ihatov88の徒然日記
27 そういえば、前の午年の今頃 8.3
去年の暮れ、午年の年賀状をプリンタで刷りながら年を迎えるのはニッポンのどこにでもある風景。ヨメとああでもないこうでもないとウダウダ話していました。
「そういや、前の午年ってなにしてたっけ?」
「何かあったかいなぁ……」
会話が止まる。そんなところにウチの長女がリビングに入ってきた。それと同時に二人でムスメを指差して思わず言った。
「あ、こいつだ」
「なになに?何かくれるん?」
そういえば前の午年(平成14年)、我が家に大きなできごとありましたありました。
この年の8月、私は父に、妻は母になったのだった。あまりに日常の近いところに有りすぎて気付かずに二人で大笑いしました。
結婚した時より子どもできた方が人生変わりました、そう思いませんか?
* * *
当時は宝塚市に住んでました、花と歌劇の街「タカラヅカ」です。 長女は宝塚の病院で生まれました。映画『阪急電車』でいえばホテルのあった駅の反対側に、あります。
出産のまさにその時は男って何もできないんですよね。分娩室に入る直前まで一緒にいましたが、中へ行って切り離されてしまうと男ってヤキモキするだけなんです。母は必死に戦っているというのに。ご存知の通り出産はリスクを伴いますのでまさに命がけの作業です。なのに男ってのは……です。やっぱり母は強しです。帰るところは母なんです。日本語にも「母体」「母国」「母語」「空母」といったような単語があって言葉の中には「元あるところ」といった意味を含んでいます。英語でも「mother town」とか「mother tongue」など言いますね。恐怖に晒されたとき「おかあちゃーん」とは言いますが「おとうちゃーん」とは言いませんよね。
ああ、女性ってのは偉大だ。カカァ天下の家のほうが丸く収まっているのも説明がつく。邪馬台国だって女王様が統治してたわけですし。
* * *
分娩室に入ってしまったヨメ、そして無力な私は一人でその産声が聞こえるのを病室で待っていたのです。初産ということで、ちょっと頑張って個室にしたのです。その個室のベッドに寝転がりテレビを見ていたのです。見ていたのはその日甲子園でやってたヤクルト―阪神戦でした。
「ヨメが唸っとる間に何をしとんねん」
と言われれば返す言葉がございません。しかし、本当に男ってこういうときは無力です、ばか者です。ヤキモキしてそんなことくらいしかできないのです。
ゲームは終盤一点差を追う緊迫状態、阪神の攻撃バッターは代打広沢、何球目か覚えてませんがピッチャーの投じた〇球目、広沢が起死回生の同点タイムリーを打って
「おっ!」
と手を叩いたその瞬間です。
プルルルル……
かかってきた内線電話、
「あ、そうやった」
我に返った私は受話器をとると、
「おめでとうございます、女の子です」
「……ありがとうございます」
午後8時50分、長女誕生。
命がけで母になったヨメと比べて野球見てて父になったこのオヤジときたら……。
もう一度言います。ああ、女性ってのは偉大だ。
大仕事を終えて部屋に戻ってきたヨメにベッドを返して自転車で帰宅。帰ってもする事って、ないんですよね。ヨメは病院だし生まれた子どもも然り。
平静を保とうとテレビを着けたら野球の続きが。結局あの日のヤクルト阪神戦。延長最終回で結局負けちゃったんですよ。
* * *
次の朝、夏期休暇をいただいていた私は上司に電話で報告を済ませて病院へ、保育器の中にいるわがムスメを見て父になった実感が……、やっぱりしないんです。
心を読まれたら絶対にどやされる。そう思っていたところ横にいるヨメが、
「あんた、名前考えてね、この子の」
ほぉ、そうでした。生まれたばかりのこの子には名前がないんですよね。そりゃそうだ、男か女か生まれるまで聞いてませんでしたから。
いきなり任された大役。この子の一生を左右するわけですから。そこで思ったのが生まれたその時、そう昨日の事。代打広沢が起死回生の同点タイムリーを打ったその瞬間でした。
「それなら、名前を……」
いや、待てよ。あの日結局阪神負けたんやった。
私は父になった次の日、一つ大人になりました。父親としての自覚が芽生えたようです――。
作品名:ihatov88の徒然日記 作家名:八馬八朔