久保学級物語(前篇)
11) 私は大阪生まれの大阪育ちである。就職のために大阪から離れてそのままずっと府外で暮らしてきた。実家は弟が継いでくれたので両親の墓守などは弟任せである。それで、少々気が重いので実家にはほとんど立ち寄らなくなった。けれども、郷里は懐かしいので何かあれば足を運びたいと思っているが、動機がないとなかなか動けない。それが可能な唯一の契機が久保学級クラス会というわけである。
クラス会は何も小学校だけのものとは限らないが、中学校や高校の同窓会はその都度遠慮させてもらっている。それは私にとって中学校や高校時代の人間関係がそれだけ希薄であったことを物語っている。つまり、自分らしい生き方が出来たのは小学校時代だと言うことである。小学校当時の私は悪党の部類に属していたけれども・・。
久保学級クラス会が継続する理由もその辺にあると思うが、それを支えてくれているのが大阪近在の男女の幹事たちである。記念のクラス会は別にして、いつの頃からか年3回開催するようになり、食事会と称して近しい仲間が集まっている。私も秋の会には時々参加させてもらっているが、時には一泊で南紀や鳥羽方面に出かけることもある。私にとっては悪党時代を回顧する唯一の機会であり、以後の人生の出発点が間違いなくそこにあるから。
クラス会の常連は私と似た動機がそこにあるはずと思うが、呼びかけに応じないクラスメイトの心情を察するのは容易ではない。先のところで出席可能な上限を25名としたのは所要などで来られなかった人数であり、呼びかけに応じない人数は入れていない。それを加えると35名程度になると思うが、幹事たちはこれからも呼びかけを続けるであろう。私たちは戦後の貧しい時代を生き抜いてきた仲間であり、久保先生の教え子である限りいつでも門戸は開放されている。
されど、私たちには持ち合わせた寿命がある。棺桶に片足を突っ込んだ仲間がいる中で、今後何年生き続けられるか分からないが、誰かが生きている限りクラス会は続けられるはずである。久保学級クラス会は永遠に不滅である、それはあちらの世界でも続けられることが約束されているからである。
作品名:久保学級物語(前篇) 作家名:田 ゆう(松本久司)