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Twinkle Tremble Tinseltown 10

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「君の元後輩から電話が。セント・ゲイブリエルのバラバラ死体について」
「しつこいな、奴も」
 女を失うことは官憲の犬の宿命なのか。妻に逃げられた傷心で職を辞し、調査員などと言うくだらない仕事を続けている男の顔を思い出し、深く息をつく。
「何で直接俺に掛けてこない」
「君のデスクの上で鳴ってた携帯電話に出たら怒られたよ。三日前から10回以上掛けてるって」
「いちいち確認してられるか、こっちは公認会計士じゃないんだ」
 電話口で肩をすくめているのであろう男はその点とても賢い。血の匂いと心の中に溜まる澱で理想のマイホームを汚したくないならば、最初から作るべきではないのだ、そのようなもの。
「検視結果についてもう一度確認したいって言うのが建前」
 軽いとは決して言えないため息一つ漏らし、アウトは一度言葉を切った。ビフが車のキーを掴んだとき、彼はまだ古いパソコンのモニターを睨み付け、溜まりに溜まった報告書を片づけていた。何せ相棒がその手の事務処理に全く役立たないとは経験で痛いほど知っている。

 もしかしたらまだ署に残っているのかも知れない。改めて湧き出た罪悪感は、酒に乾いた喉を一層ひりつかせる。
「本音は」
「話をすることそのもの。彼の推理では、彼女、スナッフ・フィルムに使われたらしいよ」
「スナッフ」
「女を犯して殺す映画」
 もともと静まり返っていた部屋は、端的な説明の後完全に口を噤んだ、らしかった。何かがきいんと鼓膜を張りつめ震わせる。 
「えげつないことする奴もいるもんだな」
 もっとも厳粛さはほんの瞬きする間だけ。イエローペーパーの煽り文句ではないが、本当にブラック・ダリアの如くばらばらにされていた亡骸を思い出してみる。
「念のためもう一度説明しておいたよ。遺体が切断されたのは死後6時間以上経ってから。死因はバルツビールの飲み過ぎ。誰かが彼女に関してで何か引っかかるとしても、それは多分異常な愛情についてだって。エド・ゲイン」
「何だって」
「死体をバラして喜ぶ奴」
「変態のことか」
 先ほどからずっと眼を大きく開こうと懸命に努力しているのだが、熱を持った瞼は勝手に細まるばかり。それは眠気ではない、少なくとも。いっそ来てくれても良いのにと思うが、意識は松明に照らされたかのごとく白々と冴え渡っている。
「でも彼には会った方がいい」
「何で」
 分厚い掌で頭を掻きながら、ビフは唸った。
「あいつの興味はわかりきってる」
「モンタナ通りの刺殺事件について知ってることがあると」
 何も見えていなかった瞳が、勝手に見開かれる。思わず背筋を伸ばし、ビフは声を張り上げた。部屋の中で鯨のように横たわっていた静けさに、大きなひびが入る。振り落とされるようにして、足がガラスからフローリングの上へ落ちた。
「くそったれ、どうしてそれを先に言わない!」
「彼の厚かましい態度に腹が立ってね」
 あくびでもしたのか、ごう、と砂嵐が受話器の向こうから神経をひっかく。
「先にそっちを愚痴りたかったんだ」
「くそったれ」
 同じ罵りを口の中で呟き、体からソファを引き剥がす。
「今から奴の事務所に行く」
 背もたれへ引っかけたままだったジャケットを鷲掴み袖を通そうとする動きは、まるであらかじめ体にインプットされていたかのようだった。臭い、喉の奥をざらつかせる街の匂いが左半身を包む。がなり立てるのに近い声で、ビフはしゃんと芯を持った足腰で電話代へと近付いた。
「お前も来い、確かホテル・ガリオンだったな、シュレイダー通りの」
「10時半に会うって確約を」
 顎と肩で挟んだ受話器の中で、声が甲高く攪拌される。
「レッドスナッパー・ダイニングで」
 小銭入れに突っ込んだ指先は、金属同士のぶつかり合う固い音を一度立てたきりで動きを止める。
「落ち着きなさいよ、今何時だと思ってるの」
 二時半、との告知は殆ど呟きのようで、柔らかいのに耳の奥へ容赦なく押し入る。

 再び勘に障る音を立てる1セント、5セント、10セントの山から手を引き抜く。結局見つからなかった家の鍵。屈めた腰をようやく戻し、受話器を持ち直した。
「何だか張りつめてるね。寝起きだった?」
「違う」
 徹底的に掃除を怠っているフローリングは、ただ立っているだけでも靴底へざらつきを感じることができる。返事と裏腹に、ビフは短く刈った髪が跳ねるほど乱暴に首を振った。
「何もない。そのダイナーはどこだった」
「確かヒルサイド通りだったかな」
 アウトの声に宿る探るような色にようやく気づき、舌打ちを一つ。どうやら聞こえていたらしい。
「行けば思い出すよ。こじんまりしたところだった」
 あやす声色は会話を終えたがっている証。改めてビフは電話の本体へ視線を走らせた。2時36分。ディスプレイは光っているのに寒々しい。
「分かった」
 そのまま視線を外すことなく、受話器を本来あるべき場所へ戻す。最後に相棒が何か言っていた気もするが、別に問題はないだろう。あるならば車の中で聞けばいい。時間はある、嘆かわしいことに。


 乱暴に接続を切る音が耳から消える暇も与えず、ビフは一歩踏み出そうとした。だが足は地団太を踏むような形で止まる。どこへ行く必要があるというのだ。羽織り、中途半端に袖を通したジャケットが背中へしがみつくのが鬱陶しい。腕を抜けば、現れたワイシャツに幾重もの青白い輪がくっきりと浮かんだ。
 縞に捕らわれたままの左腕を伸ばし、ブラインドを閉める。ようやく部屋がほっとため息をついた。

 しくじたる思いは消えない。消すこともできない、ただ奥深いところへ押し込むだけで。気づけばしていた歯ぎしりは、不要に苛立ちを募らせるだけだった。
 視界の端でディスプレイが光を消す。些細で不快だと思っていた輝きは、いなくなることでその存在を誇示した。だがそれがどうしたというのだろう。今の彼に必要なものは何もなかった。

 声にならない声で低く唸り、ビフは床に散らばった皿とグラスを拾い上げた。