小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
田 ゆう(松本久司)
田 ゆう(松本久司)
novelistID. 51015
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

小百姓の論理

INDEX|4ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

(10) 百姓の醍醐味とは何か、いくつかの答えが返ってきそうだが私は自然との一体感(共生)を通して自然の摂理を認識することだと考えている。その認識をもとに人間の生き方の矛盾を明らかにし、それを糺すことができれば百姓冥利に尽きるのではないだろうか。いま、いちじくの木の生育過程からそれを学ぼうとしている。
人間の合理精神など極論すれば人間世界だけに通ずる道理に過ぎない。その合理だって思考の回路を巡って生まれてくるものではない、それは単なる論理に過ぎない。合理は習慣や伝統に照らし合わせて矛盾しないばかりかその元になっている習慣から生まれ出てくるといえよう。またその習慣はその元になっている自然の摂理から生まれたはずである。私たちが習慣としていることは本来自然の摂理に基づいたものであるが、それが現代社会では大きく捻じ曲げられている。
現代医学は研究の斬新さに向かって馬車馬のようにひたむきに走っている。その研究目的は医療の可能性を追っているかのようであるが医療の目的からは大いに逸脱し始めている。自然の摂理を科学的に追求しようとする優れた研究もあるがそうでないものが多い。ロトのコマーシャルに「お前の夢は金で買えるのか」とあったが「お前の命は金で買える」なんて、公然と言っているようなもので破廉恥極まりない。
現実はこうである。いちじくの木が1本枯死した。もとの苗木が根付かず枯死した2本のうちの1本で、切り取った枝をプランターで育てたものをその後移植したものだ。原因はともかく枯死に至ったのは自然の摂理に拠るものであることは間違いない。

(11) かつて西三河地方で栽培されていたダイズに「矢作」という在来品種があった。茶色の毛が密生しているので赤く見える矢作には背が高く真直ぐに伸びる正常型と背が低く茎が屈曲している矮性型がある。メンデルの遺伝法則に従うということだから正常型が本来の品種で突然変異で矮性型ができたと考えられている。
ところがある大学院生がこの矮性型の種子をアメリカの遺伝子銀行から入手して我が国で栽培実験したところあの矢作の再発見につながることになった。元々アメリカの調査団が日本から持ち帰ったものが里帰りしたというわけだ。
矮性型の種子(aa)に正常型の遺伝子(A)が含まれないので正常型(AA,Aa)が出現することはありえない、とすれば一面に背が低くジグザグに屈曲した矢作が生い茂ることになるが、自然の摂理は何かを契機として再び正常型と矮性型のバランスのとれた自然状態へと導くに違いない。
さていちじくの話に戻すと数本の木にさび病が発生した。葉の裏側に錆色の斑点が現れて数枚に伝染している状況が目視される。糸状菌による感染が原因で暑い8月頃から増殖して放置すると早期に落葉させてしまうようだが農薬による駆除が可能なので早速ラリー水和剤を取り寄せることにした。
いちじく栽培暦によるとさび病に対して時期別に違う種類の薬を散布するように記載してあるがこれは暦を発行しているJAのいつもの販売手口であって本人が自由に判断すればそれでいいと思うがそれにしても、もう少し疫病管理マニュアルを簡略化できないのかとJAに苦言をいっても仕方がないのかな。

(12) 百姓天国が全盛期だった頃、二度の夏を過ごしたインドネシアの農村で見た稲刈りについて投稿したことがあった。正確には稲刈りではなく穂刈というもので手に包み込んだ小さなハサミで穂を切る音があちらこちらで優しく聞こえていた。わが国のように動力機械による稲刈りに比べゆったりとした時間が流れていくようで気持ちが和んだ記憶がある。
ある若い神職の方が私の記事に感銘されたらしくご自分の近況を手紙で寄こされたがその中でちょっと面白い表現があった。「出る杭は打たれるが出過ぎる杭は打たれない」と、神職でありながらジャズミュージシャンであることに対する世間の風当たりをかわす方途を自分なりに獲得されたのかもしれない。いまはどうされているかは分からないが出過ぎる杭は引き抜かれることがあるのでその点が少し気になっている。
さて話をいちじくに戻すと自分の浅はかな行為を恥じなければならない。さび病が目視で数本のみに発生したと思っていたが大半の木の葉に錆色の斑点が見られるようになった。早速取り寄せた農薬を撒いて様子を見ることにしたが、私の読みの過ちが二箇所も重なることになった。一つは葉が昼間垂れたように下を向いているのは蒸散を少なくする自衛の手段かと思っていたがそうではなく糸状菌(かび)の増殖による苦しさを表現していたのではないか。よく見ると葉が巻くように反り返っているのはその証拠であろう。
二つ目はさび病の原因をかびによるものと単純に考えたが本当の原因は私の管理作業にあったのではないか。果樹畑は草がよく生えるので何ども草刈を行わなければならない。数列に交互に配置された畝と耕作道に生えている草をひも式刈払機で刈るといちじくの葉全体に草切れや土埃がかぶるがこれを半ば放置した状態のままにしておいたことが菌の発生に輪をかけたのではないか。改めて栽培管理の難しさを思い知らされいちじくに申し訳ない気がしている今日この頃である。