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如意牛バクティ

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 「さよう、会うのは二度目だ。私はウパティッサ。おまえに用があって来た」
 ウパティッサはアルビオン語で言った。
 「どこで覚えた、ヨーギンふぜいが」
 アレックスもアルビオン語で話し始めた。
 「なに、君たちについて知りたくてね。昔アンガにいたとき、アルビオン語の本を何冊か、君のお仲間から譲ってもらって読んだだけだ。私にはそれで充分でね……そんなことを聞きたいのじゃなかろう? この石を返せ、と言うんじゃなかったのかね」
 アレックスはピストルを構えたまま、ウィリアム総督の側へと歩いていった。
 「返せと言って、返してはくれまい?」
 「そうでもないさ。おまえに聞きたいことがある。おまえの答えしだいでは、返さぬでもない」
 「ほう、なにが聞きたい」
 アレックスは背中でウィリアム総督の机の下に手を伸ばした。気づいたウパティッサは指でアレックスを指差した。
 (体が動かん!)
 アレックスは金縛りにあったようだった。五体のどこも動かない。
 「助っ人を呼ぶのは遠慮してもらおう。話はふたりきりだ。おまえはヨーガを知らなさすぎる。人は機械に頼らずとも、自らの力でこういうこともできるのだよ」
 総督用の、兵の詰め所に連絡できるボタンでもあったのだろう。アレックスとて、この若いながらも静かで威厳あるヨーギンに、ピストルひとつで勝てるとは思っていなかったのだ。
 (わかった、苦しい!)
 アレックスは話すことも呼吸することもできなくて心のうちで叫んだ。ウパティッサはそれを青く燃えるタパスによって聞くと指をおろし、次のことを言った。
 「よし、では答えよ。おまえはいったいなにが望みだ? 如意牛になにを願うつもりだ? いや、如意牛が叶える願いがひとつとは限らぬな。おまえは如意牛を手に入れて、どうするつもりだ?」
 と。アレックスは呼吸を整えながらも笑って、
 「私はアルビオン東バラタ会社の一社員にすぎない。考古局長という肩書きがあるだけでね。会社の利益のために働いているだけなんだよ。私がパトナガルで言ったことを忘れたかね? 如意牛は願いを叶える神の使いなどではない。ディルムンびとの生み出した機械にすぎない。おそらくは、王を守るためのな。しかしあの牛を作ったディルムンの科学技術を解明すれば、会社にとって、いや我が女王陛下にとって、この上ない利益だからな。私の仕事はただそれだけのことだ」
 と言う。ウパティッサは寂静の心を保ったまま、
 「私に偽りは通じぬよ」
 と言うと、タパスを燃え上がらせてアレックスの心を覗いた。ウパティッサの眼に初めに氷河の如き氷が現れた。アレックスの自ら生きる力を封じ込めた、凍りついたタパスであろう。ウパティッサはその氷を砕いてさらにその内部を覗いた。そのときそれまで表情を動かすことがなかったウパティッサが、眼を見開いて、驚きとも憤りともとれぬ表情になった。
 「おまえは…」
 ウパティッサが見たもの。それは地表一面に、地平線までえんえんと続く、うつろな眼で平伏する人々と、古代の遺物のような巨大な城の頂上で玉座に座るアレックス・カニンガムだった。
 どうやら心を読まれたと気づいたアレックスが、くくく、と笑った。
 「おまえは、そんな馬鹿げた望みのために、あまねく世界の人間を憎悪し、虐げ、従わせようというのか」
 ウパティッサが悪鬼と遭遇したように、卑しむような顔で言った。しかし、どんな願いも叶える牛を手に入れたなら、人がはじめに思いつくのは、全世界の王になってすべての人間を支配することに他ならないかもしれない。アレックスの発想はそういうごく自然な率直なものなのだろうか。
 「馬鹿げた望みだと?」アレックスは笑って言った。「では聞こう、ヨーギンよ。強力な王が君臨せず、人々に何事も自由にやらせた世界は、馬鹿げてはいないのかな? 隣人と握手しながら心のうちでは奪い殺す隙をうかがい、影で罵倒し、死ぬまで金貨を貯めつづけて墓を買い、宝石が不老長寿や開運に利くと聞けば鎧のように身にまとい、あるいは砕いて飲んで中毒死する。子供ができれば溺愛して足萎えに育て、その子供に他国の者を殺すことを教える。これがあるがままの人間の姿なのではないかな? 生来愚劣で凶暴な人間を、権力で管理し従順で平和な人民となす。これが古来からの人類の平和のための唯一の方法だよ。もっとも、これまで人類は、その権力が弱いばかりに、凶暴な貪欲な人間を抑えきれず、王家の交代のための戦いを繰り返してきたわけだが、如意牛の力をもってすれば、私なら、人々に真の平和をもたらせる。私は救世主なのだよ。いったいこれのなにがいけないのかね?」
 「なるほどな」
 ウパティッサの知性はたちまち連鎖するようにきらめいて、あることを解き明かした。
 「ディルムンびとはおまえと同じようにふたつのことを忘れ、おまえと同じように我執に走り、滅びたわけか。ようやく謎が解けたよ」
 「なんだと?」
 アレックスは自らを否定されていることに気づいて、怒りに眼を光らせた。するとウパティッサは慎みあり品格ある言葉で次のように言った。
 「おまえはふたつのことを忘れている。自らに宿っているふたつの力を。我らはなんの努力もしなければおまえの言うとおり、貪欲で凶暴な、猿よりも愚かな存在だ。だが我らには決意する力がある。貪欲な凶暴な愚かな生来の性分に逆らって、なにかを成し遂げようと決意する力がな。これは知性と呼ばれる。そして我らにはこの決意に基づいて努力する力が秘められている。これがタパスと呼ばれる。私には見える。遠からず、カルナという少年が、おまえにこのふたつのことを身をもって教えるだろう。おまえは自らの無知に打ちのめされ、涙を流すだろう」
 と。アレックスはこのウパティッサの真実に満ちた言葉を笑うことができなかった。心は屈辱と報復心にまみれ、逆上し、ウパティッサにピストルを向けて、バンッと発砲した。アレックスはこうする以外の方法を知らなかったのだ。
 ウパティッサは足を組んで飛翔した。アレックスの視界から消えてしまい、彼が動転しはじめたそのときには、ウパティッサは彼のこめかみをつん、と突いて、卒倒させてしまった。ウィリアム総督を気絶させたのと同じ方法だ。あるいはプラセナジットが用いたのと同じ、クベーラ・シッディによって脳を揺らし、脳震とうを引き起こす技だろうか。もっとも、ウパティッサのそれは脳神経を引き裂くようなものではないようだが。
 こうしてウパティッサはアレックス・カニンガムをも倒してしまうと、机の上の粘土板を手にとった。それはウパティッサの顔ほどの大きさで、細かい文字と、さまざまな絵とがびっしりと彫られていた。右の下部は破損しているが、それでも相当量の文字と絵とがある。
 (これは…驚いたな)
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu