見栄プリン
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病院からの帰り道、五稜郭でタクシーを降りてから家までチアキと二人で歩いていた。両親は病院に泊まり、チアキと私は家に帰ることになったのだ。凍った雪道を寂々と踏みしめながら産業道路を横切り、亀田川の方へと歩いていく。病院を出てから、二人の間に会話はなかった。
やがて橋の上にさしかかると、私は後ろを歩いていたチアキに振り返った。うつむき、憔悴しきった様子のチアキが私の前で立ち止まる。
私は、チアキを慰めるために「元気を出して」と声を掛けようとして、ふと、咄嗟によぎった考えにためらった。ここでチアキに元気になって欲しい、と願っているのはいったい何の為なのだろうと考えてしまったのだ。
ここで、チアキが言葉通り、元気になったとして病院で眠っている姉はどうなるのか。悲しまれることもなく、捨て置かれるのだろうか。元気になったチアキはどうするのだろうか。姉を捨て置くのだろうか。今までのような表情を浮かべて、なんでもないように学校へ登校するのだろうか。
その想像が与えるあまりの違和感に、私は言葉を紡げなくなった。チアキに元気になって欲しいという想いは本当でも、元気になられても困ると気がついてしまったのだ。そして、同時に、私はそんなディレンマを超えてでもチアキに元気になって欲しいと願う気持ちがあることに気がついたのだ。
ああ、なんてくだらない。自分の浅ましさに思わず絶望を覚える。
なんてことはない、ただの恋心なのだ。唾棄すべき、私の一番どん欲な部分が、邪魔者が居なくなったと喜びざわめいていただけなのだ。
姉の隠し事が気になっていたのも、二人が自分に知らせてくれないのにいらだっていたのも、全てこのくだらない想いが私を突き動かしていたに過ぎないのだ。理性が語る。状況を理解せず、姉が傷ついたことに涙も流さずにいた不実をどう謝罪するのかと。どう謝罪すべきなのかと。姉は今も目を覚ましていないのに。目を覚まさないかも知れないのに。
悲しむべき時を逸した私はどうすべきなのだろうかと、今更ながらに途方に暮れた。
目の前にチアキが立っていた。立ち止まり、向き合ったのに何も言わない私をいぶかしげに思っているのか、充血した目をこちらに向けている。
私は姉が好きだ。大好きだ。どうしようもなく大切な人だ。生まれてからずっと一緒にいた人だ。そんな人を裏切りたくないという想いは、けれど、くだらない衝動の前にはもろくも崩れ去る。
私はチアキが好きだった。どうしようもない想いだ。姉と幼なじみの彼が心を通わせているのを横から眺めていただけなのに、心の奥底にどうしようもなく澱んでいた。気づかれることなくひっそりと、私の行動に影響を与え続けていた。姉はもしかしたら気づいていたのかも知れない。気づいていたからこそ、告げられなかったのかも知れない。
哀しい切なさが一挙に溢れ、心の器を冷たい液で満たす。揺れ動く度にこぼれ落ちるそれの、飛沫の一つ一つが心を苛んだ。その、心の潮騒紛らわすために、私は一歩を踏み出し背伸びをした。
チアキの唇に己のそれを重ねる。
なんの味もしない。感慨も何もない、空虚な口づけだった。唇を離すと、呆然としたチアキの表情が目に映った。
数瞬の後、我に返ったチアキが伸ばした腕の間をすり抜け、体を離すとそのまま私は走り去った。