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田 ゆう(松本久司)
田 ゆう(松本久司)
novelistID. 51015
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母の遺言

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3) 母には穏やかに死を迎えさせたかった。それができなかった自分は最低の親不孝ものである。ある時には、一時的な喜びを与えることが出来たかもしれないが、悪党だった幼少の頃から心配をかけ、最後まで親不孝を続けてきたような気がする。娘時代を東京で過ごした経験からこの子には大学まで行かせたいという信念が伝わってきたのか、いつしか勉学に励むようになり、それまでの悪ガキ時代をようやく抜け出して京大に進学できたのも自分の意志ばかりではなかった。
お袋は強い意志と信念をもった人であったが、所謂良妻賢母といえるような人ではなかった。何事も自分の思い通りにやらねば気がすまないという質で近隣とのトラブルも度々あった。また、悪党を担任された小学校低学年の先生もお袋には何かと手を焼かれたのかもしれない。思えば、大阪の大空襲で何もかもすべてが焼け出され、親戚を転々としながら赤子を育てなければならない生活は苦労の連続だったに違いない。まるまるした私を、頬がこげ落ちたお袋が嬉しそうに抱き上げている写真はそれを物語っている。
しかし、子供たちを育て上げたお袋の晩年はその性格に変化があらわれたように思われる。もっとも、私は実家を弟に任せてずっと家を空けていたのでその間の事情はわからない。お袋はこれからの生き方を直視する中で自分を取り戻すことを考えていたのかもしれない。すなわち、東京での娘時代の自分に戻ることを、である。その頃のお袋は生涯で最も楽しい時期を送っていたはずである。
とはいえ、お袋は奉公人である。勝手なことは許されないし度が過ぎれば叱られるばかりか、いつ大阪に戻されるかわからない。奉公人であることを十分自覚しながら青春を楽しんだことであろう。お袋の晩年の生き方はその頃の自分に回帰したのであり、同時に奉公人であった頃の主従関係が蘇ったのであろう。つまり、限度をわきまえぬ人間は失脚せざるを得ないことを思い出したのだ。
いま、お袋が言っていたことを思い出している。「喜びや楽しみは自分だけが享受すべきものではない。自分だけがそれを独占すれば他の人がそれを享受する機会を奪ってしまう。適当な時期に手を引くことを忘れてはならない。また、自分が最もふさわしい人間だと思い上がってはならない。もっと他に適任者が存在することをゆめゆめ忘れてはならない」と。
作品名:母の遺言 作家名:田 ゆう(松本久司)