ihatov88の徒然日記
3 42.195㎞ 3.25
ニッポンは健康志向なのか、最近流行ってますよね。え、何がって?タイトル見ればお分かりですね。マラソンですよ、マ・ラ・ソ・ン。この中途半端な数字を見ただけで分かるから人間の刷り込みってすごい。
ここ近年マラソンがブームで日本各都市で大会が行われている。以前に比べて希望者殺到で、エントリーしてもなかなか抽選に当たらないそうですよ。東京マラソンなどは出場できるだけで光栄なことなんだとか。
ワタクシの住む神戸でも11月にマラソン大会が開かれます。神戸の中心、三宮を出発して世界一の橋である明石海峡大橋付近で折り返します。個人的にはあの橋を走って渡ってみたいですね。
今回は神戸のマラソンの話ではないんです。話の逸れた前フリでごめんなさい。
* * *
今から10年ちょい前、当時は兵庫県の宝塚市に住んでいました「愛と歌劇の町、タカラヅカ」です。阪急宝塚駅とお隣の宝塚南口駅周辺は歌劇の女優さんとそのタマゴの学生さんたちが歩いている姿をよく目にします。しゃなりしゃなりと背筋よく、それは凛として美しく高貴なものです。
まだまだ血気盛んな三十路の手前、頭はないけどカラダで勝負。ガチンコ体力にはめっぽう自信があったのです。
そこで、私含め三人の猛者?の飼い主である職場の主任が私たち三人に一枚のチケットを配ってくれたのです。
「そんな、主任。ビール券だなんて……ん?」
「なんじゃ?」
「これは……!」
三人の部下たちはビックリするはず、渡されたのは宝塚の少し北、篠山市で行われる
ABC篠山マラソン
のチケットではないですか。
「またまた、なぜにマラソンですか?」
「日頃『頭を使え』とムチを振る主任ともあろうお方が」
「私ら罰ゲームになるようなことしましたっけ?」
渡されたチケットにオロオロする猛者たち。確かに体力に自信はあるが、いきなりフルマラソンはさすがに躊躇する。しかもこれ、エントリーシートじゃなくて既に登録住みのチケットやないかい。
「これは、思い出作りじゃい!」
上司の命令は絶対。逆らうという選択肢はない。言われるがままに私たちは主任に登録料を払い3週間しかない調整期間でカラダをこしらえることにした。といっても飲み会を減らすくらいでしたが――。
* * *
残雪がほんのり見える3月頭の日曜日、電車に揺られて篠山まで行き、我々チーム四人はスタート地点で号砲を待つ。周りを見れば見た目から決まっている人ばかりで、普段着のジャージを着た我々はどうみても場違いで恥ずかしい。当時一人目を妊娠していたヨメも
「迎えにいかないからそのつもりで」
と冷たくあしらわれ、号砲が鳴ってからおよそ10分後、スタートのゲートをくぐったのです。
走る、走る、ただ走る――。最初の10㎞くらいまでは調子よく、上司同僚も良いペースで冗談さえ出るけれど、20㎞を過ぎた辺りから編隊がばらつき、自分との勝負になってくるんです。走っても走っても縮んだ気がしないゴール、やがて頭の中は
「何でこんなに走ってんのやろ?」
と意味なく人生を語り出します。そうなるとスピードは落ち込み、30㎞越えた辺りから油の切れたロボットの如く骨が軋み出し、35㎞の最後の足切りポイントをクリアしたところで完全に足が止まってしまいました。
「あーっ、もう辞めたる!」
と言いながら諦めようと思うのですが、後ろから白髪混じりのおじいちゃんや普段は杖ついてそうなおばあちゃんまでが
「お兄さん、もう少しですよ」
と激励して颯爽と追い抜いて行くんです。これには参った。こちとら20代、これからの日本を背負っていく自負だけは人一倍。こんなことではイカン!……、結局歩いてでもゴールを目指すんです。真面目なのだかプライドがあるのだか……。
走り続けること四時間ちょっと、汗やら痛みの涙やらわからない顔でゴールイン。記念にゴール時の写真が添付された証明書をいただけるのですが、これがまあ何と言いますか、笑いの種にしかならないようなものでした。
「あー、しんどかった……」
同僚と喜びを分かち合い、とりあえずヨメに電話。
「何㎞まで走れたん……?」
完全になめられている。今年はおとーちゃんになるんやから、頑張んなきゃね。
* * *
足が棒になる
エラそうなこと言いますが、これはマラソン完走した人に許された諺だ、と思います。
「良い経験だった、でも、もうやらない」
と思って10年が経ち職場の異動がありまして、その時の主任と久々に同じチームに配属されたんです。
「お久し振りッス、係長!(主任も昇進している)」
「おう、久し振りやのう。今年も行こうか!マラソン」
上司の命令は絶対であります――。
作品名:ihatov88の徒然日記 作家名:八馬八朔