みちくさ(前編)
(11) トンデモ ‘マルクス’
自主レポートを提出させるにあたって「何を書けばいいのですか」という学生に対して次のような御託をならべることにしている。「恋愛は誤解に始まり誤読は創造に連なる(出所不明)」、だから君らの疑問に思うところを余すところなく書きつづればそこにレポートの価値が生まれるはずだ。誤読とは書物に限らず雰囲気(空気)を読む場合にも使われるが、そう言っても学生にはイマイチピンと来ないらしい。そこでカール・マルクスの登場となる。
誤読の天才として知られたマルクスは誰もそんなことを言っていないのに言ったと主張しそれらを批判し論破して大著資本論を世に出した。これが事実としたらとんでもない輩であるが結果的にマルクス主義というイデオロギーを創造した点は認めざるを得ないのではないか。と説明を加えても学生の目はあらぬ方向を向いたままである。
学生諸君はどうやら御託の前段のフレーズに注意が集中しているらしい。そこで次のように御託を再開する。恋愛は100%の誤解に始まる、と。学生から一瞬のどよめきが起こる。講義の要は如何にして学生を睡魔から呼び覚ますかということにある。だから100%といえば動きの鈍くなった脳細胞を活性化させることができるはずだと読んでのことだ。いよいよこの話の結論に入る。
そこでざわめく学生たちに次のように御託を続ける。100%の誤解から始まるが100%の誤解で終わるとは言っていないと。少しは静かになったような気がするがまだ十分には理解するに至っていないようだ。御託の真意は「恋愛は誤解に始まり創造に連なる」と後ろの語句にかかってくる。だとすると誤解に終わらないように真実の愛を創造していくことが問われていると解釈すべきであろう。
(12) それが何だと言うのだ
ブログを書き始めて最近気づいたことであるが、PR欄に次のような表示が常時出るようになった。法務省のPRであるが、「そのカキコミ、誰かを傷つけてない?書き込む前に考えよう」とか、「つらいカキコミに悩んでいたらまずは相談」とか、人権イメージキャラクターの絵を使って大きく表示されるようになった。それを横目で見ながらあれこれ書き込んでいくわけだが、その途中で「ちょっと待ってくれよ」と言いたくなる。
常識的に考えれば、私個人に対しての忠告というより書き込みをする人全般に対するメッセージと受け取ればそれでいいのであるが、そうはいかないところが気に食わないのである。ひょっとすると、私の書き込みの中に人権侵害にあたるところがあり、誰かがそれを吹聴したことで管理者が警告替わりに掲載しているとしたら憤慨せずにはおれない。管理者だってこんなPRを出しても一銭の得にもならないので即刻取りやめたいはずであるが。
憤慨する理由は次の通りである。私は社会に対して批判があれば当然の権利として書き込むが、個人を標的にして貶めるようなことは一切書き込んだつもりはない。問題は次のような点にある。それは、いわば社会法則とでも言えるもので人間が社会的動物である限り、書き込みにより誰かが悪影響を受けることは避けられぬという事実が存在すると言うことである。
すべての事象には表と裏があり、光と影があり、立場を変えれば善にも悪にもなる。こんなことは常識で誰でも気づいていることであるが、いかに正論を述べたとしてもその書き込みが誰かに負のイメージを与えずにはおれないはずだ。それをもって人権侵害などと訴える人間は大局を見ない軽率者であると言わざるを得ない。なぜなら、そんなことは日常的に、国際社会においても個人の周りにおいてもいくらでも存在しているではないか。
結局のところ、私はこんな法務省のPRはさっさと消してしまえと直訴しているのではなく、かつ私には関係がないから出すなとも言っていない。むしろ、チラチラ画面が変わる商業ペースの動画が、嫌でも目に入ってくる仕掛けよりは余程この手の広告の方がましである。私が言いたいのは、誰かを傷つけずに書き込みなど出来る訳がないのでいくら忠告されても無駄ですよ、それより無理な忠告はお辞めなさいと言いたいだけである。
作品名:みちくさ(前編) 作家名:田 ゆう(松本久司)