見栄プリン
†
翌日、土曜日。姉が交通事故にあった。
チアキと待ち合わせていたところに凍った路面でスリップした車両がつっこんだらしい。チアキは軽い擦り傷ですんだが、直撃した姉はレスキュー隊に救助されるとすぐに集中治療室に運ばれた。
病院から呼ばれ、待合室へ向かうとチアキがそこにいた。こちらに気がつくと、すぐに立ち上がり、冷たいリノリウムの床に膝をつけ、額をこすりつけた。ごめんなさい、と何度も絞り出される言葉が冷たく病院の廊下に反響している。母がなんとかなだめすかし、立ち上がらせベンチに座らせるまで、チアキは泣きながら謝罪を続けていた。
医者の説明を両親が受けている間、待合室にチアキと二人きりになった。
うなだれて、ごめんとつぶやき続けているチアキを見つめる。姉が事故にあったというのに、私は泣きわめくでもなく、酷く冷静だった。
チアキが泣きわめいているのを見て、「ああ、こんなに姉のことを好きでいてくれたのか」と、姉を心配するでもなく、見当違いなことを考えてすらいた。姉よりも、目の前で絶望しているチアキの方がよほど心配だったのだ。
「チアキ」
名前を呼びながらそっと手を背中に添える。なんと言って慰めようかと考え、少し迷ってから告げた。
「泣かないで」
なんて安っぽい言葉だろうと思うが、切迫した人を見かけたときにほどこういう言葉の方が想いを伝えやすい気がした。とんとん、と背中をなでさすりながら繰り返し告げる。
「泣かないで」
チアキは反応を示さなかった。膝の上に肘をつき、頭を抱えたままうなだれ続けていた。
暫くして、両親が医師の説明を終えて診察室から出てきた。そのまま、二人ともベンチに座ると一言も発さずにいた。口をつぐんだ父の表情も、憔悴した母の顔も、ただ疲労以上の何も語ろうとはしなかった。
やがて、治療を終えた姉が運び出されてくるのに付き添い、病室へ移動した。キャスター付きのベッドから病室のものへと移し替えられ、点滴や心電図などが手際よく設置されていくのを見届けてから、初めて事故にあった姉の顔を見た。頭部に傷を負わなかった姉の頭には包帯などは巻かれていない。ただ、いつもよりも穏やかに眠る姉の静かな顔がそこにある。心電図の電子音が耳の奥で響いていた。
人が死ぬときはこんな表情なのか、と姉を見下ろしながら思う。点滴を腕につながれた姉の姿は、すでにこの世の人でないように見えた。白いベッドシーツや掛け布団がそのまま白装束に思えた。不謹慎な考えだと自分で自分の考えをなじるが、一度心に芽生えた錯覚は暫く消えることはなかった。入院の手続きを終えた両親がチアキと共に病室へ戻ってくるまで、私は死人とともに最後の時間を過ごす心地で姉の様子を見守っていた。