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田 ゆう(松本久司)
田 ゆう(松本久司)
novelistID. 51015
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久保学級物語(前篇)

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9) 私たちは再び玉手箱のフタを開けようとしている。開ければどうなるか、煙とともにおじいさんとおばあさんが現れるはずだ。古希と言っても今日では中老に過ぎない、むしろひねた小学生に等しい。初めて玉手箱のフタを開けたのが昭和60年の5月で卒業後28年目のことである。この日のことについてはすでに加野厚志君の「作文6年2組」で紹介した。先生もご健在で教え子の成長した姿を見られてどのように感じられたであろうか。成長したとは言え小学生当時のままの姿を重ねて感激されたに違いない。私たちにとっても先生は昔と少しも変わらない先生のままだったのである。
 古希を迎えた今年はあれから28年目にあたる。28年に一度玉手箱のフタを開けることを予め決めていたわけではないが単なる偶然とも思われない。しかも同じ会場となる天王寺の楓林閣がその舞台である。この玉手箱は浦島太郎が貰った箱と違って、この箱の中に入れば竜宮城に戻ることができる。そこには6年生のままの私たちが集まっているという筋書きだ。
 このドラマを演出したのは常任幹事のTa君であることは疑いようもない。彼は最初の記念すべき久保学級の集いの感想文に次のように書いている。
 「玉手箱、あければコワイ玉手箱、あけずにいられぬ玉手箱、玉手箱しばしの休眠」。彼は再び玉手箱を開ける機会をうかがっていたのである。それが古希を祝う会でありビッグボスのNa君と前期常任幹事のWa君を呼びかけ人としてあの日のように懐かしい竜宮城で小学生に戻って語り合おうというのである。
 ただ、次のことを加えておきたい。10月27日当日はもう一つのクラス会が行われる日でもある。久保先生と夭折した同級生が一同に会して行われるあちらの世界での集まりである。まだ数は少ないが、いずれは私たちもあちらのクラス会に参加することになる。あちらのクラス会に参加するのはもう少し後にしたいが、あちらのクラス会も楽しそうで捨てたのもではなさそうだ。

10) 平成25年10月27日(日)天王寺アポロビル9Fにある中華料理店、楓林閣で久保学級6年2組のクラス会が開かれた。古希を祝う会に出席した同級生は総勢20名で、久保先生の三女である尚子さんもいつも通り参加していただいた。亡き先生の天からのメッセージを伝えてくださるのを楽しみに、一同親しく付き合いをさせてもらっている。この日は距離的に私が一番遠方から参加したということで乾杯の音頭取りをさせてもらった。
 ところで、久しぶりの天王寺界隈は以前とはすっかり変わっている。あべの橋交差点の歩道橋から見る景観は一円が高層ビル群として建て替えが完了し、現在なお超高層ビルの建設(あべのハルカス)が進行中である。それでも橋から見下ろすと南海電鉄の一両編成の路面電車の終着駅があり、整備されたとは言え人々が乗り降りする光景は昔のままである。
 近年、路面電車の廃線が進められてきた中で、庶民の足として未だ健在な姿を見るとなぜかほっとする。車社会に対応するために次々と廃線されてきた路面電車ではあるが、環境面や高齢者の利用面からその復活が云々される時代が来ようとは思いもよらなかったのではないか。
 さて、クラス会に話を戻すと参加可能な人数は上限で25名程度と考えられるので今回は8割ほどの出席率であった。この日より28年前に行なった記念のクラス会に比べると数の上では三分の二程度まで減少したが、高齢化とともに出席するのが難しくなる中で、病気を抱えながら出席してくれた級友らには感謝を申し上げたい。このことは決してひと事ではなく自分たちの身にも差し迫ったことであり、歓談のなかで病気の話が絶えなかったことからも分かる。
 この界隈の様子がガラリと変わったということはわれわれもそれだけ年をとったということであり、街自体も若い人たちの世代に塗り変わりつつある。けれども、私たち自身にしてみれば年老いたという意識はほとんどなく、クラス会では簡単に小学生に戻ることができる不思議な世界が広がっている。
 クラス会の魅力はその辺にあるのではないかと思われるが、当時のことをなつかしく思い出すばかりか、あの日から今日まで辿ってきたそれぞれの人生を振り返るいい機会でもある。何よりも、田辺小学校の一つのクラスに過ぎなかった6年2組が何かにつけて集結できるのは恩師久保先生のおかげであることは言うまでもない。校歌を斉唱し記念写真を撮って古希を祝う会は閉幕し、次回の喜寿を祝う会に向けて準備が始まったのである。