言い訳したい恋
こうなることがまるで必然であったかのように、気まぐれに開いた小学校の頃
の文集には、不吉なことが書き連ねてあった。
『 三十歳の自分へ。きっと辛い人生になる。
もし生きていたら、おめでとうと言ってあげたい。』
最初はもっと身も蓋もない直接的な書き方をしたはずだが、先生に咎められて、
渋々書き直したことをなんとなく思い出す。
両親を好きと言えないまでも家庭環境は悪くはないし、学校でいじめられてい
たことも、たった数年ちょっとの人生で悲観的になっていたわけでもない。
毎日、友達を誘ってよく遊んだ。
駄菓子屋でお菓子を食べながら話をして、田んぼでザリガニを捕まえたり。
サッカーやテレビゲームをして、自転車で走り回ったり。
楽しい思い出が自然と溢れてくる。
なぜそんなことを書いたのか不思議だった。
でもすぐに心当たりを見つけた。長い間忘れていただけだ。
そんな小さな頃から予感がしていたんだな、と少年だった自分を褒めたくなっ
て、虚しくなった。
何をしても喜びを見出せなくなってしまった。
辛うじて残っている感情も、いつ忘れてしまうかも分からない。
おめでとうと言えない未来が、最も現実的で、近くにいるように感じる。
気が付けば、人生を終わらせる為の、強いきっかけを探しているように思う。
あの時目的を果たせなかった細い縄は、今も押し入れの中で埃に埋もれている。
予感は、当たるかもしれない。