久保学級物語(前篇)
5) このクラスが多士済々な集団であると言ったが、その中にプロ作家の加野厚志君がいる。彼の経歴についてはウィキペディアに掲載されているので参照されたい。ここで紹介する彼の文章は40歳の節目を迎えた年に開催された久保学級クラス会の文集に寄稿された「作文6年2組」の冒頭の箇所である。
『幼なじみの会話はほとんど説明を要しない。「ツーといえばカー」の呼吸である。また、お酒が入ればいっそうなめらか。話は思いがけない方向に飛躍し、丁丁発止の軽快なやりとりになる。2年前の正月二日、久保先生宅に年始の挨拶に出かけた六人の悪友がその帰り途、実にステキな〈センチメンタルパーティ〉を思いついた。28年ぶりに久保学級の同窓会をやっちゃおうというのである。
言い出しっぺは元祖ひょうきん族のTa君。「それが久保先生には最高のお年玉とちゃうやろか」「他の同級生の顔も見てみたいしなア」郷愁派のKa君が相槌をうった。「やると決めたら早よやらな‥」と、快足ランナーのMa君は何かにつけて素早い。「先生もきっと喜びはるやろ」先生っ子のWa君も端正な鼻の穴を大きくふくらませて乗気になった。「ほんなら僕、何をしたらええのん?」6年2組のアイドルスターKi君が百万ドルのうすら笑いで、級長のNa君を振り返った。
ビックボスのNaやんは一同を制し、おごそかな声で言った。「このパーティの企画実行は言い出しっぺのTa君がすべて取り仕切れ。Ka君とWa君はそのサポート役だ。会計は銀行支店長のMa君が適任だろう。俺は級友たちの情報を収集するから‥‥」「Naやん、僕はどないしょう?」Kiがふたたび問いかけた。ビックボスはにこやかに言った。「Ki君は‥そのすばらしい笑顔をパーティの日まで取っておいてくれたまえ」
かくして、六人の侍ならぬ六人の発起人は全国各地に散らばる「久保学級」の少年少女たちの行方を探しはじめたのであった。』
リンク先:「加野厚志 Wikipedia」から
6) 先の加野君の作文はクラス会前日の集まりで耳にした話をもとに作られたフィクションであるが、会話の展開が実に巧妙で6年生の途中で他県へ転校したとはとても思えないほど登場人物の性格を的確に捉えそれを最大限に活かす技巧はこれぞ作家だと感心させられる。その彼が先生に対してどのような印象を持っていたのか、それが分かる一文を掲げることにする。
『六年生の一学期にY県の方へ転校して以来、お世話になった久保先生や級友たちには不義理のしっぱなし。そこへ一通のなつかしい手紙が届いた。「行くべし!」心はすぐに決まった。ひたすら皆に会いたかった。久保先生の尊顔を拝したかった。自慢にもならぬが、ぼくは七回も小学校を変わっている。
ぶっちゃけた話が土地柄によっては良い思い出ばかりの学校だったわけじゃない。いまだに顔も見たくない先生もいれば級友もいる。だが、「久保学級」はすべてが良き思い出なのだ。久保先生の母性を感じさせるあたたかい包容力は、四十男になった今も忘れがたい。女性にはめずらしく太っ腹で気前がよかった。
変な″えこひいき“もなく先生のポケットマネーで、級友の皆が一度は何かをプレゼントされたはずだ。エンピツ、ノート、クレヨン、駄菓子、アイスキャンデー等々。物不足、金不足の当時は、そうした細々した贈り物がどんなに嬉しかったことだろう!ゼイタクに慣れた軟弱な昨今のガキ共には、あの心にしみる喜びは分かるはずもあるまい。
級友の皆もすばらしい連中ばかりだった。子供は小さな大人なのだ。だから、まわりの大人の言動を真似るものだ。級友たちも、久保先生の峻烈な精神「久保精神」を大なり小なり受け継いでいるように思われる』
先生の生徒への接し方が様々であるのに対し生徒の先生に対する捉え方も様々である。彼と私では当然違いもあるが彼の言う「久保精神」は間違いなく存在したのではなかろうか。その後、私は久保精神によって大きく舵を切ることになるのであるが・・。
作品名:久保学級物語(前篇) 作家名:田 ゆう(松本久司)