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イキモノ

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 暫くの後に、サイレンは止んだ。
 世界からまた、音が、少女の呼吸音を除いて消え失せる。
 右隣をみやれば、緩慢な動きでこちらを見上げる少女の瞳と出会った。黒瞳の瞳に黒曜石のぬめりを覚える。この時、初めてこの少女を美しいイキモノだと感じた。そして、脳裏に宿ったのはひとしずくの官能の灯火。
 それは、蒼色の色彩を帯びていた。
 
 万羽億羽の蝶が飛ぶ。右から左へ今日も飛ぶ。
 一羽の蝶が、ゆらゆら揺れて窓の下へと流れて落ちた。
 
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 ◆
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 ――寝て、起きると蝶が散る。
 
 億万億羽の蝶が散る。
 逆しまを描く二重螺旋は、今日も空へと還っていった。
 モノクロを切り裂くその色彩を、映写機のフィルムに習って脳裏に刻む。まわる脳みそが、瞳の水晶球に蒼色を投影した。
 蝶の群を見送ると、流れる動作で傍らの少女を見る。そこには横たわり、蝶に群がられた美しいイキモノがいる。
 少女は昨日、目をさまさなかった。
 一日、一晩。ずっと横たわり、蝶に群がられている。その様子を、自分は観察していた。
 群がる蝶の量が増している。それは、行列の出来る花畑の有様で、よほど少女の蜜が美味なのか、止まれぬ蝶が少女の上をまわって止まない。
 少女に止まる蝶の動きは、一貫して、ただゆらゆらゆぅらりと羽根をはためかせているだけ。その様が呼吸する木々のようだったので、感じた息苦しさに、たまらず深呼吸した。
 ゆうりゆららとはためく蒼の色彩。どこか不一致ながらも、確かな規則性と整合性をもって蝶たちは羽根を動かしている。飛ばぬ蝶が羽根を動かす、その意味を自分は想像できない。その事実にかるい悲しみを覚える。満たされない好奇心の穴を見つめる子供にならい、じつ、と目を凝らしている。
 と、蝶が一羽、動きを止めた。その動きに連動するように、隣の蝶も動きを止め、その隣も、またその隣も。少女に群がる蝶は、その全てがやがて動きを止めた。
 静止した動きに沈黙が落ちる。一種、独特とした時間の中で、宙を舞う蝶の動きすらも止まった錯覚を覚えた。
 その間延びした時間が、突然、破裂する。
 
 その光景は、陽光に煌めく雪の輝きが結んだダイヤモンドダストのそれに近い。
 音もなく、少女から蒼の色彩が吹き上がり、モノクロの個室を引き裂いた。廃ビルの天井にまで至ったそれは、飛び上がり、噴き上がる蝶の渦。やがて、しだれ桜が花散らすように、蒼の色彩は天井から落ちてくる。さらさらという音が聞こえんばかりに、静謐な光景に、吸い込んだ息を吐き出せない。吹きかければ崩れてしまいそうなほどに儚く、それをためらうほどにかけがえのない光景。画質ががらっとかわった画面を見ているよう、硬質な画面がとたんにぬめりを帯びたあの感覚に近い。モノクロ配色が切り裂かれて、自分と世界の境界線が青色に塗りつぶされたかのような有様だ。
 蝶は、やがて降り積もった花弁のように廃ビルの地面に降り立った。周囲が今度は、蒼の花畑になったかのよう。その中心に眠る少女が横たわる。
 色彩とモノクロ配色の中で眠る少女は、それだけで美しいイキモノだった。イキモノは動かないことで完成している。蝶の花畑の中で眠るイキモノはそれだけで酷く絵画的で、感動という言葉そのものが炉端に転がっていたかのような喜びに、背骨を振るわせる。それは凝縮された風景だ。生まれ落ちた自然がここにある。空気の色合いすらも、そこは生々しく、無生物的な息吹が、清かな湿気を帯びてそこにたたずんでいる。夢想は、このような世界は、ガラス玉に閉じこめられた写真のようだと物語る。
 そうして、間延びした一瞬が崩れ去った。美しい時間は、それ故に、耐え難い腐敗臭をともなって崩れ落ちる。それは心に落ちる影の有様だ。
 さらり、という音を幻聴する。少女の躰がさらりと鳴いた。硝子の華が砕かれたかのように、少女の躰がさらさらと崩れていた。それは、地面に溜まると、水たまりのようになる。さらさらという音を聞いて、自分は砂時計を思い出した。色のついた砂が硝子の中をこぼれ落ちる光景を脳裏に描く。
 少女は、少女だったみずたまりのようなものになった。廃ビルの床の上に、少女の名残が広がっている。蝶の花畑の中心に、ミニチュアのような湖がつくられたありさま。
 やがて、その水たまりに変化が訪れた。蝶たちが幽かにざわめく。
 水たまりの中央に、微かな波紋が生まれる。水滴がおちたかのようなそれは、一定の、緩慢な感覚を持って生み出され続ける。脳の奥底で、音のない音が鳴り響く。凜とした音色を持っているそれは、想像の中にだけ存在する。それは、初め小さな音色だった。繰り返される波紋になぞり、りん。りん。鳴り続ける。やがて、それは音色の大きさを増す。りん、りん。りん。りん。高まりを覚える。張り詰めた弦の美しさに似た緊張が、その最後の一音を聞き届けた。
 凜、とした音色。高まりが弾けた瞬間、水たまりの中央から音に恥じない気高さを伴って、美しい一羽の蝶が舞い上がった。
 その蝶は、格別に美しい蒼の色彩を身に纏っている。はらり、はらりと羽根を動かし部屋の中をゆっくりと舞う、その姿から自分は目が離せない。今までの蝶の色彩が、この色合いの前ではかすんで見える。
 これが、美しいイキモノなのかと、脳裏に自然と呟きが落ちた。
 はらり、はらりと蝶が舞う。
 窓の外を見やれば、万羽億羽の色彩が流れている。
 室内には、蝶の花畑。モノクロ配色の土壌の上に、咲き誇る。
 そして舞う、一羽の美しいイキモノ。
 はらりはらりと蝶が舞う。
 自分は、突然、眠りたい欲求に駆られた。
 眠れば、このイキモノが自分の上に止まるのではないかという期待が胸を占領する。
 万羽億羽と一羽の蝶。
 はらりはらりと美しいイキモノがモノクロ配色の世界を舞う。
 やがて、舞い降りたそれは、自分の右隣に止まった。
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 ◆
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 ――寝て、起きると蝶が舞う。
  二重螺旋の蝶が散る。
 
 蒼の色彩、蒼の蝶。
 万羽億羽の蝶が散り、唯一一羽の蝶が舞う。
 まるで、花ひらくような光景。逆さまに渦を巻き、蝶たちは、瓦礫の窓から外へ出る。
 その極彩を歓迎に、自分は世界に誕生する。毎朝のように繰り返されるその感動を、感慨もなく享受する。うろんな頭に青色の色彩がともる。
 瞳の動きだけで周囲を確認すると、映し出されるのは、モノクロ配色と蝶の花畑、そして一羽の美しいイキモノ。
 いつも通りの光景が昨日の記憶と合致して、眠る前の浅い期待を思い起こさせた。
 
 今日もまた、モノクロ配色の一日が始まる。
 世界に色彩が欠けて久しい。
作品名:イキモノ 作家名:こゆるり