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Twinkle Tremble Tinseltown 10

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 まだナフタリンの匂いが残る冬物のジャケットが腕に触れる。ちぐはぐな男二人が肩を並べ歩いていても、誰一人として不審すら抱かないらしかった。耳へ届くのは車のクラクション。鋭い連打に紛れ込ませるよう、ジョイは短く言葉を接いだ。


「『スネーク・フィースト』」
 らしくない声音の篭もりに横目で窺えば、ちょうど口の中へクッキーが押し込まれたところだった。
「知ってるか」
「いいや」
「高校生の頃、友人がいかがわしいオカルト・ショップで買ってきたんだ。それまでにも興味本位で何本か観たことがあるが、どれもやらせが見え見えの酷い代物だった。だがあれは違う」
 噛むことと飲み込むこと、更には喋ることを同時に行いながら、どれも見苦しくない最低の節度を保っている。しかもその奥まったまなこはそれら全てに意識を傾けることなく、ただ遠くを見つめていた。
「南米で作られたものだと思う。画質も構図も酷く悪くて、もしかしたら八ミリを焼き直したものなのかもしれないな。内容は少女が蛇に食われる、それだけの話だ。蛇に睨まれて、少女は酷く怯えていた。怯えすぎて虚脱して見える程だった。もう叫ぶ気力もろくに残っていなくて、何か知らない言葉で呟いている。痩せた体は数メートルはありそうな蛇に締めあげられると今にもへし折れそうな有様だ。それでも蛇は容赦なく……たぶん、外側から棒でつついたりして興奮させてたんだろう。少女に飛びかかった」
 軽く眉間へ皺を乗せた表情からも、淡々とした説明口調からも、取り立てた感情の起伏を読みとれない。ただ箱を抱える左手の第一関節だけが、暖かみを感じない冬の陽光を移し込んで、寒々しいほど白い。 
「蛇の口はすごい。馬を飲み込む種類がいるって言うのも納得だよ。まるで傘みたいにがばっと開いて、獲物を頭から飲み込むんだ。もちろん気味が悪いと思ったさ。こんなもので喜ぶ奴は最悪の変態だってな。だがいるんだよ、間違いなく。背骨を粉々に砕かれた少女が蛇の腹の中でもがいてるのを見て、うっとりしてる奴が」
 群衆の頭、その先に何が見えるのかラビーには分からない。ただ注意を払われない口元から、菓子屑がぽろぽろと数粒こぼれるのだけは、視界の片隅に引っかかる。黒っぽいネクタイの上へ落ちるのもお構いなしで、ジョイは思索的な口調を自らが通常眺めているより幾分高い場所へ向けて吐き出した。
「なぜだと思う」
「ごちゃごちゃ考えても仕方ない」
 今度こそ表面的なもの以上の重さで、ラビーは肩を竦めた。
「需要があるから供給する。それだけの話さ。金がありゃ変態だろうが何だろうが」
 首を捻り見据えた横顔は、相変わらず神経質な渋面だった。これで普段と何も変わらないと言うのだ。
「おまえは頭でっかちだよ」
「別に良心の呵責って訳じゃないさ」
 丈夫な前歯で二つに割られたクッキーから、白い紙が覗く。慎重な指の動きで紙縒状のそれを引きずり出して、地面へと投げ捨てる。誰かの靴に当たってから舗装の上へ舞い降り、早足の歩みと共にすれ違うようにして見えなくなった。
「ただ、純粋な好奇心で」
「知ってるか、そりゃあ猫を殺すんだぜ」
 言い古された冗句にやはりいらえはない。ただ、こんな喧噪の中で密やかに存在を主張する咀嚼音だけが耳へ残った。
 当人もそれに気づいているのだろう。今日顔を合わせてから初めて、ばつの悪そうな表情を目元へ刻む。白い箱の中身は残りも少なく、掲げられると軽やかな摩擦音があがった。
「昔から有名なんだ。『ジャンバラヤ』のクッキーは」
「名前は聞いたことある」
 本当は、娼婦たちの機嫌を取るため何度か店の暖簾をくぐったこともある。ただ肉焼きそばは不味いと思ったし、すき好んでそんなものをテイクアウトする気が起こらないだけ。周囲の変化に逆らい、数十年前から薄汚れたままのあんな店にまともな食い物があるとは到底思えなかった。事実、美味いと言いながらもジョイの目尻からは不機嫌が取れない。
「これがあるから、ここに帰っても良いと思える」
 呆れる以外に方法がなく、ラビーは屋台の前でトルティーヤを頬張る太った女へ視線を投げかけた。開いた巨大な口を熱いトマトソースで汚す姿は、隣の男よりもずっと醜悪で、ひたむきだった。ため息が勝手にこぼれ落ちる。
「帰ってくりゃいいんだ」



 地下鉄の連絡口が見えてきたとき、ジョイはようやくクッキーから意識を剥がして、すぐ側の横顔をのぞき込んだ。
「女の件はどうなってる」
「『パパ』と交渉済み」
 今になって思い出したかのような口振りは、もちろん確信犯だった。待ちかまえていたラビーも、思わず畳みかけるようにして望んだ答えを返してしまう。
「秘蔵っ子さ。なかなかかわいこちゃんだな」
 とりあえず滑り出した言葉を改めて検分し、それから納得して頷く。
「赤毛だが、最悪染めりゃいい」
「できるだけ急いで進めよう。待ちくたびれてる」
 下町の無知な住民から家の地所を取り上げるときと全く同じ言葉付きで、ジョイは言った。
「『お楽しみ』は早い方がいい」
「誰に手伝わせる。レスと」
 気が進まないのはこちらも同じだった。ラビーは一度口を噤んだ。噛み合う黒い瞳は簡単にデジャヴと結びつく。
「ドクかな」
「気を使わなくていい」
 歯切れ悪い口調は、たたきつけるようにして上書きされた。
「あいつはクズだ。俺たちと変わらない」
 顔の造形はかけ離れていたとしても、神経質に目元を痙攣させる動きは悲しくなるほどそっくりだと、気付かざるを得なかった。
「甥だったか」
「お袋の葬式以来会ってない」
 ほとんど空になった箱を手の中に押しつけ、首を振る。
「会う気にもなれない」
 顔がくしゃくしゃになるほど強く目を瞑ったのは、不躾に注がれる視線へ嫌気が差したせいだろう。ねずみのように黒ずくめの広い背中を晒したのも同じ理由。
 だからこそラビーは、相手から見えていないと分かっていながら、笑って手を掲げたのだ。
「整い次第、すぐにでも」
 深く暗い地下へと続くアーケードをくぐる後ろ姿には、ちゃんと聞こえている。階段を下りたとき、だめ押しのように続けた言葉へ、彼が振り向いたような気がした。
「これで形勢逆転だ」


 信号が変わると同時に、横断歩道を挟んだ向かい側に見えるメイシーズから人がどっと押し寄せてくる。誰にもぶつからぬよう軽く身をよじって避けながら、ラビーは渡された箱の中身を見下ろした。後2個だけ、様々な衝撃で欠けたクッキーが入っている。
 油のまとわりつく箱の内側へ指二本を差し入れ、つまみ出した。肝心のおみくじは見あたらない。それを除けば、見た目こそは小麦色で、どこにでも売っていそうな代物だった。
 だから口に放り込むとき、すっかり油断してしまった。結果は言語道断、ベーキング・パウダーを粉のまま食べたところで、もう少ししっとりとしているに違いない。あんまりにも腹が立って、通りすがりざまごみ箱へ投げ込まれた白い箱は、くしゃりと潰れていた。