如意牛バクティ
いつしかカルナは婦人の膝に乗せられ、頭をなでられていた。この婦人は最近子供を亡くしたか、またはとても子供を欲しがっているか、どちらかに相違なかった。遍歴行者が乞食をするのは、おのれの身を社会に任せるという意味があるが、カルナはまさにこの婦人にすっかり身を任せてしまっていた。
(女! これが女なんだ!)
カルナはその暖かいタパスにうっとりとした。マヌーは女について教えてくれた。子供を産むのが女だと。しかしこのような心地よいタパスを持つとは教えてはくれなかった。
「カルナちゃん、お父さんとお母さんはどうしてるの?」
婦人が尋ねた。
「お父さん? お母さん?」初めて聞く響きであった。「なに、それ?」
「あら! あらあらまあ!」婦人はタパスをいっそう燃え立たせた。「あなたったらみなし子なのね! なのにこんなにいい子に育って! あなたを育てたのはいったいどこの立派な方なの?」
立派な、という言葉でカルナには理解ができた。
「おいらダスージーと一緒に雪山にいたんだよ」
「まあ! まあ!」
婦人は開いた口を片手で覆って言った。
「そんで今はタパス祭りに出たくて、マヌージーと一緒に旅をしてるのさ」
カルナはそれが素晴らしく楽しいということを伝えるために、にっこりと笑って言った。
「なんてことでしょ!」
婦人はすっかり驚嘆してしまった。このふたりの聖仙を知らぬバラタびとはいないし--だからマヌーは托鉢に際しておのれの名を明かすことは決してなかったのだが--この敬虔な婦人にしてみれば、聖タタガットと聖アンギラーサはほとんど神と同列であったのだから、無理もないことであった。
「じゃあ、カルナちゃんは、バラタの、いいえ、この世のすべてのために、大切なことをしなくちゃいけないのね。ああ、自然の神さま! どうかカルナちゃんがどんな試練にも負けませんように」
婦人はそう祈るとカルナをぎゅーっと抱きしめて、カルナの顔に頬を押しつけた。このようにしてこのひとりの婦人もまたカルナのタパスに勇気を植え込んだのだった。
マヌーはといえば、夜に森で野宿するときなど、カルナにおもしろおかしい話を物語ってやった。屁が止まらなくなった老人が屁を推力にして空を飛びついに天上界へいたる話、乱暴な夫にガンゴ河の鯉で殴られた貞女が嘆いて河に祈ったところ、鯉の群れがやってきて貞女を背中に乗せ河の底の城へ連れて行き、そこで安息を得る話などなどである。
マヌーとすれば、ダスーと遠く離れた旅の寂しさを忘れさせようと図ってのことだったが、カルナは笑いに身もだえしてこれらの話を聞いたので、効果は充分であった。
カルナはこうした新しい経験の数々に熱中していたので、タパスの火を絶えず燃やさなければならなかった。
さてマヌーとカルナは一月の遍歴のあげく、藍色のガンゴ河と緑色のヤミー河とがひとつになって、宝石のような水となる、古都パトナガルに辿りついた。気温は雪山とは文字通り天と地の違いでたいへん暑かった。
パトナガルの歴史は古く、二千年も前の孔雀王の覇業にさかのぼって紆余曲折を経てきたのだが、その物語は別の書物に譲ろう。ともかくこの頃はバルラスウルスのハーンの直轄領であり、バラタスタンの産物の集積地として、ことに東バラタ会社にとって重要な街であった。
翌日から四年に一度のタパス祭りが始まるとあって、街はたいへんにぎわっていた。タパス祭りはヨーギンたちにとっての競技会というだけでなく、在俗の人間にとっても、巡礼の目的地とするのに充分な意義を持っていた--ふたつの大河が合わさり、かつて偉大な孔雀王の都であったこの街は、自ずから聖地であった--から、バラタスタンのあらゆる地方から、あらゆる民族、あらゆる年齢の男女が集まっていた。
カルナは目をみはるばかりだった。街道を行き交う人々と牛と猿の群れの、なんと彩りあざやかなことだろう! 肌の青黒い人たち、褐色の人たち、白い人たち--アルビオン人ではなくて、古く西方からやってきてバラタスタン北東部に定着したヨーナ人の裔であろう--また色とりどりの服飾、髪型、杖。それから人々に連れられ、あるいは野良の、象や牛や猿たち。また蛇や鳥たち。雪山が世界のすべてだったカルナにとって、ここはさながら神々の遊び場のように感ぜられた--カルナにも、神という概念がぼんやり生まれ始めていた。それは単に理想的な、自由な人というようなものであったのだが、これはカルナがこの遍歴の旅で見た人々に、確かに不満を感じとったということに違いない。
それはさておき、マヌーとカルナはパトナガルの中心地、マウリヤ・バザール--孔雀市場--のガンゴ河に面した広場にいた。タパス祭りの会場とはここのことだ。
「おぬしの出場の手続きをしてくるからの。このへんで待ってなさい」
とマヌーはカルナの頭をなでて言った。
「マヌージーはやっぱり出ないの?」
カルナは尋ねてみた。
「ばかもん。わしみたいなじじいのタパスの燃えかすなんぞ、誰の役に立つ」
マヌーは自嘲するように言った。
(燃えかす? とんでもない!)
この一月というもの、カルナはマヌーの側にいて、そのダスーにも決して劣らない高熱のタパスをつぶさに観察しては畏怖していたのだった。
「マヌージーなら絶対優勝なのにな」
タパス祭りは若いヨーギンが名を上げるためのものというのが世間一般の捉え方であったので、半ば伝説化したアンギラーサ・マヌーが出場するなど無意義なのだが、孫も同然のようなカルナにタパスを称えられれば、マヌーとしても嬉しくないはずがない。にっこり笑った。
「ほほ、こりゃ光栄じゃな」
マヌーはカルナに合掌するので、カルナも返した。マヌーは出場希望のヨーギンたちの行列ができているほうへと歩いていってしまった。
しかたがないので、カルナは近くにいた野良牛の親子のところへ行き、いろいろと話しかけたり、子牛と追いかけっこをしたりした。
このカルナを見ていたひとりの青年があった。牛と遊ぶ子供をこのように食い入るように見つめるとは、いったいこの青年は何者なのだろうか。見ればよく洗濯された清潔な腰巻を巻き、四肢は伸びやかに、立ち姿は堂々として、肌は白く、栗色の髪は巻き、目は碧眼--ヨーナ人の裔に相違ない--顔つきは端整で凛々しく、彼のタパスの洗練を表現していて、いかさま世の常のヨーギンではない。
彼は牛と遊ぶカルナを見て、このように思った。
(じつにこの世に尊敬すべき人がいるならば、この幼いながらも灼熱のタパスを秘めた沙門はそれらのうちのひとりに違いない。では、私はこの驚くべき怪童に近づいて、親しみあり品格ある言葉で尋ねてみよう。「友よ。君はだれを仰いで出家したのですか? 君の師はだれですか? 君はだれの教えを奉じているのですか?」と)
そこで彼はカルナのもとへ近づいて、声をかけた。
「もし、そこの沙門さま」
カルナは牛たちから目を離して振り向いた。
「おいらのことけ?」
カルナは彼を見た。一見してこの青年が尋常のヨーギンではないことをすぐに了解した。
(鷹ちゃんだ!)
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu