小百姓の論理
小百姓の論理
(1) 水稲栽培を細々と14年間続けてきたが昨年の収穫を最後に米作りをやめることにした。身体がエライと言ったら「まだ若いくせに」と年寄りから笑われるがとにかくキツイのである。ウリカワが一面に蔓延る湿田に足を突っ込んで草取りを数日も続けると気力が失せて除草剤に頼るようになる。
それでも米作りを始めた頃は田んぼに足を突っ込んだ姿を思い浮かべながら「これこそ自然との共生だ」と粋がったこともあったが今では唯ゝ虚しく思うようになってきた。そこには米作りの仕事が省力化・機械化によって大きく変わってきたことが要因として挙げられ、百姓はこの世で一番高い米を食っているという所以である。
農協や農機具メーカーに貢ぐのをやめようと決意し水田を畑に変えた。畑に変えて何を植えるのかということはすでに決めていた。それがいちじく栽培ということであるがこの辺りではあまり見かけない。転作作物としては珍しい作物ではないしこの地での生育環境が良くないというものでもない。
にもかかわらず関市ではいちじくは転作奨励作物から除外されているのはなぜか。考えもつかなかったのだろうか。転作奨励作物を調べると麦類など一般的な作物の他にパッションフルーツなどおよそ適地とは思えないような亜熱帯の作物が対象となっている。(いちじくドーフィンも亜熱帯性作物で寒害に弱いらしい)
私はいちじくを転作奨励作物に指定せよと言いたいのではない。今後とも指定が必要であり将来にわたり期待すべき作物を奨励したいならば他県の事例も比較参照しつつ、この地における未来の営農に結びつくような希望のある品目を掲げよと言いたいのである。熟慮せず思いつきで決めることだけは慎んで欲しい。
(2) 転作対象作物であるいちじくの品種は桝井ドーフィンでこれが最も多く栽培され市場に出荷されている。在来種である蓬莱柿よりも実が大きく商品価値が高いとあって各地で栽培されているので栽培事例も多く栽培手引きを出しているところもあって自力でなんとかやれそうな気がした。
いちじくの苗はインターネットを通じて三重に本社があるチェーン店経営のN屋から30本購入した。通信欄で少し余分に苗を入れてくれるように頼んでおいたがきっかり30本届いた。N屋の苗に対する自信の表れか、活着しない場合の保証などしないという強気の態度に驚かされた。活着しない場合は肥培管理の悪さを理由に購入者に責任を負わす態度が明白である。
N屋の指示により苗を2月中に購入し3月下旬に植え付ける。この植栽までの期間1年生ポット苗をどのように管理すればいいのか、問い合わせて聞くことは出来るがそんなことは馬鹿らしくて聞けないので水をやったり日向に出したりしながら植栽の時期を待った。その時は仮植えという方法は全く思いつかなかったのであるが・・。
人間以外の動植物は子孫を残すために懸命に生きようとするはずである。そう簡単に枯死されてたまるか、N屋は補償などしてくれないからあとは苗の生命力に頼るしかないと腹を括って植えた。しかしなかなか芽が出ない、転作畑は肥えているから肥料はやるな、水持ちがいいから水はやりすぎるなと試行錯誤は続く。
植栽時に苗の高さ50cm程度で切り返した頭部の切れ端をプランターに植えた苗からは芽がでたが、本体からは芽が出ず棒キレ状態のままだ。どうしたというのだ、もう5月の連休が過ぎようとしている。これはまずいという思いが募るなかでことの善し悪しは分からないまま、とにかく苗を活性化させようと木酢液など撒いてみたが芽が出ない。
(3) 周りからは初物は芽吹くのが遅いと言ってくれるが慰めに聞こえ信ぴょう性に乏しい。八十八夜も過ぎて周りは新緑の景観一色だ。生育が遅くてやきもきしていたが5月13日の日誌には、「いちじくの苗木14本にわずかなふくらみが散見される」と書いてある。そこから芽吹くかもしれないと期待するものの実際に芽がでるまでは油断できない。結局芽が出るまでにかなりの日数を要したので初年度は計画植栽本数の三分の一から始めるしかないと半ば諦めていた。
生物の生育進度は人間も植物も同じであって早いものもあれば遅いものだってある。樹木の場合枯死したかに見えてもどこかに細胞が生きていればそこから芽が出ることは今までも経験して分かっていたがいちじくの苗木も同様である。ただし生育に差が出てくるのは仕方がないしそれも大差になることだってあり得る。結局我が家のいちじくは2本が枯死、28本が活着したが生育に1年ほどの差が出ることになれば収穫も1年遅れる。8月お盆を迎えても生育の遅い苗木はまだまだ一文字仕立てにするには枝が短かすぎる状態である。また枯死した2本は引き抜いてそこに接ぎ木で芽が出てきた苗木を植え替えることでなんとか計画植栽本数を確保できる目処がついた。
いち早く生育したいちじくの木には一文字仕立てにより両側へ広げた2本の主枝に小さな実をいくつか付け始めたがこの主枝は収穫する結果枝ではないので今秋は食べられないが、2年目には結果枝の果実を収穫できるのでそれまでの間30本すべての木の生育過程を見守って行くことは他方で人間の生育過程とダブらせてみれば興味深くこれこそが百姓の醍醐味と言えるものかもしれない。
(1) 水稲栽培を細々と14年間続けてきたが昨年の収穫を最後に米作りをやめることにした。身体がエライと言ったら「まだ若いくせに」と年寄りから笑われるがとにかくキツイのである。ウリカワが一面に蔓延る湿田に足を突っ込んで草取りを数日も続けると気力が失せて除草剤に頼るようになる。
それでも米作りを始めた頃は田んぼに足を突っ込んだ姿を思い浮かべながら「これこそ自然との共生だ」と粋がったこともあったが今では唯ゝ虚しく思うようになってきた。そこには米作りの仕事が省力化・機械化によって大きく変わってきたことが要因として挙げられ、百姓はこの世で一番高い米を食っているという所以である。
農協や農機具メーカーに貢ぐのをやめようと決意し水田を畑に変えた。畑に変えて何を植えるのかということはすでに決めていた。それがいちじく栽培ということであるがこの辺りではあまり見かけない。転作作物としては珍しい作物ではないしこの地での生育環境が良くないというものでもない。
にもかかわらず関市ではいちじくは転作奨励作物から除外されているのはなぜか。考えもつかなかったのだろうか。転作奨励作物を調べると麦類など一般的な作物の他にパッションフルーツなどおよそ適地とは思えないような亜熱帯の作物が対象となっている。(いちじくドーフィンも亜熱帯性作物で寒害に弱いらしい)
私はいちじくを転作奨励作物に指定せよと言いたいのではない。今後とも指定が必要であり将来にわたり期待すべき作物を奨励したいならば他県の事例も比較参照しつつ、この地における未来の営農に結びつくような希望のある品目を掲げよと言いたいのである。熟慮せず思いつきで決めることだけは慎んで欲しい。
(2) 転作対象作物であるいちじくの品種は桝井ドーフィンでこれが最も多く栽培され市場に出荷されている。在来種である蓬莱柿よりも実が大きく商品価値が高いとあって各地で栽培されているので栽培事例も多く栽培手引きを出しているところもあって自力でなんとかやれそうな気がした。
いちじくの苗はインターネットを通じて三重に本社があるチェーン店経営のN屋から30本購入した。通信欄で少し余分に苗を入れてくれるように頼んでおいたがきっかり30本届いた。N屋の苗に対する自信の表れか、活着しない場合の保証などしないという強気の態度に驚かされた。活着しない場合は肥培管理の悪さを理由に購入者に責任を負わす態度が明白である。
N屋の指示により苗を2月中に購入し3月下旬に植え付ける。この植栽までの期間1年生ポット苗をどのように管理すればいいのか、問い合わせて聞くことは出来るがそんなことは馬鹿らしくて聞けないので水をやったり日向に出したりしながら植栽の時期を待った。その時は仮植えという方法は全く思いつかなかったのであるが・・。
人間以外の動植物は子孫を残すために懸命に生きようとするはずである。そう簡単に枯死されてたまるか、N屋は補償などしてくれないからあとは苗の生命力に頼るしかないと腹を括って植えた。しかしなかなか芽が出ない、転作畑は肥えているから肥料はやるな、水持ちがいいから水はやりすぎるなと試行錯誤は続く。
植栽時に苗の高さ50cm程度で切り返した頭部の切れ端をプランターに植えた苗からは芽がでたが、本体からは芽が出ず棒キレ状態のままだ。どうしたというのだ、もう5月の連休が過ぎようとしている。これはまずいという思いが募るなかでことの善し悪しは分からないまま、とにかく苗を活性化させようと木酢液など撒いてみたが芽が出ない。
(3) 周りからは初物は芽吹くのが遅いと言ってくれるが慰めに聞こえ信ぴょう性に乏しい。八十八夜も過ぎて周りは新緑の景観一色だ。生育が遅くてやきもきしていたが5月13日の日誌には、「いちじくの苗木14本にわずかなふくらみが散見される」と書いてある。そこから芽吹くかもしれないと期待するものの実際に芽がでるまでは油断できない。結局芽が出るまでにかなりの日数を要したので初年度は計画植栽本数の三分の一から始めるしかないと半ば諦めていた。
生物の生育進度は人間も植物も同じであって早いものもあれば遅いものだってある。樹木の場合枯死したかに見えてもどこかに細胞が生きていればそこから芽が出ることは今までも経験して分かっていたがいちじくの苗木も同様である。ただし生育に差が出てくるのは仕方がないしそれも大差になることだってあり得る。結局我が家のいちじくは2本が枯死、28本が活着したが生育に1年ほどの差が出ることになれば収穫も1年遅れる。8月お盆を迎えても生育の遅い苗木はまだまだ一文字仕立てにするには枝が短かすぎる状態である。また枯死した2本は引き抜いてそこに接ぎ木で芽が出てきた苗木を植え替えることでなんとか計画植栽本数を確保できる目処がついた。
いち早く生育したいちじくの木には一文字仕立てにより両側へ広げた2本の主枝に小さな実をいくつか付け始めたがこの主枝は収穫する結果枝ではないので今秋は食べられないが、2年目には結果枝の果実を収穫できるのでそれまでの間30本すべての木の生育過程を見守って行くことは他方で人間の生育過程とダブらせてみれば興味深くこれこそが百姓の醍醐味と言えるものかもしれない。
作品名:小百姓の論理 作家名:田 ゆう(松本久司)