日根むら覚書
7) 土葬の手順は江戸時代の遣り方とほとんど変わらないだろうと思われるがそれは穴を掘るという単純な作業だからである。とはいえ、そこにも守るべき手順があり儀式に則って行われてきたはずである。野の方総勢は葬儀当日午前8時前に各自道具をもって墓地に集合する。日根の墓地は組単位に山裾の藪中に設けられており埋葬の位置がその都度決められる仕組みになっている。
掘り方は作業着に長靴または地下足袋という姿で土葬の場所や大きさを確認し作業を開始する。夏であれば虫を寄せ付けないために、冬であれば暖をとるために焚き火をする。足場が悪く法面が崩れそうな場合は支保工を組んで作業の安全を確保する。また、岩混じりの土層であれば砕岩機を使うため発電機を回すこともある。掘り方は交代しながら四角い棺桶が余裕をもって入るだけの穴を掘り続け、お昼までには作業を終了させなければならない。
掘り穴は縦・横・深さの各寸法の計測により、よし(合格)をもって完了となるが、悪条件が重なるとお昼までには終わることができず、家の方で葬儀が始まっても穴掘りが続行される。さらに遅れると穴掘り作業が終了するまで出棺時刻が延期される場合もあるので野の方の仕事は時間との勝負となる。無事に穴掘りが終わると、穴に鎌を投げ込んで葬儀に参列する。誰も居なくなった穴に悪霊が入り込まないように故人が使っていた鎌を入れるのである。
作業服と長靴の姿のまま参列者の後尾に並んで順番に玉串を奉奠する。神道葬儀が多いので二拝二拍手一拝でお参りするが、葬儀の場合は忍び手といって拍手は音を立てないことになっているがいつもの癖でついピシャピシャとやってしまうこともある。
野の方は葬儀に参列しても喪服に着替える必要はない。棺桶を穴に納め覆土するまでは野の方の仕事である。葬儀が終わるといよいよ野辺送りの行事になる。棺桶を担ぐ身内は白装束に草鞋の出立ちである。道中は墓地が近いので歩きやすいが山裾の斜面に入ると足元がふらつく。それでも何とか墓地まで担ぎ上げ神官の祝詞が終われば棺桶を下ろして覆土し最後に墓標を立たて一件落着となる。それにもかかわらず野の方の仕事ほど面白いことはないのである。
8) 「野の方」の仕事は穴掘りである。諸氏からは「穴掘りのどこが面白いのだ」と言われるかもしれないが、面白いから面白いのだという他に言いようがない。それは穴掘りによって村民の技量ばかりか村の過去・現在はおろか未来までを想像することが可能となるからである。わが組(班)の場合、「野の方」の仕事に参加できるのは総勢8名である。
作業は8時から始まるのでそれまでに全員が墓場に集合しなければならないが、まずこの段階でこの村の男たちのこれまでの慣習が見て取れる。8時を集合時刻にすると30分前から集まり始め、10分前には全員が揃うのが常識である。世界に誇る日本人の時間厳守の精神がこの村では受け継がれているというか、時刻前に集まり8時から作業に着手する心構えが慣習となって身についているということである。中には遅れてくるものがいるが誰も批難しないのはその遅れた分をこれからの作業で相殺するであろうことを暗黙の了解として捉えている。時刻厳守にしばしば違反する事態が起これば批難することもあるが、老荘の個人差、すなわち個性はお互いに認め合うようにしている。
穴掘りの仕事に役割分担があるわけではないし、誰かの指示によって動くわけでもなく、まるで各自の持分が決められているかのように作業に取り掛かる。皆が力を合わせなければできない作業があればすぐに集まって行動する姿は一体どこから来たのであろうか。その答えを出すのは簡単である。かつて村の機能維持を支えてきた共同体という仕組みの名残がそうさせているのである。
穴掘りが進むにつれて穴が深くなってくると1名か2名のものが穴の中で作業するのがやっとこさということになる。穴の中の土を掘り出す作業は大変で長く続けられないので、次々と交代で穴の中へ入って掘り出す作業を続ける。この交代員にしても順番が決められているわけでもないし、全員がやらなければならない仕事でもない。元気のあるものが中心的役割を担うという暗黙の了解が出来ているからだ。
つまり、それぞれが自分の体力や技量に見合った作業を分担すればいいのであって、その仕事の内容に差はないのである。個人差を尊重しながら全員が協力する仕組み、そのひとつである土葬の慣習がなくなってしまった今、同時に「野の方」の仕事の面白さや大切さを喪失させてしまったように思われる。土葬を復活させることは時代錯誤であるが失われた共同体精神は復活させなければならない。
9) 穴掘り作業はいわば土方仕事で「野の方」は人夫である。それが本業なら「お母ちゃんのためなら・・」と言ったかもしれないが今回はちょっとわけが違う。穴掘りという土方仕事に対し、無理やり精神的な意義を見出して「面白い」と言っている自分は変わり者と思われても仕方がない。しかし、多かれ少なかれ「野の方」の仕事が村の運営にとっても欠かせないことは誰もが認めるところである。
一般的に言って人々の団結を強くする結果は共同作業からは必ずしも生まれてこない。撤収してしまえばヤレヤレということになって後に続かないことが多い。この結団力を高める慣習が共食であり、共同作業が終われば食事を共にする習わしがあるのはそのためである。それは神事の場合は直会と呼ばれるもので共食は儀式の一部になっている。
もちろん、神事でなくても行事の後に共食の習慣があるところでは人々の結束力が強いことは想像に難くない。共同作業が文字通り「共同」になるためには共食が伴うことを前提にしている。単に作業だけで終わるのでは「協働」作業になり、共にひとつ(共同)になる機会が生まれてこないのである。協働作業はその場限りの集まりで終わってしまうことになる。
埋葬作業が終わると人夫たちに葬儀の家のものから供え物である果物類の入った礼品が配られる。マスクメロンなど高価な果物が入っていないか一喜一憂したものだ。また、夕刻から行われる直会(共飲共食儀礼)に招かれることがあるので汚れた作業着を着替えて葬儀宅を訪問する。
その夜は十日祭(仏でいう初七日)を兼ねることもあり待ちに待った共食が始まるのである。今日は飽食の時代と呼ばれるように他家でご馳走になることを喜ぶ気持ちも少なくなってきたように思われる。また、近年は料理屋からの仕出しものが多くなったがそれでも自前の料理を添えることが普通に行われている。
直会は共食の慣習であり、人々の結び付きを強くするいわば法則とも言えるものである。日根村ではこれまで直会に限らずさまざまな行事において共食の習慣は長く続いてきたが、行事が終われば自宅で食事をとる傾向が現われ、共食の習慣が薄れてきたと言える。改めて、共食の意義を考えこの習慣を見直し、積極的に取り入れる方向が必要であろう。なにせ、共食は「共同」の要であり共同のための「法則」なのである。
作品名:日根むら覚書 作家名:田 ゆう(松本久司)