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如意牛バクティ

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 「わかった? 自分、自分、って考えるのをやめちまうのさ。とかく人ってのは、俺はこう思う、あたしはそれは違うと思う、これは俺のものだ、あたしはあいつが気に入らない、なんてこだわるもんだから、どんどん体が重くなっていっちまうんだ。まあ、バガヴァン、アンギラーサ・マヌージーが教えてくださったことだけどね…ほら」
 パドマーヴァティは空を指差した。
 「風をごらんよ。なんにも考えちゃいない。身軽なもんさ」
 カルナは言われて空を見上げ、風の流れを眺めた。カリンガ城の端から端まで一瞬のうちに飛びいたってしまう。なるほど、我執に囚われた人間には真似のできない驚いた身軽さである。
 (わ、楽しそう!)
 カルナには風が自然をありのままに楽しんでいるように見えた。そこでカルナは風のあとを追いかけてみたくなり、風を眺めたまま、地をトーン、と蹴ってみた。
 カルナの体は海に潜るように、ゆっくり横に回転しながら宙を浮き上がり、風の裾に巻き取られるように上昇していくと、やがて風の上に乗って空を旋回した。
 「そうそう、そうだよ!」
 パドマーヴァティが驚いて笑った。カルナはヴァーユ・シッディをものにしてしまったようだ。なんともあっけないものだが、カルナは我執を捨てる苦労などせずとも、もともとあまりものを考えないからに違いない! 想像するに、例えばプラセナジットのような我執に囚われた人がヴァーユ・シッディを成すには、確かに激しい苦行が必要なのかもしれない。
 ともあれ、風に乗って滑空しながら、カルナは見た。丸く巨大な大地と空、東のかたに広がる海の水平線を。一面の陽光と、もろもろの生き物たちを。大気の粒子の踊りを。カルナは聴いた。彼らの歌の和声を。するとカルナの心に喜びが湧きおこり、この素晴らしい合唱に加わりたくなった。そこでタパスを燃やして体全体を大の字に開いてみた。空中であるので四肢はさえぎるものもなく伸び切り、心地良いことこの上なかった。カルナは四肢を折り畳んでは伸ばし、タパスを放出した。
 ドオン! ドオン! ドオン!
 カルナの体から閃光と衝撃波が飛び出し、空にまた地表に広がっていく。大気がきらきらときらめき、海は波立って、波紋が水平線まで駆け抜けていった。
 「いえい!」
 カルナはご機嫌な様子で空を飛び回っては、閃光と衝撃波を放って辺りをきらめかせた。
 このありさまにカリンガのもろもろの人々は驚いたが、パドマーヴァティたちチャビリーガールズは、カルナが楽しげに飛びタパスを噴出させるさまに心を揺り動かされて、すっかり楽しい気分になると、仕事を放り出して、自らもヴァーユ・シッディを現して空に舞い上がると、カルナと一緒になって踊り、タパスを放出して喜ぶのだった。そこで地上のカリンガの庶民たちも大いに喜んでさまざまに歌ったり踊ったりしはじめた。
 カリンガ城の郊外の森の切れる辺り、草原に、供の者たちを引き連れて、馬上に威風凛々と佇む、長い髪を編み巻きにした人があった。隣国から戻ったチャビリーである。
 目の前の騒ぎを引き起こしているのがカルナであることを悟ると、
 「あの馬鹿め」
 と罵りながら、少女のように微笑んだ。

 カリンガがまだそんな穏やかな空気に包まれていたころ--それはつかの間の安息だったのだが--アンガの森の外れ、美しい川のほとりに、よろよろと歩くひとりの男があった。見ればあわれ体中が焼けただれた裸形のウパティッサである。
 (水だ!)
 ウパティッサは歯を食いしばり川岸に向かったが、ふっと意識が抜け落ちて、仰向けに砂の上にばったりと倒れてしまった。太陽が西のかたに傾き、カラスたちが肉の焼ける匂いを嗅ぎつけて、ウパティッサの腹をつつきはじめた時、森からひとりの女が歩き出て、
 「What you doing, fucking devil!(なにやってんの、くそ悪魔!)」
 と叫んでウパティッサのもとへ走り、腕を振り回してカラスたちを追い払った。
 この女を見れば、クリーム色のおろした長い髪、碧眼、透きとおるような白い肌。言葉からしてもアルビオン人に違いないが、顔立ちは端整で美しいが、体つきはきりりと引き締まり、活発で勝気な婦人であることを想像させる。黄色い花と緑の草が控えめに刺繍された白い綿のブラウス、枯草色の麻の素朴なスカート。涼しげで清楚な装いだ。年の頃は二十歳そこそこと見える。
 「なんてひどい火傷でしょ! あんた、しっかりしなさい!」
 女はバラタスターニー語でウパティッサに呼びかけた。返事はない。
 「あんた、ヨーギンね? こんな無茶な苦行をするヨーギンがいるなんて、聞いたこともないわよ。それともなんかあったわけ? なによ、すっぱだかで! ちょっと、生きてる?」
 女は質問するが、やはりウパティッサはうんともすんとも言わない。女はウパティッサの鼻のあたりに耳を寄せて、うつろながらも呼吸をしていることを確かめると、
 「まったく、しょうがないわね。バラタスタンじゃ沙門を助けてあげると良いことがあるって言うけど、あたしにもなにか良いことがあるかしらね。如意牛が現れて、あたしの絵のモデルになってくれるとかね」
 とそんなことを言って、腕まくりをし、髪を麻紐で手早くシニヨンにくくると、驚いたことにウパティッサを持ち上げて背負い、森の中へと歩いていってしまった。この力持ちのアルビオンの女はいったい何者なのか。

 ウパティッサが気がついたのは、乳の煮える甘い匂いが鼻を覆ったからだった。
 (ああ、乳の匂いは甘美だ)
 ウパティッサはそんな感動とともに、目を開いた。体中に綿布が巻かれている。なんだか体がひやっとする。
 (軟膏が塗られている)
 ウパティッサはすぐにそのことに気づいた。してみれば誰かが自分の手当てをしてくれたのだ。寝台の上に寝ているのがわかる。顔をあげると、木造りの部屋。天井は高く、天窓がいくつも開いていて、朝特有の澄んだ光をそそいでいる。天窓のそこかしこに、樹木の枝葉が見える。ここは森の中のようだ。
 (美しい家だな)
 とウパティッサは印象を持った。
 体を起こして辺りを見ると、いくつもの絵が置かれている。ほとんどが樹木やその群れである森、そして空だ。描きかけなのか、余白があるものもある。左に目をやると、ひとりの金髪の女が、調理用の土のかまどの前で、煙をあげる鍋を覗いているのが見えた。
 (アルビオンの女…)
 ウパティッサは悟ったが、ともかく話をしなければなるまいと思った。
 「君は」
 と言うと、女が振り向いて、にっこり笑った。
 「あら沙門さん、おはよう。ちょうどお粥ができたわよ。でも残念だったわね、あんたが起きなかったら、あたしが口うつしで食べさせてあげたのに。アルビオンでは乙女の口づけは愛の証。あたしの愛をもらいそこねたわね」
 などと早口のバラタスターニー語で言いながら、粥を椀にもりつけている。ウパティッサは顔をほてらせた。それというのも、ウパティッサはこの女に美しいという印象を持ったからだ。
 ウパティッサが出家に際してたてたブラフマチャリヤ(不淫)の誓いを思い出し、自らの未熟を恥じていると、女が椀を持って近づいてきて、
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu