ihatov88の徒然日記
9 弐千円札哀歌 4.29
財布の中にお金がある、あまり多くないけど。
壱万円札、五千円札、千円札。見慣れた顔ぶれが財布の中で私の顔をほころばせてくれるが、諭吉さんも一葉さんも私のことが好きではないのか、長くこの財布に留まってくれない。
そんな中で私の財布を長年に渡り温めてくれている紙幣がある。そう、それがこれ。弐千円札だ。
西暦2000年、節目の年に産声をあげた新紙幣。日本の歴史で初めて採用された単位の紙幣である。ご存知の通りであるが、この弐千円札。平成26年現在巷で見かけることってあんまりない。ひどいハナシ、
「ああ、あれって廃止されたんでしょう?」
などと言う職場の部下さえいる。
確かに弐千円札はここ何年も新しく刷られてはいないそうだが、弐千円札はまだ現役なのだ。
財布のカード入れに忍ばせている弐千円札。かく言う私も財布のカード入れにある時点で非常用の二軍扱いである。確かに使い勝手は良いとは言えない。
先日、世界的に有名なハンバーガー屋さんで持ち合わせが弐千円札しかなく、お会計の段でそれを出すと二十歳前後のアルバイトのお姉さんは
「すみません、ちょっと待ってください」
と言って奥に入ってしまった。そして数十秒後カウンターに戻ってきた彼女は
「あ、これでいいです」
といって明らかに困った様子で受け取ってくれた。
「『これで』って……、わたしだって立派なお金なのよぉ」と紫式部が泣いている様子が感じられるが、レジの札入れのどこに入れたらいいのかと困っているお姉さんのまごつきっぷりを見ればその嘆きも彼女には聞こえていないみたいだ。
とにかく弐千円札は肩身が狭いお金なのはニッポンの常識なんだろう。
* * *
ところが、弐千円札がそれなりに普及している地域がある。沖縄県だ。
弐千円札が発行されたその年、それから数年後に出張でそれぞれひと月ほど沖縄本島に滞在していた事があるが、発行された年は見掛けるのは本土でも似たような頻度だったのが、数年ののちに訪ねた時には他の紙幣と上手く共生していた。ATMでお金を下ろしたらアメリカのそれ(100ドル→20ドル紙幣五枚)と同じように一万円なら弐千円札が五枚出てきたし、弐千円札対応の自動販売機も本土と比べてもかなり多く見かけられた。
本土では普及しない弐千円札。なぜ、沖縄ではそれなりに流通しているのだろうか?
まずは沖縄の歴史。沖縄がアメリカから日本に返還されたのが昭和47(1972)年。当時は米ドルが現地通過だったので2という単位に抵抗がなかった人が多くいらっしゃる事がまず考えられる。
続いて紙幣の絵柄、沖縄県民なら誰もが知っているであろう「守禮之邦」である。地元愛のある沖縄県民にとって我が郷土のランドマークが紙幣の表紙を飾っているのだから流通して欲しい願望は多分にあると思う。
最後に、県民の運動。沖縄の銀行で興味深い広告を見た。その名も「1,2,3運動」なるものである。そのスローガンというのは
1県民として
2千円札を
3枚づつ持とう
というものだ。それだけでなく、沖縄の銀行や地元企業、行政など、ありとあらゆる団体が弐千円札の普及に名乗りをあげているようだ。
沖縄は占領という辛い過去を経験し、地元愛に心の炎を燃やし、企業や行政、地域住民が一体となって、本土ではほとんど諦めている紙幣の普及活動を行っている結果国内に流通している実に半分近くの弐千円札が出回っているというのだ。
* * *
詰まるところは「愛」だったんだ。なにかと仲間外れにされている弐千円札。そのメリットを理解して、愛情をもって粘り強く接すれば流通するということだ。
日本国民も既存の概念にこだわるだけでなく、この新しい概念を理解をした上で発展させ、受け入れることができれば、この弐千円札だけでなく様々な事に対して理解が出来るようになるのではないかと思う。
意見の合わない人や、一見理不尽に見える決まりや法律、さらには対立する国家との関係なんかも弐千円札のようにその存在理由や目的を理解することで一歩前に進むことが出きるのではなかろうか。小さいことかも知れないけれど、意外とこの国の平和を握る小さな小さな鍵になっているのかもしれない。
そう思い僕は財布のカード入れに畳んである弐千円札を他の紙幣と同じように入れ直した。まずは一歩から、でもやっぱりお金だから財布から出て行って欲しくないのは本音なんやけど――。
作品名:ihatov88の徒然日記 作家名:八馬八朔