めて大人と子供の関係になった。今の光は救いを求めている小学三年生の男の子だ。織恵は昨晩聞いた事を反芻させて、言葉を選んだ。
「辛い事かもしんないけど、光くんは施設で保護してもらうのがいいと思うの」
お互いに目を合わすことなく話を続ける。
「ちゃんと迎えに来てくれる人がいるから――」
光に驚いた様子はなかった。父親無しに生まれてくる人などいない、それは小学生でもわかりきった事だ。織恵の言葉に光は会ったことのない人物を想像した。
「それって誰?ほんでそうなったら織姉とは会えなくなるの?」
矢継ぎ早の質問に織恵は首をどちらにも振らなかった。織恵の知っている事は光の求めている答えではなかったし、聞いたのは中道の「独り言」だけに、わからないとしか答えようがなかったからだ。
「保護されると、私から会える事はないと思う。でも光くんには新しい生活が待ってると思う。今よりもいい――、必ず」
光は辛い現実を知る事になるだろう。そう考えると織恵は光の顔を見ることが出来ず、背中を向けて立ち上がった。
「織姉……」
光は織恵の名前を読んだ。光にしてみれば親子ほど年の離れた友達。自分の身上とは一切関係なく対等な目線で接してくれる唯一の人物だ。光はその友達の顔を見て、もう一度だけ真意を見極めたかった、織恵が本当に思っていることを。時間はかからなかった、でも光はその顔をもう少し見ていたかった――。
「織姉が言うんやったらそうするわ」
「えっ?」思わず織恵は振り返って光の顔を見た。渦中の本人であるはずなのに、さっきの不安な顔はなく、笑っているではないか。
「俺、織姉の言葉を信じる。一つだけお願いがあんねんけど……」
「私に出来る事かな?」織恵が自分を指差して言うと光は大きく頷いた。
「笑ってよ。涙のお別れとかナシやで。大っ嫌いやねん、そういうの」
織恵は精一杯の笑みを光に見せると、光はケタケタと笑いだした――。
作品名:光と陰、そして立方体 作家名:八馬八朔