ihatov88の徒然日記
48 有名校出身? 12.10
年の瀬が迫っているということは、受験のシーズンが近づいているということですね。思えば20数年前、ワタクシも死に物狂いで勉強した記憶が、あります。受験といっても高校、大学とありましたがワタクシの場合大学受験で苦労しました。一生分の勉強をそこでしたので現在は惰力で生きています、……そんなコト言っちゃダメですよね。
でも、自分の中でそれくらい勉強したと思います。レベルやがんばり度合いを測るものさしは人や時代でそれぞれ違いましょうが、昭和50年前後生まれの人口は現在と比べてべらぼうに多いので日本史上最も厳しい受験戦争を経験してきたのだという自負は、あります。
これを読んでいただいている受験生の皆さん、がんばってくださいね。今身に付けた、もしくは詰め込んだ知識もそうですが以後の人生に必ず役に立つ時があります。目標にしっかりと照準を合わせたなら、そこに向かって真っ直ぐ進んでくださいね。
* * *
――で本題です。
今回のタイトルにありますが第29話でも書きましたがワタクシ、地元の公立高校を卒業しています。高校野球の聖地・甲子園球場に世界一近い高校です、「世界一」ですよ、物理的に。冒頭にも書きましたが当時は学生の数がやたらと多く、受験生の数も当然多かったのです。そこで取られていた制度というのが、
総合選抜制度
というものなのです。現在でもそうでしょうけど、公立高校の受験は年1回一校のみ、しかも問題は同じです。中学の成績などで凡そいけそうなレベルを見て受験するのが通常の受験なのですが、ワタクシのいた行政ではそうではなく、いっせいに試験を受けさせて全体の上位から合格者を決め、住んでいるところから通ってもらう学校が決められるという制度でした。管内10校の高校があれば、その定員が合格者数で、たとえば合計で4000人が定員のところを4010人で受験するのです。悪い言い方ですが下から10人が不合格になります。
ですので、地区トップの高校の受験に失敗して私立の滑り止めに行くというリスクは格段に減ります。そして、そんな調子ですからワタクシは受験のジの字のプレッシャーを感じることなく高校に入学したのです。ちなみに、大学の友人は高校受験が一番苦労したという人が多かったです、内部進学の人含め。それだけ15の春というのは大事な時期なのかなと思いますが、そんなユルユルの制度で進学したワタクシにはピンとこないのです。
この制度はそれだけ受験生には安全と思いきやデメリットもあります、それも大きな。
管内の高校にレベルの差がほとんどなく、住んでいるところで学校決められるわけですから賢い人もいればちゃらんぽらんな奴も多いし、中学高校同じの悪友もかなり多くなります。そんな感じなので学校のレベルは見事に……なのです。学校でそこそこ良い成績とっても全体の模試などの結果を見れば一目瞭然。結果見るたびに不安が増大したものでした。これも人口の多い時代の話なんでしょう。現在はこの制度は採られていないということを、まだ地元に住んでいる同級生に聞きました。
それで、です。
先日高校の同級生で集まって同窓会をした時のこと。当時はピチピチの10代(←これも死語)だった我々も今やエエ年のオッサン。
「おまえ、デコ広くなったな」と言えば、
「あんたもな、そういうアンタは倍になってるやん、横幅」
と帰ってくる気兼ねの無い間柄。仕事と違って上下関係の全く無い会は盛り上がるし、空ける杯の数も多い。
そんな中まだ地元に住んでいる友人が、再来年受験を控えた中学生の娘に
「高校受験はどうやって合格した?」
と聞かれたそうで、テーブルを囲む彼以外の人間が口を揃えて、
「そりゃあ、名前、書いたら……」
と答えたのです。それだけ「安い」受験だったのです。ところが、
「知ってるか、オマエら」いつになく真剣な顔の友人「うちの高校めっさレベル上がってるらしいで、近所の塾でもガラスに〇〇高校〇名合格とか書かれてるし」
「うっそぉー!」
「ほいでよ、俺、ムスメに尊敬されたんや。『有名校出身』って」
「……おいおい」
総合選抜制度、今は昔。しかしそのおかげで『有名高校出身?』になれました、連れの子には本当のことを教えないほうが彼女のためになりそうです……。制度がどうであれ勉強がんばってね、現役の学生のみなさん。
作品名:ihatov88の徒然日記 作家名:八馬八朔