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田 ゆう(松本久司)
田 ゆう(松本久司)
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小百姓の論理

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(4) 「人間は生まれながらにして平等である」フランスの人権宣言(18世紀)に高々と謳われ我が国の憲法にも明記されている事項である。ただしこのフレーズが誇張であることは人権宣言の前文からもわかることで生まれた時の差異(不平等)にあたる事項は如何ともしがたいのである。つまりこの宣言は法の下での平等を説いたもので生まれ落ちた後のことを言っているに過ぎない。法といえども自然の摂理を曲げるわけにはいかないことを物語っている。
その自然の摂理は厳しいもので生きとし生けるものはある意味で障害をもって生まれざるを得ない。健全な創造物などこの世にないと思えばいいのであってそのことをいちじくの生育過程を通して立証しようなどと馬鹿げた妄想を抱くことによって栽培管理を途中で放棄しないよう予防線を張ってみることにしたのである。
さて話をいちじくに戻すと30本のうち2本が枯死、14本が生育正常、14本が生育未熟であるが全く同じような栽培管理の下で植えつけたものであるにも拘わらずこうした違いが出てくるのはなぜか。土壌条件や灌漑排水条件なども同じであるのにこのように生育過程に差が出てくるのはなぜか。私の手に入る以前の苗木の段階で生命力に差が出たのであろうかあれこれ考えてみるが全然わからない。
これが人間のケースなら大問題になるところであるがいちじくだからどうでもよい話で終わりそうだがそれでは面白くない。栽培管理のまずさを棚に上げて屁理屈を付けようと考えているのではなく植物であってもみなが同じような生命力をもって生まれてきたのではないことを明かしたいだけのことであるが。

(5) 映画「ぼくは海が見たくなりました」に出てくる未成年のぼくは自閉症を患った障害者として登場してくる。面白いと思うのはある確率で障害者が生まれ、そうでない場合が健常者であるという設定で障害者を特別扱いしない点である。つまり、健常者でない人が障害者であるというこれまでの常識を覆し、障害者でない人が健常者であるという。私はこのロジックに深く感銘を受けたばかりか、これこそが真理であると後になって確信するに至るのである。
また未成年のぼくはいわゆるアスペルガー症候群で、ある面では健常者よりはるかに高い能力を持っていることを印象づけるがその病状から社会性という問題を抱えているという常識的な見方もされている。
ところがこの映画のクライマックスは自閉症患者の特徴とされる自己中心癖を見事に転換させて相手(他人)の気持ちを汲み取り独特なやり方でそれを実行させてみた点である。健常者にはおよそ考えもしないようなことが障害者にできるというシーンからは障害者と健常者との区別すらない。
さて話をいちじくの木に戻すと発育正常の木と未熟の木との生育の差は歴然としているがこれからの生育でその差が縮まりあるいは逆転する可能性は否定できない。さらに発育正常の14本においても生育の差や進度の逆転が出てくるだろうしそれが結実数になって現れてくる。かの映画の視点に立てば発育正常と未熟の差は問題ではないのかもしれない。未熟だからいって生育を急ぐあまり施肥の回数を多くしたりする必要もないということだ。ただしこのことは百姓の一般常識からは逸脱していると思えるが・・。
百姓はいつまでたっても1年生であるというのは試行錯誤を続ける百姓の後ろ姿を指しておりその背中には古くなったランドセルが背負われているのである。

(6) 自然の摂理のごく一部を解明したメンデルはエンドウ豆の実験結果からその形状が丸いものを優性が、しわのあるものを劣性が発現したとする有名な優性遺伝の法則を提唱した。つまり優性遺伝子Aと劣性遺伝子aを有する個体Aaでは優性の方が現れて丸いエンドウ豆ができるというのである。
純粋な親同士AAとaaからはしわのある豆は生まれてこないが子供はすべてAaなので子供同士をかけ合わせるとaaをもつしわのある豆が生まれてくることになる。以上は中学校で習う理科の内容であるがこの法則に疑問を持つ子はいないだろうか。
個体Aaでは優性が現れるのが自然の摂理だとするのを否定するわけにはいかないが、我々の世界ではAaの両方の因子があればミックスタイプか逆に劣性の方が現れても良いと考えるのが普通だ。また時としてXxなる得体のしれない個体だって生じうる可能性も否定できない。たとえ法則通り常に優性が現れても潜在因子としてのaが、いつかどこかで発現の機会を狙っているはずだ。
そこでいちじくの木に立ち戻って考えると、それぞれの親から遺伝子を受け取ってその結果どのような性質をもつ個体になるか知る由もないが、試料数30本のうち枯死2本、発育正常14本、発育未熟14本という現象は遺伝の法則(苗木自体に原因がある)で説明できるものなのか単なる栽培管理の誤差によるものなのか、これからの生育過程を通して明らかにしていきたいなどとあらぬことを考え始めているが、誤読は創造に連なることも逆理だから暇つぶしにやってみようと思う・・。