アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一の呟き
花見のチラシ
「花見大会?」
掲示板に貼られた『管理人公認』を示す判子を確認して、祐一は僅かに唸った。
『花見大会しませんか。
お酒・ジュース・その他あります。(焼肉予定してます)』
書店に並んでいるポップみたいな印象の文字からは書き手の浮ついた様子が放出されている。文字そのものはどうって事ないのだが、放出されている色が完全に緑色だ。
緑は安らぎと幸福感、充足感をもつ者が多く放出する『色』で、既に書き手が『楽しみだ』と言わんばかりの様子が目に浮かぶようだった。
水と平和がただ同然と言うことで有名(?)なこの国だが、まさかこのイベント、焼肉までタダ食いか?
イヤイヤイヤ、流石にそれはないから。
アレか、春先に増えるって言う新手の振り込め詐欺か。
肉一枚ン万円とか言われるのか?
「…でも、『ミドリさん』がいいって言うならせいぜい会費制か?」
背の高い管理人のことを思い出しながら、呟く。
イギリス人にしては英語訛りの少ない日本語をポツポツと話す管理人は、隙だらけのようで実はボーッとしているだけ…アレ、どっちにしても褒めてないな。
要するに、『見るべきところは見ている』印象だ。
(つまり『割り勘』ってことだよな…)
他の住人も参加するならなにか持ち寄るんだろうし、何か考えておいた方がいいんだろうか。
(桜餅はかぶるかな…柏餅も有るだろうけど、早いよな…)
なにか花見にちなんだものを持っていくべきだと思うが、さくらんぼを持っていったら流石に顰蹙を買うだろう。
まだ一歩手前だっつの。
「桜…さくら…桜ねぇ」
階段を登りつつ、『こういう時はやっぱ酒しかねぇな』と、大人に揉まれた人間ならではの発想に行き着く。
何処に有っても邪魔にならないもの、それが酒だ。
自室に戻った祐一はノートPCを立ち上げると、野良電波を拾う機器を立ち上げ、ブラウザを展開する。
『桜 焼酎』
で検索すると、「さくら咲○」と言うそれっぽい名前の焼酎が検索されてきた。
「ほぅ、水割りにすると桜色になる、とな」
興味深いが、分類上は『リキュール』になるらしい。
甘そうな気がする。
後は、『アルカリ性の水で割らないと色が変わらない』そうだ。
一応、当日になったらミネラルウォーターのphを確認しておこう。
酸性なら商店街まで自転車で買出しだ。
まぁ、一般的にはミネラルウォーターはアルカリ性のものの方が口当たりがよく、受けているので扱っていないと言うこともあるまい。
それに、色が変わるところを見れば女性の参加者に飲む人がいれば受けそうだ。
多分一杯目だけで、残りはストレートで飲む人とかも居そうだが、それは呑む方の好みの問題であって祐一が口を挟む問題ではない。
「まぁ、高校生の差し入れで、人数も分からないならこんなもんか」
七二〇mlで千五百円程度。
それを取り敢えず五本程度注文する。
これなら最悪、余ったとしても大人に押し付けてしまえばいい。
入力画面に別戸籍として用意した成人男性のデータを入力し、お支払い方法に『猫の会社の代金引換』を選択する。
後は、自分が参加するのなら食料か。
実は、祐一は非常に燃費が悪い。
恐らく、『トランスレイション』の力によって体内のエネルギーを過剰に使う所為だろうとジェニオは言っていた。
「流石に肉は自分が食いたいのでいいよな?バーベキューみたいな感じだろうし」
と、呟きながらも、『安アパートに住んでいながらあまり高級な肉並べてもなぁ』と思い至る。
ジェニオの厚意によって、約二年間のジェニオとの稼ぎは折半されているため、実は祐一はかなり裕福である。
ハッキングやクラッキングに興味がないので口座の数字を弄ったりはしていないが、逆に言えばそれだけ“稼がせてやった”と言うことでも有る。
故に学費も余裕で払えるし、口座も複数の銀行に、複数の口座で、限界額まで入っている。
他の戸籍の名義も使っているので、実際には普通の生活をしていて、銀行がまとめて潰れるようなことさえなければ人生でお金に困ることはもうないだろう。
但し、アインシュタイン・ハイツに居るうちは、キッチンが共同のため、あまり高級な食材を並べているようでは怪しまれる可能性も有った。
「この際バイトでもして『豪華な食事のためにバイトしてます』って空気でも醸し出してみるかな」
そこまで考えて、やめた。
『真面目に勉強をしているフリ』をすることが先決だ。
万が一祖父の追っ手がかかって脱出逃亡するハメになったとき、勉強している様子がないと怪しまれる。
それもまた、最優先で敬遠したい事項の一つだ。
まぁ、待て待て。もう少し考えろ。
発見される可能性が有るとして、生活費を稼いでいないケースが最終的に『自分の能力』を悟られる一番危険なケースではないのか。
祖父が自分の足取りを洗うのだとすれば、まずはガテン系の職業を真っ先に洗うはずだ。
実入りが大きく、上手くすれば生活には困らない。
だがこの場合、高校生活なんてものは完全にルートから外れる。
従って、次はホームレスを洗うはずだ。
うん、何だかんだ言って、ジェニオの奴考えてるな。
この状況で学生という、『基本的に金を使うだけの立場』って、実に洗い出しにくい。
逆に言えば『足が付く事さえしなければいい』のだから、潜伏にはもってこいだ。
と、なると、だ。
「やっぱりネット通販か」
農家が直営しているようなWebサイトから取り寄せたものを『田舎から届いた』と言って出してしまえばいいのだ。
祐一は幾つかお気に入りにストックしている『お取り寄せ』用のWebサイトから『財○温泉』のページを開くと、『黒毛和牛ステーキ肉』を二セット指定して、『カートに入れる』をクリックする。同じ様に、支払いは代金引換だ。
「んふふふ。ここはホントは豚がうまいから、いつもはしゃぶしゃぶのひとり鍋なんだけど。ここはやっぱり黒毛和牛だよな」
ハイツの他の住人がどんな奴らかはまだ知らないが、肉と酒の前には大抵の人間がひれ伏すのである。
そして何より、祐一自身がひれ伏さざるをえないのだ。
「ふっ…待ってろよ、黒毛和牛」
肉の誘惑に、祐一の頬が僅かに緩んだ。
作品名:アインシュタイン・ハイツ 302号室 藤井祐一の呟き 作家名:辻原貴之