冬月さんと、祝福の世界のもとで
手のひらに何やら鍵を見せ、御厨姉は歩いて美術室の外へ出る。俺もつい
ていく。何故御厨姉が準備室の鍵を持っているかは不問にしたい。
「とある人の面倒を少し見て欲しいんだがね」
準備室まで少しの距離を、歩きながら御厨姉はそう言った。
「面倒ですか?」
俺は聞き返す。
「そう。レンきゅんが住んでいるところは広いし、部屋も空いているだろう?
少しの間一緒に住んではどうかな?」
「一体何の目的で、誰なんですか?」
俺は質問をする。
「やれやれ、質問ばかりだな。もしあたしが理由を言ったとして、それが確
かであるという保証があると思うか?」
「先輩の性格上、ありえないかもしれないですね」
「どれだけあたしをひねくれ者だと思ってるんだ?」
御厨姉はそう言い、準備室の前に立つ。そうして手のひらの中に握られた
鍵で準備室の鍵を開けた。
「さあ、入りたまえ」
やや演技がかった声で御厨姉は言い、扉はガラガラといった音を立てて開
かれた。
御厨姉は準備室の中に入っていった。俺は中に誰がいるのかを確かめよう
とし、探り探りと言った様子で部屋の中を見回す。
そうすると、一人女子の制服を着た人が後ろを向いていた。俺はその後姿
に心当たりがあった。それは、つい数時間前に対峙した人だ。
冬月さんだ。そうか、そういうことだったのか。俺は驚いた。近いうちに
話しをすることになると思うよ、なんてセリフはこのことだったのだ。
冬月さんは、窓の外を物憂げにぼーっと眺めていた。物憂げさが、夕方の
日が落ちて力を無くしたかのような準備室の空気にうまく溶け込んでいた。
こうやって見ると何だか冬月さんは文学少女みたいでかわいいなと思った。
一瞬だけど。肩より少し長いぐらいで、きれいに切られてサラサラそうな黒
髪は、セーラー服によく似合っていた。
「やっと来ましたか?」
冬月さんは待ち続けた子供のように言った。それはいかにもずっと待って
たかのような声だった。本当はずっと待ってたのかもしれない。御厨姉を待
っていたのか、俺を待っていたのだろうか。でもそれを聞いて一体全体どう
するんだ。
「詩もさっき来たばかりだろう? 何ずっと待ってたかのような言い草なん
だ?」
フーン。冬月さんの下の名前を初めて知った。詩っていうんだ。先輩の口
調から、冬月さんをまるで前から知ってたかのようだ。
「何だ、先輩と冬月さんって知ってたの?」
「まあな」
「うん、そだね」
二人の返答が妙に重なってて笑ってしまった。
「なるほど、知り合いなんだな」
俺はそうやって笑いながら言う。
「さて、本題に入ろうか。もう既に二人には言ってるけど、詩は少しの間、
レンきゅんと一緒に住むんだ」
「いやいや、クラスの同級生といきなり一緒に住むなんて、ちょっと待って
下さいよ」
「なんだ、不満でもあるのか? 詩は中々かわいいんだと思うが。普通の男
なら大喜びだと思うんだけどなあ」
「大喜びとか言う前にですよ、ちょっと問題が……」
俺は倫理的な面から不満を言う。
「よろしくお願いします」
俺と御厨姉のやりとりを見てなのか、冬月さんがペコリと頭を下げる。
「冬月さん、頭上げなよ」
俺は何だかいたたまれなくなってきた。女が頭下げるとかちょっと卑怯だ
ろ……
でも、よくよく考えてみれば、何が目的なのかわからないのに一緒に住め
というのは、感情的なところをのけて利害の面ですら危険であるという見方
もできるのだ。
「先輩、事情が何もわからない人と住むリスクは無いと言いたいのですか?」
「はあ、そう来たか」
御厨姉は右から左に半ば聞き流している。どうしても答えない気なのか?
「だってそうでしょ。極端に言えば命を狙う人と一緒に住めます? どうし
ても答えない気なら断固受けないと言ったらどうします?」
「命の安全ぐらいは保証できるぞ。大体、レンきゅんにもメリットが有るん
だ」
「メリット……ですか?」
「そうさ……」
御厨姉はそうやって言葉を濁す。そのやりとりを見て、冬月さんは再びペ
コリと頭を下げる。この人は本気で頼んでいるのだ。
俺はまたいたたまれなくなった。どうせ御厨姉は核心を明かす気はないだ
ろうしこれ以上追及しても無駄だろう。別になにも後ろめたい気持ちもやま
しい気持ちもない。ただ事情がある人を家に泊めるだけだ。何も問題はない。
そう自分に言い聞かせる。ただそれだけの話しだ。
「わかった。何の事情かわからないが、そんなに必要ならうちに来ればいい。
そのかわり、必要が無くなったら出て行ってくれよな」
俺はそう冬月さんに言った。そうすると本当に冬月さんは成し遂げたよう
な顔をしていた。一体何なんだろう。何の秘密があるというんだ。
「さあ、話は決まった。荷物はまとめてあるからすぐでも問題ないな、詩?」
そうやって御厨姉言っている。自分が話をまとめたもんだから、いい気に
なってすっかり取り仕切っている。
「じゃあ、俺は帰る。部活に用はないし。冬月さんは俺の家の場所はわかる
のか?」
「詩にはあたしが教えておく。もう帰っていいぞ」
「用が済んだらポイですか、清々しいな……」
「別にそういう気じゃないさ、失礼な」
「はいはいそうですか……じゃあ」
そうやって言い、俺は準備室を出る。冬月さんの顔をちらりと見ようと思
ったが、やめた。これから否が応でも見るようになるんだ。その時まで取っ
ておくさ。
特別棟の階段を降りていき、自転車置き場へ向かう。そのまま自転車に乗
り、さっさと家まで帰る。
家、と言っても漫画喫茶なのだが、自転車を置き場に置き、二階まで上が
る。そして自宅兼事務所の三階まで上がるため、従業員の詰所まで行くと、
二乃宮さんがいた。
「よう」
そうやって雑誌を読みながら、目線をそのままにして二乃宮さんは言う。
俺は無言を返答とする。
家まで帰ってから気づいたが、すぐに来るとは言っていたがいつ来るのだ
ろうか。今日中だろうか?
ちょうどいい所に電話がかかってきた。御厨姉からだ。
「今から詩行くから。多分十分、十五分ぐらいで着くから。後は任せた。じ
ゃあよろしくねー」
俺はその話を聞いて、なんとなく二乃宮さんぐらいには話を通しておくべ
きだと思った。三階の部屋に行くには従業員の詰所を通ることは必須だから
だ。あらかじめ言っておかないと、まるで不審者の侵入である。
「あの、二乃宮さん、ちょっと重要な話があるんだけど」
「えー、何?」
よっぽど雑誌が面白いのか、そこまで重要な話だと思ってもらえないのか
雑誌に視線が向いたままだ。
「しばらくの間、クラスの同級生を預かることになったんですよね」
「男か女か、それが問題だ」
「はぁ……女なんですけど」
「ええ」
二乃宮さんは大袈裟に驚いたような声を上げる。
「まだ高校生には早いよ。もう少し大人になってからだね」
「いや、なにか勘違いしてますよね」
「えっ、違うの?」
二乃宮さんは意外といった様子だ。
「そりゃ違いますよ。ただ、行くところがないということは、何かしらの理
由があるんでしょうね」
「何かしらの理由が、ものすげー重要なのに、それを置いといたままなの?」
作品名:冬月さんと、祝福の世界のもとで 作家名:白にんじん