千尋ちゃんと大河くんと薫
「ほら、この肉十円安い」
「本当だな。特売でもないのにこんなに安いもんか」
俺は薫と共にスーパーに出向いていた。
俺は一応財布は持っているが、所持金は定期を忘れた時のための予備の交通費と店先で欲しい本があった時用の金しかないので、少しでも安いところでないと全て買えない可能性がある。冬の時期の野菜は高いので注意が必要だった。
取り敢えず、肉の中から一番安い鶏肉をカゴに入れる。今日はチキンカレーだな。
「で、安達家は今日何を作るの?」
「カレーらしい。お前んとこは?」
「うちは聞いてないけど具材からしてラーメンだと思う」
薫のカゴにはねぎ、もやし、ひき肉、メンマ、焼豚、生麺……なるほど確かにラーメンだ。
「お前んちって誰が料理してるんだ?」
「料理を作るのは母さんか兄ちゃんだね。基本母さんだけど忙しい時は兄ちゃん」
「へー、翔さんって料理できんのか」
翔さんというのは薫の兄さんで、俺も色々とお世話になっている人だ。俺が剣道を始めたばかりの頃に教えてもらったりもした。現在進行形でもお世話になっていることもある。
そういえば、千尋も翔さんとよく話してたな。なんでかはよく知らないけど。
「あ、そうだ」
薫が思い出したように立ち止まった。
「どうした?」
「今日千尋と話してたんだけどさ……大河、ひょっとしたら春が来たかもよ? 」
「春?」
ここで言う春というのは、おそらく季節のことではなく恋愛のことだろう。
「千尋、多分大河に惚れて――」
「それはない」
「即答!? 」
何を言おうとしているのか文脈で察したので、取り敢えず異議を申し立てておいた。
確かに千尋は美人だが、俺とアイツは反りが合わない。極端に嫌いなわけでもないが、極端に仲のいいわけでもない。好みも違うし、俺が千尋を好きになることは多分ないが、千尋が俺に惚れることも多分ないだろう。
というか、俺にも好きな奴はいるわけで、好きと言われても困る。
「そうかな……、確かに本人も違うって言ってたけど」
「じゃあ違うんじゃないか」
「でもあの必死の否定の仕方は絶対図星だと思うんだけどな」
「それ、多分お前に本気でそう思われたくないだけだと思うぞ」
まさかだとは思うが、千尋の好きな奴は薫なんじゃないだろうな? ……いや流石にそれはないか。本命は翔さんあたりかな。
「というか、お前千尋に一体何したんだ?」
「え? いや、今日千尋のクラス委員の手伝いしてたんだけどさ、話題なくなって暇だったからカマかけたらすごい動揺したからさ」
「………ほう」
暇だからと言ってそんなことをカマかけるなとも言いたかったが、俺が引っかかったのはそこじゃなかった。
つまり、こいつは授業終了から六時までの三時間、ずっと千尋と一緒にいたのか。
しかも、ほかの名前を出さないということは二人っきりで。
三時間ずっと。
……いや待て、俺は何を考えている? 女を嫉妬したところで仕方ないだろう。
そもそも、千尋は口ベタなんだから、二人っきりになっても大した会話はしてないはずだ。それにメールでの会話を含めれば俺の方が会話量は多いはず。
それに、中学時代の薫は千尋と同じで図書室に行くことが多かったけど、俺は薫と同じ剣道部だったから親密度も高いはずだ。『剣道飽きちゃってさ。丁度親戚に弓道やめて剣道やりたいって子がいたからその子と交換した』とか言って高校では弓道始めたが。
それでも、俺は千尋より薫と仲がいいはず。はずだ。
「でもまあ……」
俺が心の中で自問自答して必死に納得させようとしていると、薫がそんなことを言った。
「千尋にも大河にもその気がなかったらある意味嬉しいんだけどね」
「……え?」
「いや、変な意味じゃないけどさ。それなら大河と千尋がくっつかないでしょ」
それを聞いた瞬間、
「……それはどっちの意味だ?」
口から思わずそう漏れた。
「ん? というと?」
「俺が誰かとくっつかないからいいのか? それとも千尋が誰かとくっつかないからいいのか?」
これは今でなくとも、俺がどうしても訊きたかったことだった。
それが望む答えでも、そうでなくとも。
「………」
薫は少し押し黙った。そして、俺のある意味捨て身の問いかけに対してこう言った。
「普通に二人と今まで通り接しられるからだけど?」
ある意味、普通で当然の答えだった。
「……あ、そう」
頭が熱くなっていた。
薫は俺のことを友達としてしか見ていないんだった。
そう気づいて、頭の冷えた俺は薫と買い物を再開し、その後スーパーからバス停まで二人で帰って、一年ぶりの二人での下校は本当にあっけなく終わった。
その間ずっと剣道具の重さを感じなかったのは、きっと気分が浮かれていたからだろうな。
作品名:千尋ちゃんと大河くんと薫 作家名:赤ずきん