如意牛バクティ
「貴国の相続権の喪失につきまして、バルラスウルス収税長官たるわが社のウィリアム・ローズ総督に報告と今後の相談をされますよう」
聞いてチャビリーはほくそ笑んだ。
「相続権の喪失、か。なるほど、私に男の兄弟はいない」
「そうです。直系男子の相続を定めたウルス法により」
「あいにく」チャビリーは使者の口上をさえぎった。「わがカリンガでは、王位の継承に、男女の差別はなくてな。過去に女王が立ったこと、少なくはない」
これは嘘ではなかった。ちなみにカリンガ地方は古代からバラタスタン平原の他の地域とは異なる独自の文化を有していた。これは現在もカリンガ地方の人々の多くが、他地域のバラタびとよりもずっと青黒い肌を持っていることで了解ができる。そして古代にはカリンガの人々は母系社会を持っていたのだった。これらはカリンガ以南のバラタびとに共通した習俗である。
「しかしウルス法では」
「わがカリンガは」チャビリーはまたさえぎって言った。「征服者バルラスウルスに屈したことは一度もない。不可侵条約なら、結んでいるがな」
これも嘘ではなかった。遊牧民族バルラスの裔に征服されたバラタスタンであったが、カリンガのように自主独立を保った藩王国も少なくなく、バルラスウルスのバラタスタン統治は、諸藩王国のゆるやかな連合で成り立っていたのだった。東バラタ会社はこれを理解していないわけではなく、無視しようとしていた。
「きさまに問う」チャビリーは使者を睨んで言った。「きさまは、なぜここにいる」
「わ、私は、東バラタ会社社員としての職務で」
「そうではない」
チャビリーは言うと、右手を胸の前で払った。すると左右の六人の女が、一糸乱れず、矛を一振りした。
「きさまは、なぜこのバラタスタンにいる」
矛の一閃が使者に風となって襲った。使者は勇気も萎え、足が震えた。
「バラタの富と英知を奪い、果てしない欲望をむきだしたおぞましい裸体に装身具となす猿さながらの怪物よ! 立ち去れ! きさまの汚物にまみれた砦に帰って、いくさの支度を始めよ!」
チャビリーのこのいかずちのような一喝に、憐れな使者は逃げるように立ち去ってしまった。カリンガの人々はといえば、この新しい女王にやんやと喝采を送ったのだった。
剛毅で知られたビーマ王も、この娘ほどの英傑ではなかったに違いない。荼毘にふされる父の面前で、このようにしてチャビリーは立派な供養をしたわけだった。とはいえこれが東バラタ会社への宣戦布告そのものであることは間違いないのだが。
やがて薪が燃え尽き、灰となったビーマ王をすっかりガンゴに流してしまって、葬儀も終わった頃、河岸に一騎の騎兵が駆けてきた。諸人見れば、先ほど東バラタ会社の使者に矛を振るった女たちと同じ装いの、青黒い肌の、女騎士であった。ところでこのうら若い七人のチャビリーの近衛婦女騎兵は、実は少し前から東バラタ会社の一部では--いわんやチャビリー姫も含めて--すでに知られた存在だった。彼らはこの七人のことを、憧憬と侮蔑が入り混じった感情で、チャビリー・ガールズと呼んでいた。ここでは侮蔑の意味は抜いて、彼女たちをそう呼ぶことにする。
この駆けつけたチャビリー・ガールズのひとり、馬を降りて、チャビリーのもとへ駆け寄ると、方膝をついて合掌した。
「どうだ」
チャビリーは言って耳を寄せる。チャビリー・ガールは何ごとかをつぶやいた。
「間違いないか」
チャビリーは実に美しくほくそ笑んだ。
「はっ」
「馬をもて」
もはやチャビリーの心のどこにも父への思いはなかった。
如意牛バクティ 第五回 ウパティッサ、カルナに師を問うのこと
カルナにとってもマヌーにとっても、パトナガルまでの遍歴の旅は楽しいものだった。道筋は、ガンゴ河に沿って下っていくものだった。
カルナは様々なものを見た。泥土や石の建物が集まった集落を。そこに住む、服や装身具をつけた老若男女を。また畑、田んぼ、荷車を引く牛、大きな箱に入れられた鶏たち、それから人々が交換する金貨や銅貨を。マヌーはこれらがそもそもなんなのか、その習慣の発祥からさかのぼってわかりやすく教えてくれた。それでカルナは俗世の人々の生活については、だいたい理解ができたのだった。
しかしわからないこともあった。そのふたりの男は市場の店先で殴り合っていた。たいへんな勢いで怒鳴りあい、罵り合っていた。周囲の人々は口ではやめろと言うのだが、取り巻くばかりで、実は成り行きを見ているだけだった。
「量りをごまかしやがっただろう!」
「おまえこそ、こんな薄汚れた銅貨で、俺を馬鹿にしやがって!」
だいたいそんなことを言い合っては、戦い続けているのだった。
「マヌージー、なんなの?」
カルナは不思議でしかたなくマヌーに尋ねたのだが、マヌーは嘆息するばかりだった。
「なんの意味もないことじゃ」
「じゃあ、なんであんなことするの? ふたりとも、痛いよ、あれじゃ」
「意味もない。目的もない。だから、なんでも思ったようにするっちゅうわけじゃ」
「ねえ、止めようよ」
立ち去ろうとするマヌーの腰巻を、カルナはひっつかんだ。
「俗人と関わるとろくなことはない。そう、ろくなことはな」
マヌーはかつてのダスーとの旅を思い出すのか、ああ、いやだ、というような顔をして首を横に振る。
「もう、マヌージーのぺんぺんぐさ!」
カルナは舌をべーっとやった。バラタスタンでは貧相なとかだらしないとかいう意味でぺんぺん草と言うことがあるのだが、カルナはこの音のおもしろさをどこかで聞きとめたのだろう。
「ぺ、ぺんぺん草?? どこでそんな言葉を覚えた!」
マヌーが叱る声も聞かずに、カルナは駆け出して、ふたりの大人の男をつかまえてぽいぽいと--驚いた怪力である!--放り投げ、
「そこまで! 相撲ならおいらが相手だ!」
とやったので、投げつけられた男たちはあっけにとられるし、周囲の人々は喝采を送るしで、その場は治まってしまった。
しかし結局カルナには彼らがなにをしていたのかわからずじまいだった。
ある日には、マヌーに言われてカルナがひとりで托鉢をしたことがあった。
「よいか、戸を叩き、屋人が出てきたら合掌する。タパスを込めてな。この時間家にいるのは婦人じゃから、それからこう言うんじゃ。マタジー、バクシーシ(ご婦人、喜びのもとに捨ててください)」
マヌーに言われたことを反復しながら、カルナは戸を叩いた。黄色いサリーを着た、ふくよかな中年の婦人が出てきた。カルナはさっと合掌した。
「マタジー、バクシーシ!」
はつらつに言って、椀を突き出した。
「あらやだ! かんわいい沙門さま!」
婦人は大いに喜んで--沙門(サマナsamana)とは遍歴行者への敬称だ--カルナを家に招き込み、名を尋ね、米粥を食わせ、チャイ--ミルクと砂糖と生姜とカルダモンの種と紅茶の葉とを煮た飲み物--を飲ませた。この初めて飲むチャイというものの味にカルナは仰天した。マンゴーよりもっと甘い!
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu