言い訳したい恋
施術中は出来るだけ目を閉じていて、眠りそうになる頃に声をかけられた。
完成した頭はさっぱりして、想像していたよりも色が明るかった。
自分で染める度胸がなく、多少お金を払ってでも格好良く染めたかったから、
十分満足だった。
カット代と染髪代あわせても一万円かからなかった。
出かける直前に不安になって、左の靴下にも一万円が入っていた。
会計をする時、事前に財布へお金を移すのを忘れていて、靴紐を直す振りをし
て慌てて一万円を取り出した。
湿ったお金を受け皿に置くと、一部始終を見ていたらしい別の美容師さんと目
があった。
まだ十代と思われる若い美容師は露骨に嫌な顔をしていたが、ノボルはそれを
見なかったことにして、お釣りを受け取った。
もうここには来られないなと思いながら、外に続く細い階段を一段飛ばしで降
った。
美容室を出ると、向かい側の閉店したらしい空っぽのショーウインドウに人影
が見えた。
ガラスに反射して映る姿は、昨日までの卑屈な自分とは確かに違って、どこに
でもいる少年に見えた。
変わろうと思い立って、髪を染めた。
たったこれだけのことなのに、気持ちはとても清々しくて、身も心も強くなっ
たような気がした。
自然に笑顔になる。劣等感を抱いていた同級生たちと、ノボルはようやく同じ
位置に立てたと思った。
駐輪場に停めておいた自転車に跨ると、来た道をまっすぐに戻る。
錆の目立つママチャリは、いくら漕いでも前に進む速さが変わらない。
それなのに、世界は違って見えた。
地面ばかり見て過ぎ去ったこの街並みを、思い切り光とともに見渡すことが出
来る。
太陽ってまぶしいんだな、と当たり前のことを思って可笑しくなる。
人と目が合うことにも、恐れはない。
寂れた街の中、笑顔でボロボロのママチャリを漕ぐ茶髪の少年は、きっと不思
議な光景に映るのだろう。
気味が悪くても、なんでもいい。
とにかく人に見られることが、こんなに気持ちいいものだとは知らなかった。
不安も恐れも無くなって、自信が湧いてくる。
今の自分なら高校に行っても楽しくやれるはずだ。
ノボルはそう確信して、ぎしぎしと音を立ててペダルを強く踏み出した。