愛き夜魔へのデディケート
彼女らしくない、極めて冷淡なその言葉とともに突き出された右腕。そしてその手に握られているのは勿論…………。
(久遠の灯火…………あれね)
それだけですぐにピンと来た。この世界でも強力な部類に入る魔道具、久遠の灯火に魔力を込め超高温の熱線として具現化し、ありとあらゆるものを薙ぎ倒すユーリエ=フローマーの十八番……断絶(シャイニィ・ラプチャー)。
だがその威力はその眼で何度も見て、数度くらいならその身で受けて十分に分かっている。そして当然その避け方、勿論その弱点までも。
……甘く見るな。貴女の自慢のその術式…………。そこらの雑多な人間ならまだしも、貴女の強さを嫌と言うほど知っている私には決して通用しない。
さぁ――撃ってみるがいい。何処に何発撃とうが全てかわしてやるという決意を込めた視線で彼女を見据える。
ユーリエの右手の久遠の灯火に魔力が集約されていく。充分にそれに力が満ちたのを見て取ったか、少女はそっと唇を動かした。
「純なる我欲(ノーブル・ディザイア)」
魔力の集約音が止み、術式名の宣言が辺りに響くと同時に、ユーリエの手元から血のように赤い極太のレーザーが放たれる。
どういうことだ? それは私が見慣れたシャイニィ・ラプチャーによる白い破壊の光ではない。光にあったのは綺羅とした輝きではなく、やはり何の生も命も宿らぬ真の禍々しさ。
悪夢、恐怖、絶望といった、人型のものが持ち得る負の感情をこれでもかと押し固めたような光。当然それが放つ光には、彼女が人間だった頃のそれを遥かに凌駕する威力がある事だけは間違いない。まともに食らってしまえば私程度のものなど魂の一欠けらも残らずに消し飛んでしまうだろう。
幸い咄嗟に右の方向へ大きく飛び退いた事で直撃だけは免れた。私のすぐ側を横切った真紅のレーザーは湿った大地さえ容易く抉り取り、ほんの僅かな生命さえも悉く呑みこんで虚空へ消え去る。ノーブル・ディザイア……一体あの術式は何だ。
久遠の灯火の火とユーリエ自身の魔力であそこまでの火力を出す事が出来るのか。そしてあの紅い光。彼女の身体から絶えず放たれていた紅い魔力は何だ…………。
多くの疑問が渦巻く中に私はこの戦いについて一つの“答え”を見出す。
(小細工はもう通じない、か…………)
これが答えだ。小賢しい策が通用しないならば、あとは相手のそれを上回る純然たる“力”で押し切るしかない。
とはいえ、この場の私に残された手段も…………力に力で立ち向かうための切り札も一つ。出来る事ならこれだけは使いたくはなかった。腹を決めて愛用している黎き絃と紅き絃を束ね、左右に展開する。
続いて残された絃を大地に張り、二つの人形が放つレーザーが交わるポイントを押さえてそこに鳴子(トラップ)を仕掛ける。後は紅と黎の絃に十分に魔力を注ぎこみ、ユーリエがそのポイントに差し掛かったら撃ち放つだけだ。
そう……螺旋状に束ねた絃の束の一撃を相手の身体の一点へ同時に叩きこみ、それが生み出す撃力で敵を打ち倒す純粋な力技の術式である。かつて術式を本格的に学んだ時に一度教わったが、私はこの手の術式を強く忌避していた。
決して相手を傷つけないという信念に反する術式だから、今までずっとこれを実戦で用いる事を自ら禁じていたのだ。
だが今の相手はあのユーリエである。飾り立てたプライドや信念、マニュアル化した技術に縛られていては、その策ごと潰される。
まして今の彼女は人だった頃のそれとは比較にすらならない力を持つストリゴイ。中途半端な攻撃はかえってその身を危険に晒すだけだ。
ならば全ての攻撃を全力で、尚且つ正確に決めなければ…………。すぐさま私は行動に出る。
私以外の者には絶対に見えない糸。その方向に歩み寄るユーリエを見据えて彼女がそこに足を踏み入れるのを待つ。
二つのレーザーが交わる場所。地面に張った術式の糸が触れる音……私にしか聞こえないその音をキャッチし、“そこ”にユーリエが差し掛かったのを確かめる。
(今だ!!)
右に紅い絃、左に黎い絃。それらに私の念を一気に注ぎこむと、二つの絃に指向性が与えられ、螺旋を描きながらまっしぐらに一つの方向へ向かい飛びかかる。無論その方向は標的であるユーリエ……その身体のほぼ中心。
「二重螺旋(デュアルスピニングスピア)……。消し飛べ、ストリゴイ!!」
二色の絲の奔流を掌から撃ち出し、ユーリエの胸に撃力を抉り込ませる。
威力自体は彼女の用いるシャイニィ・ラプチャーにこそ劣るものの、この術式は狙いさえ的確ならばただの人間だろうが術師だろうが、ほぼ一撃で死命を制すことが出来るのだ。
が、当然それだけの術式を発生させれば、此方が受ける反動も大きい。これで相手を倒せなければ……少しでも的を外してしまえば、逆に自ら断崖を背負ってしまう。
要するに、これは殆ど分が悪い博打に近い技なのだ。これが私がこの術式を今日まで封じていた理由。
とはいえ……死を賭した一撃に対する褒美なのか、奇跡的にも今回はそんなイレギュラーは起こらなかったようだ。
「…………勝っ、た………………っ」
流石に似合わない荒事を冒した甲斐があった。先程までその鋭い狂牙を私に向けていた、かつてユーリエであったストリゴイの少女の姿は、私の目の前から永遠に消え去った。
……無理もない。ユーリエの身体の中心……心の臓に、二つの絲の螺旋を一箇所へ同時に、まさにピンポイントで撃ち込んだのだ。
心臓を白木の杭やら何やらで打ち抜かれれば、さしものストリゴイでも確実に死ぬ。というより、本来不死の存在である彼等彼女等を完全に屠る方法はこれか、あとはその肉体を浄火で焼き払うしかない。そのうちの一つをここで選び、そして私は成功させたというわけだ。
しかし、やはり慣れない事はするものではなかったか……身体の彼女方此方が今も激しい痛みを上げている。流石に付焼刃の超火力術式は肉体的には脆弱そのものの私が耐えられるものではなかったようだ。
安全が約束された我が家に辿りつくまでの力が、この体に残っているかどうかも不安になる。
まぁなんにせよ勝ったのは……生き残ったのは私だ。一度は本気で愛したユーリエを斃したという事実も、互いの存亡を賭けた戦いに勝利したという事実の前には、全て瑣末な事だった。
明日になれば後悔の嵐は轟音と突風を伴って襲い来るだろうが、今の私にあるのはこの死闘を生き延びた事への安堵だけだ。
強力な絲の奔流の反動をモロに受け、限界ギリギリまで傷ついた身体を、私はどうにか動かそうと試みる…………。
「…………っ!?」
と、突然に襲った、首筋に何かが触れる感覚。何事かと思って後ろを振りかえった私は思わず眼を見開く。
「あれしきで勝った気でいたのか。流石にまだ甘さを捨て切れなかったみたいだな、ヴィオラ」
「そ……んな、どう、して…………!」
…………そこにあったのは先程、心臓を絲で撃ち抜いて完全に葬った筈のユーリエの姿。そして私の延髄は彼女の右の掌にすっぽりと包まれ、さらに鋭い爪が深々と食い込み、そこから少しずつ血が流れ出でている。
作品名:愛き夜魔へのデディケート 作家名:小鎬 三斎