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田 ゆう(松本久司)
田 ゆう(松本久司)
novelistID. 51015
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久保学級物語(後篇)

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(6) 初夏のある日、トシオは授業中に着席したままの格好で「うんち」をしてしまった。余程我慢をしていたのであろうか、真っ赤な顔している。「くさい」と言う声が周りから沸きあがり、すぐに先生が駆け寄ってこられた。状況は分かっている、トシオの腕を引っ張って校庭にある足洗い場へ連れていき、そこで服を脱がせ、下半身裸になったトシオのお尻と汚れた下着を洗い始められた。心配であとを追っかけてきたタケシに、トシオの母に着替えをもってくるように命じられた。タケシはトシオの家まで全速力で走った、急いでも子供の足では10分はかかる。
 今やトシオは下半身スッポンポンである、下着が届くまでは身動きできない。しゃがみこもうとすると「キオツケ!」という毅然とした先生の声が聞こえた。トシオは先生に向かって直立不動の姿勢をとった。まるで小便小僧ならぬ大便小僧である。休み時間になったので人だかりがしてきたが、母が来るまでその姿勢で待たされた。
 血相を変えて校庭に飛び込んできた彼の母は、先生に一礼するとトシオの顔にビンタを一発食らわした。そこまで耐えに耐えてきたトシオは一気に泣き崩れた。じっとその光景を見ておられた先生は全てを了解されたかのように微笑まれた。その日以来、トシオのランドセルにはいつも着替え用のパンツがねじ込まれていたがその必要はなかった。
 トシオが高2の時のことである、3日間続いた大雨で狭山池の堰堤が決壊し、かなりの被害が出た。大阪市の郊外にある狭山池は日本最古のダム式ため池であり、これまでも幾度となく改修されてきた経緯がある。隣の堺市には広大な前方後円墳の仁徳天皇陵がある。そんな折り、会社からあることを命じられた彼の父は忙しく出歩くようになった。
 父は陶器を製造する会社に勤務し、その材料となる粘土を調達する係りであった。トシオは堰堤の修理と粘土の関係がよく飲み込めなかったが、父の説明により堰堤の中心部に粘土層の壁を挿入する必要があることを知った。それからは堰堤の修理を見るために父と一緒に狭山池へ出かけることが多くなった。
 土堰堤の構造に興味を抱いたトシオは農林高校を卒業した後、受験勉強に取り組み1年遅れで京都大学に進学した。すぐに、昨年入学したタケシを京都の下宿先まで捜してみたが見つけることができなかった。その頃タケシはアングラに潜伏し大学へは滅多に来なかった。
 その後大学院へ進み、堰堤の浸潤線に関する研究で学位をとったトシオは、教授、学部長、そして総長まで登りつめた。学園紛争後のしばらくは混乱した教育と研究を立て直すためには「ゴンタ」の彼が適任であったのかもしれない。

 やがて、フィルダムの設計に関する研究業績で文化勲章が授与される日がやってきた。天皇陛下の前に進んだ彼は自然と直立不動の姿勢になった。その瞬間、眼前にスッポンポンの姿で直立不動していたあの日の光景が現れた。
 久保先生が微笑んでこちらを見ている、「おめでとう」と言う先生の声が聞こえたような気がした。途端に懐かしさと嬉しさがこみ上げてきて目の前が霞んだ。それは、ほんの一瞬の出来事だった、恭しく一礼をして席に戻った。ところであの日、久保先生はこの日が来ることを予見されていたのであろうか、直立不動する日が再来することを。先生が他界された今となっては知る由もない。

 タケシとトシオが歩んだ道は予め定められていた道であったのか、それとも交錯しながら予期せぬ方向へ進んでしまったのであろうか。小学校1年生の二人からは想像もつかない未来が待ち構えていたことは間違いなさそうである。ひとの生涯とはおおよそこうしたものであること、そして、そのひとの生涯にしばしば自分が立ち現れることが分かっておられた先生は、教え子一人ひとりに対する指導の術を心得られていたように思われる。
 さて、昭和30年、先生43歳のとき高学年の担任を希望されて5年生、引続き6年生を受けもつことになった。このクラスが先生にとって最も思い出深い学級であり、退職されてからも、また先生亡き後も変わることなく親交が続いている私たちが在籍した久保学級である。