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田 ゆう(松本久司)
田 ゆう(松本久司)
novelistID. 51015
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みちくさ(前編)

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(8) 鳥獣害防止事業補助金制度の虚々実々
 ある事業に対して補助金がでるのかでないのか、でる場合でもそれを知っているのと知らないのとでは財布の中味の問題よりも気分の問題に関わってくる。電牧柵設置に関する補助金申請の過程で二者の対応がこうも違うものかと痛感させられた。二者とはひとつは市役所でありもう一つは農協である。電牧柵設置に関する補助金の交付についてはすでに聞いていたが、まず資材の購入先である農協でその旨を尋ねた。担当者曰く「農協ではそんな制度はなので市役所で聞いてみて欲しい」。そこで市役所へ出向き担当課で申請の手続きを聞きとり、必要書類を揃えて提出したところすぐに交付承諾書が届いた。その際、市の職員から補助金に関しては農協にもその制度があるので尋ねてみたらというアドバイスを受けて再度農協へ行きその旨を話すとやはりそんな補助金制度はないという。二度の拒否回答を受けた以上補助金を諦めざるを得なかった。
 さて、電牧柵設置工事が完了したので市役所に補助金交付申請をしたところその週のうちに交付する旨の通知を受けとったが、これは一種の驚嘆に値することである。こんなに早く対応できる役所仕事の意外性に深く感銘したのであった。ところがである。先の市の職員から農協の補助金申請の経過について問われたので、そんなものはないと言われたことを告げたが、不審に思ったのか農協に問い合せをしてくれた結果、補助制度があるよという連絡を受けた。
 どうなっているのだ。農協が農家のためにあるのではないということは学生時代に学んだ。良識のあるものは皆そう考えていることも知っている。農協担当者はなぜ私を騙そうとしたのか。知らなかった、で済めば警察はいらない。百姓を一商品に見下す農協職員の体質が垣間見られる。さて農協へ申請書を提出したものの、審査結果がこの先どうなるのかワクワクする今日この頃である。 (後日、補助金として購入資材費の5%相当分が振り込まれた)

(9) 捨ててしまえ
 私のブログID(アカウント)はhougeである。これは放下着(ほうげじゃく)から来ている。禅の教えでは「何もかも捨ててしまえ」という意味である。生きるための極意であるから命まで捨てろと解釈しないほうがよい。この言葉は伊深にある正眼寺の山川老師から学んだものである。学んだというより新聞紙上に連載された老師の記事からのパクリという方があたっているかもしれない。
 ブログのIDを決めた当時はそのような気分が漂っていたからに違いないが実際に捨てたものは何もなかったように思う。そう簡単に何もかも捨てられるものではないが、時としてこのような気持ちに浸ることは誰にでも起こる事実であろう。そこで実際に山川老師のお話を聞くために正眼寺が主催する夏期講座に参加した時のことが思い出される。
 2日間の短い日程のなかで老師(正眼短期大学の学長を兼ねる)の講義を聞く機会があったが、ありがたい話の内容は今はもう覚えていない。しかし強烈に覚えていることがひとつある。坐禅の時間であったが、通路を静かに巡回する雲水から謦策で背を叩かれたあの瞬間の快感は今も忘れられない。姿勢が悪くて叩かれたのではなくこちらから雲水に合図(合掌)をして叩いてもらったのである。全身への痺れが数分間持続した「無」への境地がこの講座の唯一の収穫であった。受講料に換算すれば一打五千円、二打で一万円に相当するが十分に元が取れた思いがしたものだ。

(10) 最寄りの駅がない
 小学校6年2組のクラス会に大阪へ出かけることがよくある。どの学年にも同窓会なるものがあるがこのクラスほど仲間の結束がつよい学級は他にない。それはひとえに担任教諭の人徳によるところが大きい。すでに先生は他界されたがあの世でもクラス会が開かれているという噂は本当らしい。あちらのクラス会では、いつでもこちらから参加することができるもののもう少しこちらの方に留まりたいという仲間の気持ちを察して無理には誘わない方針が取られていると聞く。しかし、徐々にあちらの会が賑やかになってゆくのは道理であり、そう考えるとみんなに会える機会が近づいてくるだけの話に過ぎない。
 さて、この世のクラス会での話であるが、今どこに住んでいるのかを問われたら最寄りの駅もない田舎だと答えると皆の興味がどっと湧くらしい。まさか地の果てに住んでいるとは思わないだろうが想像するだけでも面白いに違いない。最寄りの駅を徒歩で10分程度の距離にある鉄道の駅だとすると、私の小学校区には4つ存在する。JR阪和線の南田辺駅、南海平野線の田辺駅、近鉄南大阪線の北田辺または今川駅、そして地下鉄御堂筋線の西田辺駅である。その後南海平野線は廃線となり現在は地下鉄谷町線がその下を通っている。東西南北の田辺の駅があるという居住環境で育った彼らにとって最寄りの駅がないというのは確かに興味が湧く話に違いない。
 しかしである。かれらは自分たちが都会人であるとい驕りも田舎者という侮蔑も何らもたない。田辺の地はほんの少し前には田舎かまたは地続きの田舎であったことをよく知っているからである。彼らの興味とはそんな郷愁に近いもがあったのではなかったのか。今この地に住んでみて少し分かるような気がするのである。