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田 ゆう(松本久司)
田 ゆう(松本久司)
novelistID. 51015
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久保学級物語(後篇)

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(3) 大阪での暮らしはこれまでの生活環境を一変することになった。富裕な家庭で何不自由なく育ったものが、戦後の食糧難の貧しい借家で暮らすことになるとは思いもしなかったことであろう。しかし、その苦難を支えたのは教師としての自覚、教育に対する熱意であった。
 GHQによって教職員組合ができると、戦時中のトップダウン方式の教育行政に常に不満を抱いていた先生は、教育現場の立場から積極的に行動されるようになった。時には、教育委員会に出向いて教育の国家統制が行われないよう教育委員会の動きにも関心を寄せられていた。
 後に、反日とかアカと呼ばれようが意に介さず、再び生徒を戦場に送り込むという逆コースを辿るようなことは決して許さなかったのである。しかし、そうした強い思いを実際の教育現場に持ち込まれることはなかったので、生徒にとってはいつも優しい愛情深い先生で通っていたのである。その間、数々のエピソードが残っているが、そのいくつかを紹介したい。

 田辺小学校に赴任される前に一度6年生を受け持たれたことがある。その修学旅行先での話であるが、その小学校では大阪港の天保山から船で小豆島に渡るコースに人気があった。先生にとっては高松の小学校勤務時代に何ども生徒を連れて行った島であり、そこにはかつて憧れていた苗羽小学校がある。
 ところで、先生は一度この学校の教壇に立たれたことがあるが、それは高松高女在学中に教習生として受け入れて貰ったときのことで、ひと月ほどの間島に滞在された。その間に、岬の分教場でも教える機会が与えられた思い出深い島である。
 小豆島に着いた生徒らは寒霞渓を見学した後、眼下に見えた旅館に一泊した。次の日の朝のことである。朝のお勤め、排便をするために「タダシ」と「マモル」の二人は二つ並んだ個室に入っていった。
 当時、水洗式便所が普及し始めた頃で旅館や公共施設ではよく見かけた。ところが、隣室に入ったマモルの様子がおかしい、ブツブツ言う声が聞こえてくる。そのうち大声を張り上げたのでタダシは飛び出して彼のいる個室のドアーを開いた。
 タダシの便器は和式であったが、マモルの便器は洋式であった。洋式便器の使い方は誰も知らないようなそんな時代であった。彼は台座の上によじ登りかろうじて用を足しながら、おかしいと思ったのか、体の向きをドアーの方に変えようとした瞬間、足を滑らせて便器に片足を突っ込んだ。
 慌てて足を抜き出したので今度はその痕跡が床に残った。事態がよく飲み込めないタダシはとにかく先生に連絡し、二人で戻ってくると仲居さんが来ていて、きれいに床や足を拭き取った後だった。その時、先生はポケットからお札を出して仲居さんに「よろしく」と言って無理やり握らせた。
 その件は、旅館の女将に知れることなく済んだようだが、そのあと先生と目が合ったマモルは当然ビンタを覚悟していた。しかし、先生は「初めてだから仕方ないわね」と言っただけでこの件は何事も無く片付いたように思われた。実はこの一件には後日譚がある。
 マモルは高校卒業後、東洋陶器に入社した。当時、病院などで使われていた米国製のシャワー式トイレの評判が悪く、その改良に明け暮れることになった。自らの肛門を実験台にして噴射角度、強さ、温度などの研究に没頭した。
 その甲斐があって「おしりだって、洗ってほしい」というキャッチコピーで一躍有名になったウォシュレットを世に送り出すことができたのである。彼の成功の裏には、あの日の先生の暖かい思いやりがあったことをマモルは忘れたことがない。