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如意牛バクティ

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 マヌーはテミルに来ていた。ダマヤンの親戚を探し出し、彼らの先祖がディルムンの滅亡--大洪水--のときその首都から逃げてテミルまで来たこと、その首都は西方の大河のほとりにあったことを聞いた。彼らにとってもそれは神話の如き伝承であったけれども。マヌーはウパティッサにそのことも伝えた。
 (西方の大河というと、シンドゥ河か、その支流以外にないでしょうな)
 ウパティッサがマナスを飛ばしてきた。
 (そうじゃろな。シンドゥ河沿いに歩いてみるつもりじゃよ)
 マヌーもウパティッサにマナスを飛ばす。テミルからシンドゥ河まではたいへんな距離がある。バラタスタン亜大陸の南端から西端までであるから。歩けば二ヶ月はかかろうが、おそらくマヌーはパトナガルからテミルまでをそうしたように、ヴァーユ・シッディを用いて数日で飛びいたるであろう。
 (で、どうじゃな、アンガの様子は)
 (朝からフォート・ビリーの門の前にいるのですが、ちょうどさきほど、あの考古学者が蒸気自動車で要塞に入っていきました。それから半壊した飛行船が運び込まれました。何台もの蒸気自動車で台車を牽引して、孔雀王のころ石柱を運んだときもかくあろうというような、たいへんなありまさでした。修理するつもりでしょう)
 かつて史上初めてバラタスタン全域を統一支配した孔雀王は、各地に自らの理念を刻んだ大きな大理石の柱を立てた。二千年以上を経た今現在も、我々はバラタの風を受けて立ついくつかの巨柱を見ることができる。ウパティッサは東バラタ会社の権勢を彼に比したのだ。
 (潜り込むつもりかの?)
 (アルビオン人の頼みは銃や大砲。見つかりさえしなければ問題ないでしょう。プラーナ・シッディを用います)
 プラーナ・シッディとは無の境地というようなものにいたることで気配を消し去るシッディだが、ウパティッサのヨーガの技術はいったいどこまで多彩なのだろうか。
 (チャビリーが言うには、カルナを打ち倒したヨーギンが五人おるらしい。そのヨーギンたちがダマヤンをさらったということじゃ。おぬしが着く前に、要塞に入ったかもしれん。くれぐれも慎重にな)
 (諾)
 ウパティッサはマヌーから意を放すと、次のように考えた。
 (あの怪童を倒せるヨーギンがいるとすれば、タタガット・ダスージーかバガヴァンくらいだが、そんなはずはないしな)
 と、いぶかしむばかりだった。
 (ともかく、探ってみなければ始まらぬ)
 ウパティッサはフォート・ビリーの近くの樹下へ行き、蓮華座を組むと、瞑想してたちまち三昧(サマーディ。集中が極まった状態)にいたった。見れば、しだいに彼の体が透きとおっていき、やがて、見えなくなってしまった。これはまた驚いたシッディである。

 ところでこのころもうひとつの出来事が起こって、進行しはじめていた。それはじつはひとつの出来事ではなくて、いくつもの出来事が連なっていて、カルナたちとも密接に関わっているのだけれども。
 それはパトナガルでタパス祭りを見物していた人々から始まった。如意牛バクティが現れたこと、如意牛は東バラタ会社軍の飛行船から出てきた少女が呼び出したこと、少女を取り合ってカリンガ王と東バラタ会社軍が戦ったこと、少女を守った少年と少女とが如意牛に乗って逃げたこと。これらの話が見物人たちから人づてにさまざまに伝えられたのだが、どの人の話にも共通していたのが、アルビオン人が如意牛を奪おうとした、カリンガ王チャビリーは勇敢にもそれを阻止しようとした、というものだった。つまりこれは真実であったわけだけれども、バラタびとの搾取者アルビオン人への憤りゆえに、彼らがついにバラタの英知の象徴たる如意牛をも盗もうとしていると伝えられる結果となったのは間違いない。
 しかしいまはまだ、それまでくすぶっていたバラタびとたちの反アルビオン感情に、小さな種火がつき始めたというにすぎなかった。具体的な出来事としては、インドラプラスタの東バラタ会社の支店の門に、ひとりの若者が、

  バクティは貪欲な者の願いを叶えない

 と落書きをしたくらいなものだったから。


如意牛バクティ 第十九回 ウパティッサ、バクティの牛黄を奪うのこと

 フォート・ビリーはアルビオン東バラタ会社のバラタスタン経営の、経理上、軍事上双方の本拠地で、現総督のウィリアム・ローズ卿による改修後、その総督の名(ウィリアム→ビリー)を冠するようになった。ガンゴ河口に程近い、アンガ湾の入り江のひとつを丸々覆ってそれは建てられていた。絶えず蒸気船が出入りするドック、そびえ立つ城壁、いたるところに配置された最新鋭の砲台。世の常のバラタびとであれば、このような威容を誇る要塞を持つ者どもには、従うほかはないと嘆息するばかりだろう。
 ウパティッサは三昧に入ったまま、姿を消したまま、フォート・ビリーの門をくぐり、守衛兵たちのかたわらを歩いて通った。いったいどのような精神の集中をもってこのようなことができるのか見当もつかないが、ともかく彼は誰にも気づかれることなく、
 "GAVERNOR'S OFFICE"
 という札のついた扉の前にいたった。
 (総督室…ここか)
 とウパティッサは黙想したまま認識した。どうやらウパティッサはアルビオン語が読めるらしい。バラタスタンにヨーガ行者多しといえども、アルビオン語を読めるのはウパティッサただひとりかもしれない。ヨーガ行者は伝統的にバラタの古典を学ぶこととヨーガの実践を行うことで満足し、新しい時代の知識を学ぼうとはしないものだからだ。
 (さて、どうやって入るか)
 守衛兵がふたり立っていて、扉は閉まっている。誰かが中に入るなり外に出るなりして扉が開けば兵や室内の人物に気づかれずに入り込めるだろうが。
 ウパティッサが三昧の中で思案するでもなくそのように感じていると、ひとりの男がやってきた。麻のジャケットにズボン、ゲートル。倣岸不遜な人格を隠そうともしない陰気な目つき。考古学者アレックス・カニンガム卿に相違ない。
 「閣下はいらっしゃるか」
 アレックスが尋ねると、守衛兵たちは敬礼した。早口のアルビオン語だが、学識豊かなウパティッサには充分聞き取れた。
 「はっ」
 「外せ。機密の伝達だ」
 「はっ」
 守衛兵たちは機械仕掛けのように敬礼すると去っていった。アレックスが扉をノックし、
 「アレックスであります」
 と告げると、
 「入れ」
 と野太い声がする。アレックスが扉を開けて部屋に入ったとき、ウパティッサは彼の背後に張りつくようにして、ついに総督室に忍び込んだ。
 ウパティッサが見れば、大きな机の後ろに、太った軍服の男がいた。胸元にごてごてと貼りつけた勲章の数々が、この男の虚勢の強さを物語った。
 アレックスは敬礼して、次のことを言った。
 「マツラ号の収容が完了しました。さっそく修理を始めています。一ヶ月もあれば飛行できるでしょう。コロンビアからのヘリウムガスが予定通りに着けば、ですが」
 コロンビア。いわゆる新大陸のことである。
 「鳴り物入りの飛行船が、処女飛行で半壊か。優秀なものだな、バラタスタン考古局長」
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu