ihatov88の徒然日記
15 ノスタル日記、その二 5.26
五百円札
職場の昼休み、
「さぁ、メシ行こで、メシ」
昨日は給料日、先月はいい成果が出たので私は部下を連れてメシでもと考えた優しい上司。誰も言ってくれないから自分で言おう、優しい上司。
「何行くよ?」
「でしたらあそこのワンコインランチなんかどうですか?」
反対意見なし。私の月のお小遣いの額を知っているのか、ちょっと気を使ってくれるBさん。
「四人で行けばワンペーパーやな」っていうと、
「……って誰か持ってる人いる?」
「ロコツに嫌な顔されますよ……」
弐千円札は過去の産物になっている(←9話見てね)。絡んでくれる君たちはやはり関西人のノリだ。
とにかく私たちは四人で最近出来た定食屋に行くことにしたのです。こんな上司のしょーもない小ネタに付き合ってくれてありがとう。
* * *
たぶんどこのサラリーマンも外で昼をとるときの値段の基準があると思います。その基準がワンコイン、つまり500円ではないでしょうか?なに?1000円ですって?なんとそれはセレブな……、うそうそ。ウチらは同じ人から給料もらってるので金銭感覚はだいたい同じ、いざ定食屋へ。
食事が来るまでの間、私の月のお小遣いとランチの値段が話題に上がったのです。
「そういや三年生の時のお小遣いが500円やってん」
「はぁ、じゃあこれ一食分じゃないですか」
「ってことはワンコインですか」
いやいや、違うぞ。思えば当時のお小遣い、500円という額面にはかわりない。違うのはお金ですよ、お金。ワンコインじゃなくてお札やったんですよ。
「ちょうどその頃500円硬貨が発行されて、こづかい減った気になったんですよ」
「そうですか……」
「私は、500円札知らないです」
「なな、なんと!」
言われてみたら500円硬貨が発行されたのは昭和57(1982)年、それ以降に生まれた部下が知らないのも当然といえば当然だ。
さっきも書きましたが、三年生の時のお小遣いが500円、お札一枚です。500円札は青を基調としたお金で岩倉具視の顔が描かれています。明治の新政府に尽力した公家出身の政治家です。当時の最少額の紙幣でした。ちなみに日本の歴史上、500円札は二種類ありますが岩倉具視のものだけだそうです。
当時のその他の紙幣は現行と同じ10000円5000円1000円で、上2つは聖徳太子で千円札は伊藤博文でした。お年玉で伊藤博文をもらい、それを集約して親に両替してもらって手にした聖徳太子に手が震えたのが懐かしい。当時の壱万円札は今のものよりも大きくて威厳があったものでした。そういやそのお金を使わずに貯めて、四年生の誕生日にそのお金を足してファミコン買ったっけ――。
「ま、とにかく30年前はそんなお札があったのデスよ、諸君」
「確かに同じ額面でも感じがちゃいますよね」
「硬貨はあくまで『補助』ですからねぇ」
紙幣が硬貨に変わり、価値が下がった気になるということは部下たちにもわかっていただけたようです。
そういってるうちにランチが来ました、ワンコインです。お札で払うとお金を使った感じがしますが、硬貨ならお札ほど使った感がないと思うのは私だけでしょうか?硬貨というのは知らずに使ってます、財布重いのもブサイクやし……。お金を回させるために500円を硬貨にしたのであれば私たちはまんまと術中にはまってしまってるということですね。
* * *
みんなの食べる頃合いを見て伝票を手に取りレジへ。今回は先月の成果が良かったので、ワタクシからのプレゼント。出費を覚悟したけど意外と安くあがったのでこっちが感謝。月のこづかいの10分の1で済みそうだ。
「ゴチになりまーす」
「おいくらしますか?」
「だから、ワンコインかける4だって」
「だったら班長のお小遣いの一割ですねぇ」
今の今まで私のこづかいを教えた記憶はないのに……、普段言葉の節々で今回はこづかいの〇倍とか〇割とか言ってるんだけどね。みんなもこれがネタフリなのを知ってて直接の額は誰も言わないのね。
「お会計は」と尋ねるレジのおばちゃん。
「え……、コホン。一括で」カッコつける私、弐千円札で払おうかと財布を覗いてみるけど結局用意するのは1000円札が二枚。
「2160円になります」
なんやねん、税抜きでワンコインやったんかい……。
作品名:ihatov88の徒然日記 作家名:八馬八朔