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天井下がりの世迷言

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天井下がりの世迷言


 ひゅるりひゅるりと帯が堕つ。
 棚引き堕ちる尾、宙を斬り。
 やがて地面に花が咲く。
 ――ほら、椿が咲いた。

 たまに自分の目を疑うことがある。
 ……いや、最近は始終目も耳も頭も疑っているが、輪に掛けておかしな状況に出くわすことがある。今日なんかそうである。
 ――天井から婆さんがぶら下がっている。
 格安の六畳一間木造築六十年のアパートの一室。最近では巷で心霊スポットと噂をされ始めた私の部屋の天井から、その老婆はぶら下がっていた。
 いや、うん。これよりもっとおかしなものを見たじゃないか。二足歩行の狸だとか、宙に浮かぶ毛布お化けだとか、UFOだとか。
 だけれど、この場合はパーツがどれも平凡なモノである為か、どんな怪異やUMAよりも異様に思えた。目を覚ました時に最初に見たモノがいつも見ているシミではなくそれだった時は、遂に狂ってしまったかと思った。
 ――天井下がり。天井から老婆がさかさまにぶら下がる。ただそれだけの妖怪だ。特に悪さもしないし、凶事も持ってこない。別に気にしなくても良いモノだ。
 今日もまた、いつもと変わらない一日が始まったことを、その強烈な目覚めと共に思い知った。
 ぶつぶつと、天井下がりは愚痴を溢す。その天井下がりを尻目に、私は支度を始める。今日も日銭を稼がなくてはならない。
 戸を閉める寸前、天井下がりを目が合う。彼女はまだこちらをじいと見つめていた。
 さて、では、そろそろ自己紹介をするとしよう。
 私はよーこ。霊感ならぬ妖感がある人間だ。
 ――自称、霊感持ちの人間は山ほどいる。本物もいれば、偽物もいる。どうあれ、彼らは幽霊を見ることができると言われている。
 私の持っている妖感は、幽霊だけではなく、妖しの類――要は妖怪も見ること、いや、認識することができる。
 普段妖怪や幽霊というのは、人が感じることができない存在だと言われている。見ることができない。よしんば見ることがあっても、それが妖怪だと気付かない。妖感を持っていない人間からすれば、そこにいないモノ、そこにいるが気にならないモノ、そこにいるが怪異として認識されないモノ、その他の何れかとして扱われるという。
 さて、自己紹介が終わったところで、今日の御話に入ろうとしよう。

 がたんごとんと、電車は大群を運ぶ。
 電車の中は、まるで魔女の大釜のようだった。化け物、妖怪、そして人。それらが混然一体となって独特の雰囲気を醸し出していた。
 私は前方一号車に乗車したのだが、電車のフロントガラスがそこから見え、そしてフロントガラスには女がさかさまに張り付いていた。以前この路線には飛び込みがあったようで、たまに彼女はこうして電車に張り付くのである。朝から憂鬱になるモノを目にしてしまった。ぶつぶつと何か話しかけてくる飛び込み女を尻目に、私は見ないふりをする。
 バイト先に付くと、私は仕事を始める。一つずつ、着実に作業をこなして行く。
 バイト中でも彼らは現れる。ふらふらと仕事場をうろつき、やがて出て行くのだ。
 彼らは所時間構わずに私の目の前にちらつく。あんまり気持ちの良いモノではない。
 バイトが終わり、私は夕食前に軽く食事を取るつもりで、駅前のファーストフード店に入った。休みだろうかサボりだろうか、女子高生が屯している。
「口裂け女が出たって話、知ってる?」
「まーじで。今更口裂け女? うけるー」
 とかなんとか。
 安いジャンクフードで胃を満足させる。舌を満足させることは能わず。
 いつもとなんら変わらない一日だ。いつまで経っても奴らは見えるし、いつまで経っても自分は変われない。妥協を繰り返す毎日で、ただ時間だけは確実に過ぎて行く。
 ふと、私のテーブルの下に何か平たいモノが落ちてきた。
「あ、すいません」
 隣の女子高生のモノらしい。どうやらカード……タロットカードだ。
 吊るされた男が正位置で落ちていた。私は吊るされた男を女子高生に差し返す。
「【吊るされた男】、ね……」
 吊るされた男の正位置には、試練や忍耐といった自分と成長させる意味が秘められているという。――そしてまた同時に、妥協の意味もある。確かに妥協の連続だ。
 何にも変わらない。世に迷い続ける私は、ただ漫然と日々を過ごすのだ。
 ――そして、それは起きる。
 店を出た時、ぽつりと黒い影が目前の地面に映っている。
 私は気になって目線を上げる。
 ――ひゅるる、ごつん。それは落ちていた
 頭を下に、男が地面に落ちる。
「……椿」
 本当に嫌なモノを見る日だ。
作品名:天井下がりの世迷言 作家名:最中の中