民生委員談話
3) 民生委員制度改革
かつて大江健三郎氏は文化勲章を辞退したことがあった。理由はともあれ勲章を受け取らなかったことに波紋が広がったかに見えたが、その前もその後も勲章を辞退するものはほとんどいなかったようだ。みんな勲章が欲しいのだ、とは言わないまでも頂けるものならありがたく頂戴するという気持が働いているのだろうか。
民生委員を長く務めると叙勲の対象になるらしい。長きに渡り地域の社会福祉に貢献したことが受賞の理由であるが、長く続けることの弊害も考えなければならない。中には民生委員は天職だと言って憚らない人がいる。天職などあり得ない話で、自分勝手に天職だと決め付けているに過ぎない。天職とは本来、天(神)から与えられた仕事である。民生委員は人が与えた仕事に過ぎず人の目は往々にして節穴である場合が多い。
戦後GHQは民主的改革を矢継ぎ早に断行したがキリスト教に改宗させることは考えなかったようだ。だから日本人には「人が見ていなくても神が見ている」という神の目を意識することはほとんどない。ただ世間の目が気になる程度であるが、これさえも気にしない風潮が広がっている。
民生委員は人から敬意をもって崇められる存在でなければやめた方がよいという単純明快な結論に達するが、それでなくとも民生委員のいない地域が今後増えてくる気配が濃厚である。民生委員制度の改革を含めて総合的な地域福祉のあり方を検討すべき時期が来ている。
4) 民生委員の義務と権利
民生委員は法律(民生委員法)によってその行為が規定されているが、権利に関する条項は見当たらない。つまり「義務は山ほどあるが権利はこれっぽっちもない」という法の精神が民生委員の職務遂行の骨格をなしている。だから民生委員独自の判断で解決することができない、いや解決してはいけないという法の規定が民生委員を使い走りの地位に縛りつけていると言える。
民生委員は日常の見回り活動の中でクライアント(主に高齢者)と執行者(行政機関等)とのパイプ役として位置づけられているのであれば、その立場を遵守すればそれでいいかもしれないが、民生委員児童委員信条の規定からはそうはいかないのである。
民生委員はクライアントの要求に少なくとも一次的な解決を図ることが要請されている。さらに二次的解決のためにその執行者へバトンを渡すのが本来の役割であるとすればそれなりの権利が付与されてもよいはずであろう。
特に個人主義がまかり通る時勢のなかで守秘義務を遵守する委員に対しても必要な個人情報が開示されないという問題は職務の遂行を著しく困難にしている。民生委員は非常勤の特別地方公務員にあたる(ボランティアではない)ので一次的な解決に従事するにせよそれが公務執行に相当する限りそれ相応の権利が付与されてしかるべきではないか。
作品名:民生委員談話 作家名:田 ゆう(松本久司)