如意牛バクティ
白いやつ、とは、アルビオンの意訳かつアルビオン人の外見の描写である。牛黄とは、牛の胆石のことだ。
「バクティの牛黄じゃと?」
これにはダスーも眼を見開いた。
「さよう。これがどういうことなのか、わしにはわからん。確かなのは、わしのタパスが騒ぐっちゅうことだけじゃ。どうじゃ? おぬしのタパスは、黙っておるのか?」
ダスーは蓮華座を組むと、眼を閉じた。いずれ、なにかのシッディを発現させているに相違ない。
しばらくして、眼を開いた。
「どうじゃ、なにか見えたか」
マヌーが尋ねる。ダスーは千里眼というようなシッディで、カリンガ--バラタスタン平原東南部の少藩王国--のほうを見てきたものであろう。
ふうっとダスーは大きく息を吐いた。すべてを了解したような様子であった。
「のうマヌーや」
「うむ」
マヌーが答えると、ダスーはマヌーの眼を見た。歎ずるような顔をした。
「わしらは、もう老いた」
マヌーはしばらく黙っていたが、やがてすべてを察した。
「真理じゃな。もうこの話はよそう」
それからあとは、カルナの話をしていた。
如意牛バクティ 第四回 カルナ雪のすみかを去り、チャビリー父を祀るのこと
カルナがタパス祭りに興味を示したことに、マヌーは意外な思いがした。
「タパスを比べるの? 楽しそう!」
カルナは芋煮を食べながら、嬉々として言った。
「そうじゃ。四年に一度のことでな。バラタスタン中からヨーギン(Yogin.男性のヨーガ使い。女性の場合ヨーギニーYogini.)が集まって、タパスの強さを競うんじゃ」
マヌーが言うと、カルナはマヌーの眼を見た。
「おいら、出たい!」
と強く言う。
(虎の子も成長すれば自ずから親元を去るというがな)
マヌーはいぶかしんだ。それで聞いてみた。
「カルナは、ダスーと離れるのが寂しゅうはないのか」
「うーん…でもお祭りが終わるまでだし。街ってそんなに遠いのけ?」
「いや、そんなに、遠くはない」
マヌーは嘘を言った。近日タパス祭りが開かれるパトナガルはバラタスタン平原中央部、ガンゴ河とヤミー河の合流点にあって、この雪山からいったい何由旬離れているかわからないほどだ。徒歩なら一ヶ月はかかろう。
(やはりここへ戻るつもりか)
マヌーは案じた。ダスーと話しあって決めたのは、マヌーがタパス祭りにカルナを連れて行くこと、そしてマヌーはそのまま姿を消すことであった。しかしマヌーにはカルナなら自力でここへ帰ることは難しくないのではないかと思えてきた。
(犬が遠地の飼い主を探し当てる話はよく聞くの。ましてカルナのこの強いタパスじゃ)
それに、
(一度親に捨てられたこの子がもう一度捨てられるなど、なんの因果がこの子にあったものか)
とやはり不憫に思えてきた。
やはりこのことはやめにしよう、と考えていると、
「カルナや」
と黙して芋煮を食べていたダスーが言った。
「うん?」
「急いで戻らんでもよい。街にはいろんな人がいる。いろんなものがある。ここにはないものばかりじゃ。それも自然の形じゃ。これらをよく知るまでは戻らんでもよい。よいな」
「うん…」
返事はしたもののカルナはうつむいてしまった。
(ほれ、この子はダスーと離れとうないんじゃ)
マヌーは嘆ずるのだった。
「そうじゃ」ダスーは思い出したというように言った。「街なら、もしかしたらバクティが立ち寄ることもあるかもしれんな」
「え、ほんとけ?」
「ああ、それにタパス祭りにはたくさんのヨーギンが集まるからの。バクティに会ったことがある者も、来るかもしれんな」
「ほんと? ほんと?」
カルナは身を乗り出すようにダスーににじり寄った。
「うんうん、きっと来るぞ」
「じゃあおいら行くよ!」
「うむ、毎日修行を怠けず、がんばりなさい」
「うん!」
子供らしく簡単に丸め込まれてしまった。マヌーがダスーの眼を見ると、さも楽しそうに笑ってみせた。
(聖仙が子供を騙して笑っとるわい…まあ、ええか)
ともかく出発することが決まった。
翌朝、ダスーはカルナに麻布の腰巻を巻いてやった。
「街の連中っちゅうもんは臆病でな。ここを隠しておかんと、おぬしが自分をとって食うのじゃないかと疑うんじゃよ」
と、子供向けに教えてやった。しかし間違ってはいまい。いずれにせよ、カルナに理解できることではなかったけれども。
別れ際に、腰にすりよって離れようとしないカルナに、ダスーは聞かせてやった。
「よいかカルナ。これからおぬしはいろいろなものを見る。しかしそれらも、この樹木や川や山と同じ、ひとつの自然じゃ。ここには自然以外のものはない。そして自然に種類はない。ひとつしかないんじゃ。そういうわけじゃからな、おぬしにできるのは、おのれの力のすべてを燃やすことだけなんじゃよ。これを忘れぬようになさい」
ダスーはタパスを一瞬燃やして、カルナの心にひそかに勇気を植え込んだ。
「うん!」
カルナにはよくわからなかったのだが、ダスーのタパスの温度だけを受け取って、雪のすみかを離れた。
さてマヌーとカルナが遍歴の旅を始めた頃、カリンガ藩王国でひとつの出来事があった。カリンガ王ビーマが乗馬中に落馬し、急死したのだ。おそらく脳卒中による突然死だった。
カリンガの人々はうろたえた。それは東バラタ会社による収税を毅然とした態度で拒否していたビーマ王の、アルビオン人による暗殺を疑ったのではなくて、ビーマ王にはまだ二十歳ほどの一人娘以外に子供がなかったためだった。
東バラタ会社による相続権の喪失を理由とした藩王国の取り潰しは、後世に語り継がれるが如く、苛烈なものだった。
なにしろ、ガンゴ河畔でビーマ王を荼毘にふしている、ビーマ王の忘れ形見、チャビリー姫の目の前に、東バラタ会社の本拠フォート・ビリーからの使者が現れるという始末だった。
「王女におかれては、速やかにアンガ(ガンゴ河河口部の東バラタ会社管区)のフォート・ビリーまで出頭されますよう」
このアルビオン人の使者がそう述べて--流暢なバラタスターニー語ではあった--目を上げると、そこには、薪とビーマ王とが焼ける煙を背景に立つ、軍装の--銀色の薄手の鎖帷子であった--すらりと背の高い、女が立っていた。菩提樹の葉をかたどった銀のティアラを頂き、胸元なまめかしく膨らみ、腰はあでやかにくびれ、臀部ふくよかに、四肢はしなやかに伸び、肌は宝石のように青黒く透き通り、顔つきは凛々として堂々としていた。ようするに、女神と見紛うような美しい女であった。そして女の左右には、六人の同じ軍装--銀の鎖帷子--の女たちが矛を手にして立っていた。また河岸には多くのカリンガの民が集まっていた。
(こんな女がいたものか)
彼はとうに圧倒されていた。
「出頭だと?」
軍装の女、カリンガ王女チャビリーだが、彼女はゆっくりと言った。その鐘の音のような美しい声は、アルビオン人の使者に畏怖を感じさせるに充分だった。
「なにゆえだ」
そう言われて、使者は使命を果たすべくおずおずと述べた。
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu