如意牛バクティ
さて太陽が西の地平線に姿を隠すまで心の赴くままに歌い踊ったカルナとダマヤンは、自らのタパスの熱と太陽の力によって驟雨に打たれたように汗を吹くと、目の前の清らかな湖で泳ぐことにした。
「ちょうちょうちょうちょう!」
などとカルナがはしゃいで泳ぐと、ダマヤンもまた、
「ちょうちょう!」
とカルナの真似をしながらともに泳いだ。潜っては笑い、泳いでは微笑んだ。そこでふたりの体と衣についた汗とダマヤンの血とは、すっかり洗い流された。ふたりが心ゆくまで泳いでから湖から上がると、辺りの大気は太陽からやってくる熱を失って急速に冷たくなっていた。ダマヤンはぶるっと水に濡れた体を震わせた。
「ダマヤン寒いのけ?」
内なるタパスを燃やすことで極寒の雪山で暮らしていたカルナには快適な涼しさだったのだが、腕を抱えてさするダマヤンに尋ねた。
「うん、ちょっと」
「じゃあ火を起こそうよ」
「うん、でもどうやって?」
「おいらに任して。薪を集めよ!」
「うん!」
ふたりは辺りに落ちている枯れ木をせっせと楽しげに集めて積み上げた。たちまち薪の山はふたりの背丈--ダマヤンのほうがほんの少し高かったが--ほどになった。カルナはそこから薪をとってもうひとつの小さな薪山を作ると、足を広げて踏ん張り、脇をしめて両手で大気を持つようにした。
(カルナったらなにをしてるのかしら?)
ダマヤンが怪しむと、カルナは重いものを持ち上げているかのように、息をとめて全身に力を込め、
「んんんんーっ!」
などとうめくと、勢いをつけて腕をぐんっと空に突き上げた。すると薪山からボウッと炎が現れた!
「わあ!」
ダマヤンがびっくりして声を上げると、カルナは笑って、
「ほらダマヤン、あたりなよ」
と平然と言う。ダマヤンは濡れたワンピースを炎に当てながら、次のように考えた。
(カルナは自分のやりたいことをなんの迷いもなく自分の決意と努力で成し遂げるんだわ。なんて自然なんだろう。なんて力強いんだろう。ああ、このままカルナとずっと一緒にいられたら、どれだけ嬉しいだろう)
と。ごろんと寝転んでにこにこ笑っているカルナと眼が合ったとき、ダマヤンはカルナにこの考えを知られたような気がして、恥じらって顔をほてらせ、うつむいた。
満ちた月が星空に巨大な輪を作り、光は、湖面に反射してきらめき、焚き火の煙を照らした。カルナとダマヤンはマンゴーの大きな実をひとつずつ食べた。そうしてふたりが満足すると、鳥や鹿たちも眠りにつき、誰ひとりとして、カルナとダマヤンの話を盗み聞く者はいなかった。そこでふたりは寝転んで星々を眺めながら、ときおり薪を火にくべながら、互いに自分について語った。カルナは、ダスーのこと、雪山での暮らしのこと、マヌーとの旅のこと、ウパティッサと競ったタパス祭りのこと、それからバクティに会うことを望んでいたことなどをすっかり話した。ダマヤンもまた自らについてのいっさいを話してしまった。バクティの牛黄をもらったとき、母が言った言葉のすべてまでも。
「あの虎ちゃんみたいなマタジーが言ったお願いは、やっぱり叶えられなかったのかなあ」
カルナがダマヤンの胸元のバクティの牛黄を眺めながら、言った。チャビリーのことだ。
「うん、そうみたいね」
ダマヤンもまた、バクティの牛黄を手に持って、石に描かれた牝牛を眺めた。
「バクティはどんなお願いも叶えてくれるはずなのに、なんでだめだったんだろ。やっぱりヨーガの修行を思いっきりした人じゃないと、だめってことかな?」
「でも、あのアルビオン人は、ヨーガの修行なんてやっていないのに、私にバクティを呼び出す方法を尋ねたわ。それにあのカリンガの女王さまが願いを言ったとき、平気な顔をしていた。あの女王さまの願いが叶えられないのを知っているようだった。もしかして、バクティに願いを叶えさせるなにかの方法を、知っていたからじゃないかしら」
ダマヤンは考えてみた。そして次のことに思い至った。
「そうだ、あのアレックスという人が、私にディルムンの遺跡の話を知らないかと尋ねたの。私の遠い祖先の故郷の話を、と」
「そこに行けば、バクティが願いを叶えてくれるってこと?」
「わからないけど…」
もとより結論が出る話題ではなかった。ふたりがそれに気づいたとき、カルナはダマヤンの顔を眺めると、次のことを言った。
「おいら、前はバクティに願いを叶えてもらおうって思ってたけど、ダマヤンに会って、バクティに会って、なんだかもうどっちでもよくなっちゃった。バクティと一緒に空を飛んで、お乳をもらって、おいらもう満足だよ。あとはダマヤンとずっと一緒にいられれば、いいや」
と。これを聞いたダマヤンはかっと顔をほてらせて、
「えっ」
と言って恥じらいのためにカルナから顔をそむけて空を見た。しかしすぐに、
(カルナは自分の気持ちを偽らないんだわ。それにひきかえ私ったら、なんて臆病でずるいんだろう)
と思い直して、カルナを見つめて、
「私もよ、カルナ」
と言った。するとふたりの心の間に隔てるものがなくなって、タパスは眼と眼を通じてひとつに交わった。ふたりは互いに相手のタパスの熱の心地良さにうっとりと見つめ合うばかりだった。ふたりの、ことにカルナの精神がもう少し成熟していれば、それからふたりの、ことにダマヤンの置かれた立場がもう少し違っていれば、口づけのひとつもしたことだろう。しかしいまふたりの心には、ひとつの重石が置かれていた。
「いまごろ、あのアルビオン人たちやカリンガの人たちが、私たちを探しているんでしょうね」
ダマヤンがせつなそうに言った。
「うん、あのマタジーはすごいヨーギニーだったから、シッディでおいらたちのタパスの熱を見つけるかもしれない」
「そんなことができるの?」
「うん、ダスージーなんか、ときどきずっと遠くにいるマヌージーのタパスの熱を見つけて、話をしてたんだって」
「そう…」
そんな話を聞いては、ダマヤンは次のように考えるほかなかった。
(この石を持っているかぎり、私はずっと誰かに追いかけられるんだわ。いっそこの湖の底に捨ててしまおうかしら)
ダマヤンはいまはもうカルナに心を開け放っていたので、カルナにはダマヤンのこの心の声が聞こえた。そこで次のことを言った。
「ダマヤン、ここにバクティの牛黄を捨てても、あのマタジーはともかく、あの蛇みたいなやつにもし見つけられたら、きっとみんながつらい思いをすることになるよ。やばくね?」
と。ダマヤンははっとして、
「そうね。でも、どうしたらいいのかしら」
と尋ねた。そこでカルナは少し考えて、ひとつのことをひらめき、笑顔で顔を輝かせた。
「そうだ、おいらたちがバクティにお願いして、もう誰もバクティにお願いを叶えてもらいたいなんて考えなくなるようにしてもらえばいいんだ!」
「あ、そっか!」
ダマヤンはぱっと顔を明るくした。
「よーし、じゃあ明日からダマヤンの遠い故郷を探しに行こう! そこでバクティにお願いしよう!」
「うん! うん!」
「わーい!」
「わーい!」
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu