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Twinkle Tremble Tinseltown 10

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working dead


 突然腕に取り縋られたところで歩みを止める気にはならない。右肩のあたりで揺れる赤っぽい癖毛に一度だけ視線を走らせたものの、ラビーは結局正面に向き直り唇の先だけでくわえたラッキーストライクの灰を振り落とした。

「この前の分返して」
 ジルバでも踊っているかのような足さばきで、キャリーは男の歩調へ器用に体を合わせる。相槌と疑問の中間地点から放たれる呻きが気に入らなかったらしい。こちらから掴めば簡単にへし折れそうな腕はますます強固に絡みついた。
「50ドル。3週間くらい前に」
「ああ」
 この地域にたむろしている他の娼婦とは違い、彼女はむやみやたらと唇を尖らせない。あの表情は、濃くなったほうれい線を隠すために女という生き物が開発した形而学上ちゃんとした意味のある顔の動きだ。
 だがパパ・ナイジェルの元に身を寄せてまだ1年ほどの彼女は、繕わなければならないようなとうが立っていないし、心も必要以上に汚れている訳ではない。
 今とて媚び諂いながら相手の何かを奪おうと企んでいるわけではなく、下がった眉尻は純粋に困惑と懇願を表現している。
「そうだっけな」
「そうよ。催促したくないんだけど、今お金がいるの」
 二人の間に横たわる親子ほどの年の差は、ベッドの外での駆け引きをひどく単純にする。Tシャツ一枚隔てただけの平らな胸を押しつける事に何ら躊躇せず、腰骨には腰骨を、腕には腕を。元来が憂いを帯びた面立ちは今この瞬間、ごちゃごちゃとした裏通りの中で目にしても静閑な品を醸し出しているのだ。
 このまま表へ引きずり出されたところで、何とも思わないのだろう。実際付いて来かねないのが恐ろしく、ラビーは小さく唸ってポケットの中へ突っ込んだ手を一度握りしめた。
「細かいの持ってないんだ」
「明日ライブへ行くのよ、オフスプリングス見るの」
 子猫がじゃれつくようにして、こめかみを頬へ押しつけすり寄る。あまり洗わない髪が堅い動きで存在を主張し、焦れ、迫った。
 ラビーはため息をつき、女の平べったい腹を見下ろした。昼間のカサヴェデス通りは蒸し暑い。表通りではそろそろ涼を帯び始めた風も、この通りでは入って数メートルまで届けばいい方だった。
 本来は男と女が腕を組んで歩くような情緒でも気温でもない場所で彼女の見せる表情も、この場にそぐわない至って真剣なもの。辟易とさせられる。
「バス代が足りなくて」
「ナイジェルの許可は下りてるのか」
「そんなことで文句を言うようなパピーじゃないわ」
 膨らんだ胸から押し出されるのはラズベリーのような甘酸っぱい口臭。仕方なく、固めた拳の下で蟠っていた10ドル札を掴んで女に突き出した。途端に二の腕から離れていった手は皺だらけの金を自らの領域に引き入れ、丁寧に5枚数えてから残りを突き戻す。ぶつける肩は愛想のつもりなのだろうか。ラビーは視線を外し、口元だけに薄い笑みを引いた。
「余裕しゃくしゃくだな」
「そうでも」
 短いパンツの尻ポケットへ金を押し込み、キャリーは目を伏せた。
「でも遊びには行きたいわ」
 なじみの顔を見つけたのか、体はあっさりと離れていく。薄暗がりの中に飲み込まれる、青く固い林檎のような尻。
 目で追いかけて浮かんだのは名残惜しさではなく安堵だった。周囲の手前タフガイを気取っているが、いい加減娼婦相手にはしゃぎ回る年齢でもない。 



 大通り、潜り込んだ光に目を細め、車の多さにうんざりする。日曜日のバースキン通りは車道も歩道も、数ブロック先のメイシーズから流れてきた客が我が物顔で闊歩している。
 近頃このあたりは小洒落たレストランや屋台が並び、通り一つ隔てた場所で最初から居着いているものたちが身を縮こまらせる姿は哀れさすら催した。安息日のユダヤ人でもかくやというくらい、息をひそめて休日をやり過ごす。

 新興移民がもうもうとした煙を以て焼き上げるケバブの匂いが排気ガスと混ざり合う。人口密度が高いから、屋台へ近づいた時こそ強烈な香ばしさを与えるものの、少し離れるとそれは人の体臭に紛れてしまった。
 そろそろ気配を感じる北風は様々なものが混ざりあい、人間には分からない燻る匂いが休日の午後を汚している。


 数年前に掛かった蓄膿が完治していないラビーには、鼻を通って腹に落ちるものを漠然と受け流すことができた。他の大衆と何一つ変わることなく、誰かの肩から一インチ先をすり抜けていく。
 おみくじクッキーの入った紙箱を片腕に抱え小汚い中華料理屋の前に佇んでいた男が、丸い、鳩を連想させる瞳をちらと投げかけた。同じだけの時間、黒い瞳を見つめ返したラビーは、そのまま店の前を通り過ぎる。数秒もしないうちに、意志の強い人間特有の確固たる足音が隣に並ぶ。それはどれほどのやかましさでも、紛れたり消えてしまうことは一切なかった。



 視線がかち合った際ジョイがほんの僅かに眉を顰めたのは、おそらく気の抜けたラビーの格好によるものだった。てろりとした化繊のスポーツシャツとチノパンだけの服装は、きっちりとスーツを身につけた彼の神経を逆撫でしたらしい。以前訪れたキューバですら、仕事の際はネクタイを緩めなかった男だ。
 確かに彼は正しい。デベロッパーを自認し、なりきっているのであれば。

「何のつもりだ、あのデータ」
 出会い頭、ジョイは冷たく言い募った。小脇に抱えた白いテイクアウトの箱が脆弱に軋み、中のクッキーが音を立てる。
「5歳の子供に撮らせた方がよっぽどましだ」
「生体解剖って趣だな、たぶん」
 鳴らされた鼻から押し出された空気が、二人の間の体感距離を広げていく。ラビーは黙って肩を竦めた。年長者への敬意も知らず、覚えるつもりもない男の顔など見つめ返してやらない。
 その動きを何だと勘違いしたのか、ジョイの口調はますます険を帯びる。
「やるならせめて質を維持させないと。金を払ってるのは破廉恥な連中だ。暇を潰せないと分かったらすぐに手を引くし、下手をしたら通報する」
「そこまで馬鹿じゃないだろう」
 胸ポケットに手を突っ込もうとして、この通りが路上喫煙禁止であることを思い出す。親に手を引かれて自らの膝下を行き交う澄ましたクソガキ、手を繋ぐ若いカップル。ファミリー向けは面白さの対義語だった。
「自分からムショ行きに?」
「司法取引と金次第だな」
 憮然とした口振りには、おそらく同じやるせなさ。そう思ったら少しだけ腹の虫もおとなしくなる。
「どいつもこいつもそれを持ってる連中だ」
「客は選べよ」
「選んでる」
「見極めが甘いんじゃないか。それがおまえの仕事だろうに」
 ここぞという上からの目線にも、右肩の半歩斜め後ろからは何も反発は返ってこなかった。


 もっとも、今回の「データ」が酷かったことはラビー自身も認めるところだった。マッドサイエンティスト、ぐんにゃりと力の抜けた女の死体、じわじわと広がる血だまりとしまりのない内蔵。金を返せとねじ込まれれば、言い逃れのしようがない。
 だが一体誰が同情するというのだろう、引きずり出されるはらわたの量が足りないからと言って怒る連中に。

 一定の沈黙を受け取った後、ラビーは歩調を僅かに緩めた。
「それにまあ『お楽しみはこれから』だろう?」