光と陰、そして立方体
織恵も光の横に座って雑誌を見ていた。自然な時間が過ぎて行った。天候の悪い日はコインランドリーに来る人は多く、数人が出入りしていった。その数人から見れば二人は景色の一部であったが、光が手にしているものに目を止める者が一人だけいた。光と織恵はその視線を感じて同時にその方を向いた。
「懐かしいオモチャ持ってるね」
「おっちゃんもやってみる?」
「え?いいんですか?」
雰囲気から見て紳士的な感じのする男性は、光が差し出したキューブを左手で受け取り、無造作に回転させた。至って特徴のない、どこにでもいるサラリーマン風で、年齢は30歳くらいだろうか。キューブを回す度に左薬指の指輪が光っている。新婚さんかな、と織恵は勝手な邪推をした。
「今から30年程前に大ヒットして、当時はみんな持っていたのですが……」
男はうんちくを言いながら手を止めずに喋り続けている。光はその手捌きを見て、何か言おうとしたことを忘れ、金縛りにあったかのように男の整然とした動きに見入った。
「あ……」
「――すごい」
二人が見ている中、光の宿敵はその顔色を次々と整えられて、解き放たれて以来初めて本来の姿に収まった。織恵はルービック・キューブが六面揃うのを目の前で初めて見た。並んで見ていた光は二度目だ。
「できた!」
男が完全に制圧されたキューブをテーブルの上に置くと、光はすぐに手を伸ばし全面を転がし回って確認した。確かに揃ってる、光は言葉を奪われ、美しい姿になったそれを見ていた。
織恵は男の顔を見ていたが、その表情は「それ」に慣れ親しんでいるような感じは全くしない。
「実は、最近仕事先で揃え方を教えて貰いましてね……。やってみたら出来ましたよ」
男は織恵の心を読んだかのように答えた。聞く前に答えられた事に織恵は何故か恐怖心を感じがら、素直に完成に喜ぶ男の顔に見入った。
「解る人にしかこの達成感はわかりませんよね。出来ない人は相手にしない、それはそれでいいじゃないですか」
「おっちゃん、味のあること言うなぁ」
「よう言われるねん」男はネイティブの関西訛りで光に笑い掛けた「兄ちゃんも頑張りや。完成したらええことあるで」
「ホンマに?」
男は頷いたあと時計を見て、慌てた様子で店を出て行った。その時計は、去年のクリスマスに彼氏にプレゼントしようと考えたが手が届かなかったそれだ。
「光くんが見た人って、あの人?」
「――違う。あんな若くなかった。でも、見たことあるような気ぃすんねんけど、わっからんなあ……」
「そう――」
織恵は店から出ていく男の後ろ姿を見た。その向こうにある玩具店にも「それ」はあった。織恵は不思議に思い、自分の記憶と去って行った男とをリンクさせたが、やっぱり自分の知らない人だった。
作品名:光と陰、そして立方体 作家名:八馬八朔