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如意牛バクティ

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 東バラタ総督ウィリアム・ローズ卿の口ぶりには、傲慢さに満ち満ちていた。広大なバラタスタンの数億の人々を奴隷のように従わせ、富を独占する男が、もし神や奇跡を信じぬとすれば、彼のように全能神さながらに傲慢になったとしても不思議ではない。
 「申し訳ありません。カリンガ王たちの襲撃を予測できませんでした」
 「本当なのか、空を飛んだというのは」
 「はい。ヨーガの力は恐ろしいものです」
 「で、死者の灰を塗りたくった死神どもを雇ったというわけか。あの娘は地下牢に入れてある」
 ウパティッサはこのウィリアム総督の言葉に耳をそばだてた。
 (あの娘、ダマヤンといったか。やはりすでに連れてこられていたか。カルナを倒したのは塗灰のヨーギンということだな。やはりこの男の息がかかっていたか)
 ウパティッサは塗灰行者と聞いて、自分の師と同門の仲間たちのことを思い出した。ウパティッサもかつて彼らとともに螺髪を巻き、死者の灰を体に塗って断食や不眠などの苦行を修していた。少し前に、師や仲間にも断らず、螺髪を切り、体を洗い、逃げるようにパトナガルへと向かったのだ。師の教えへの懐疑からだった。
 (もはやバガヴァンのもとへ戻る気にはなれんな。もっとも、バガヴァンのほうでとうに破門にしているだろうが)
 ウパティッサは心のうちそう思ったが、まさかダマヤンを拉致したのがかつての師と仲間たちだとは考えもしなかった。塗灰行者はバラタスタンにいくらでもいる。伝統的な苦行の方法のひとつにすぎないからだ。
 「それで、いったいどういうことだ。如意牛が本当に現れたと聞いたがな」
 「はい。現れました」
 「きさまはこう言ったな。どんな願いも叶える如意牛など迷信にすぎぬ、あるのはディルムンの科学技術のみだと」
 「閣下、如意牛というのは、名前にすぎませんよ。迷信深いバラタの者どもが、また私どもも便宜上、そう呼んでいるだけです。お聞きになりませんでしたか。カリンガ王チャビリーが願いを言ったものの、なにも起こらなかったことを」
 「聞いたとも。だがこうも聞いた。娘がつけていたペンダントから牛が飛び出し、娘を乗せて七色の光とともに飛び去った、とな。そんな牛なら誰でも如意牛と呼ぶだろうな」
 「では閣下は、あの牛が本当にどんな願いも叶える神の使いだと考えられるので?」
 「そうではない。植民地の愚劣な神話だの伝説だのには反吐が出るわい。古代的な統治手法だ、大衆の迷妄を利用するというのはな。ただその牛がなんなのかわからんというだけだ」
 「あの牛はディルムンびとが作ったロボットです。王女であるあの娘を守るように作られているのですよ。それだけの存在です。しかし私がディルムンの遺跡を発見し、あの牛について研究すれば、ディルムンの科学を解明すれば、強力な兵器を作れます。女王陛下の権威はゆるぎないものとなり、ホランドとて敵ではなくなります。女王陛下から私への勅旨はすでに閣下にお見せしたはずですが?」
 ホランド王国がアルビオン王国と世界をまたにかけて植民地争いをしてきた歴史については、ここではとても書ききれないが、アレックス・カニンガムの表向きの任務はこのようなものであるらしい。
 「ロボットだと?…すごいものだな」
 「ディルムンの科学は我々の水準をはるかに越えていたのです。生きている牛のような機械を作り、紅く輝く街を作った。お渡しした粘土板をご覧になったでしょう」
 「あれか、わしにはやはり文字が読めなかったよ」
 ウィリアム総督はそう言って机の引出しの錠を開け、ふたつの焼き粘土の板を取り出した。ウパティッサがちらりと見れば、牝牛や光を放つような街々、それから楔を連ねたような文字らしきものが彫られていた。
 (これは…)
 博識なウパティッサにも見慣れぬ文字であった。
 「文字の対照表はお渡ししましたが」
 「わしには複雑すぎる。考古学ではきさまはやはり一流だ。ディルムン文字を数日で解読してしまったのだからな」
 「これはこれは」
 アレックスはにやけた顔になった。ウパティッサはアレックスがウィリアム総督を心から軽蔑しているのが了解された。
 「孔雀王の石柱を探していたとき、この粘土板を偶然発見しなければ、私とてディルムンの科学など、想像もしませんでした」
 「で、ここに書いてあるという、ディルムンの首都の遺跡は、目処はたったのか」
 「まだです。探させてはいますが…ところで閣下、如意牛の牛黄と呼ばれている、紅い石ですが…」
 アレックスの眼が突然鋭くなった。
 「ああ、ヨーギンどもが持ってきた。しまってあるよ」
 「あれはディルムン研究に欠かせません。私に預からせていただきたい」
 「そうはいかん。カリンガを討伐するのに、あの石はなにか使えそうだからな。チャビリーがあの石を欲しがっているのなら、な。マツラ号が間に合わんのは残念だが、来週にもカリンガ攻めだ」
 「閣下、私が女王陛下からの勅命を受けているのをお忘れですかな?」
 アレックスはふいに懐からピストルを取り出してウィリアム総督に突きつけた。一考古学者がバラタ総督にピストルを向けるなど、許されることではありえない。そこでウィリアム総督は激昂して、
 「小僧、なんの真似だ!」
 と怒鳴りつけた。
 「どのようなことがあっても必ず如意牛の秘密を解き明かせ。これが女王陛下の命ですから、私はそれに従うまでです。閣下が如意牛の牛黄を渡さぬというなら、閣下は女王陛下への反逆者ということですな」
 アレックスがほくそえむと、ウィリアム総督は苦々しげに、
 「ええい、銃を収めい」
 と言うと、机の一番上の引き出しを空け、麻紐のついた、紅い石を取り出した。中央に青黒い牝牛の顔と楔形文字。バクティの牛黄である。バラタ総督をも意に従わせてしまうとは、アレックス・カニンガムという男、やはりどのように考えても世の常の考古学者ではない。
 「ご無礼をお許しください」
 アレックスがピストルを懐にしまい、ウィリアム総督がバクティの牛黄を手にとってアレックスに渡そうとしたとき、ふたりのかたわらに、肌は白く、腰巻を巻いた、ひとりの比丘が忽然と現れた。ふたりが驚く間もなく、比丘は腕を舞わしてウィリアム総督からバクティの牛黄を奪った。
 あっけにとられたふたりが見れば、麻紐を左の人差し指にひっかけて石をくるくる回し、黙然と立って瞳を輝かす比丘、これぞタパス鷹の如きウパティッサその人。


如意牛バクティ 第二十回 ウパティッサ、ディルムン文字を解読するのこと

 アレックス・カニンガムがピストルを発砲したが、ウパティッサは浮くように宙に飛んで弾丸をかわすと、腰からピストルを抜こうとしたウィリアム総督のこめかみを、空中に静止したまま指でつん、とひと突きした。ウィリアム総督の記憶はここまで。椅子の上に重い体重をどすん、と落として白目を向いてしまった。
 ウパティッサは麻紐を指でくるくると巻き取ってバクティの牛黄を手に握ると、アレックスを顧みた。黙然とアレックスの眼を眺めている。
 「きさま、覚えているぞ。パトナガルにいたヨーギンだな?」
 アレックスがウパティッサにピストルを突きつけて言った。バラタスターニー語だ。
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu