如意牛バクティ
「ちょっと血が着いてるけど、これでよかったら…」
とカルナに布を手渡した。銃弾を受けたときに流れたダマヤンの紅い血が、ところどころに染みていた。
「ダマヤン、ありがとう!」
カルナは喜んでダマヤンから血染めの布を受け取り、腰に巻いた。血染めの白いワンピース、血染めの白い腰巻。カルナとダマヤンは同じ布をまとっていた。ふたりは互いの姿を見つめあった。
「ぎっひっひ」
カルナにいずこからか知れぬところから笑いがこみ上げてきた。つられるようにダマヤンもぷっと吹き出してしまい、やがてふたりは花々の野にはいつくばり身もだえして笑った。
「あはは、いひひ!」
ふたりの笑い声が、静かな丘の湖岸に響き渡った。鳥や鹿たちがうらやむようにふたりを眺めていた。風がわたり、菩提樹の枝葉が、ふたりに安らぎをささやいた。
「ンモー」
という声が響いた。どのように考えても牛の鳴き声である。ふたりがバクティのほうを振り向くと、バクティがこちらを眺めている。バクティの喉が動くのが見えた。食んでいた草を飲み込んだのだろう。
「どうしたのかしら」
ダマヤンがいぶかしむと、バクティは初めゆっくり歩を進め、次に後ろ足を蹴って飛翔した。
「あっ」
とダマヤンが驚くと、バクティは宙を舞うようにしてダマヤンに近づき、紅い光をほとばしらせながら、ギュウウッ! という音とともに彼女の胸元の牛黄に飛び込んでしまった! あとに残されたのは、水しぶきのような七色の光の粒がきらきらという音を立てながらゆっくり地表に降っていくさまであった。
「バクティ、帰っちゃった…」
カルナが目を見開いて言った。
「うん…バクティは私を守ってくれてるの。きっと、私がもう大丈夫だって思ったのよ」
ダマヤンはそう言うとカルナを見つめた。
「カルナがいてくれるから。私、もう苦しくない。悲しくない。カルナ、助けてくれてありがとう」
ダマヤンにまっすぐ見つめられてそう言われると、カルナは心をくすぐられたような感じになって、身をよじらせた。
「えへへ…おいらただ…へへ」
などとひとしきり照れてみせると、もう一度辺りを見回した。ちょうどアクシクジカの群れが小川を渡って、なにを欲したものか、こちらへ近づいてくるところだった。菩提樹にとまっていた鳥たちが羽ばたいて、上昇気流を探して旋回しはじめた。太陽はますます盛んに燃えさかり、紅炎を吹き上げる。散乱光に向かって植物たちが背伸びをするたびに、微細な大きさであるが、ぐいぐいと伸び上がるのを、カルナは眺めていた。
カルナに音が聴こえてきた。小川のせせらぎ、鳥たちの声、枝葉のこすれる音、風の歌。植物たちがいっせいに背伸びをするときに発せられ、空に飛んでいく、ドン、というような、空気を叩くような音。初め乱雑に小さく聴こえるだけだったこれらの音が、カルナが辺りをよく観察していると、やがて旋律を奏で、拍をとって、時間とともに進む、音楽となって聴こえてきた。自分がこの音楽のただなかにいることに気づいた。
「ね、ダマヤン、聴こえる?」
カルナはダマヤンの手に触れて言った。タパスをそそいだ。そこでダマヤンは耳を澄ました。辺りをよく観察した。初めは小さく、だんだん強く、その音楽は聞こえてきた。ダマヤンはカルナの手を握りしめた。
「聴こえる! ここは音楽でいっぱい!」
ダマヤンがカルナを振り向き、ふたりが見つめあったとき、アクシスジカたちがやってきて、植物たちが打ち鳴らす拍に合わせて踊るように走った。そこでカルナはダマヤンの手を離し、
「ダマヤン、走ろっ!」
と駆け出した。
「うん!」
とダマヤンもすぐさま駆け出して、ふたりは並んで花々の野を駆け抜けては、見つめ合って笑みを辺りに降りまいた。ふたりは自然の奏でる素晴らしい音楽に包まれていたので、旋律や拍に合わせて手や腰を舞わしたり、手を取り合って旋回したり、飛び跳ねたりして、心のままに喜びを踊り、また自由を歌った! これこそまさにバラタの神話に歌う、
鳥が籠から飛び出すとき
牛がくびきを解かれたとき
樹木が雲の覆いを払ったとき
ふたつの清らかで力強いタパスが出会うとき
最高の音楽と踊りと歌とが
あまねく自然に行き渡る
といったところ。鹿や鳥たちもふたりを取り巻き調子を合わせるように舞い飛んでいた。
菩提樹の大樹が伸び上がるたびに空に向かって放たれるドンッという太鼓のような拍子を聴いたカルナは、
「よーし、おいらも!」
と言うと、足を踏ん張り、タパスの熱をふたつの拳に込め、植物たちの拍に合わせて、空に向かってぐんっとまっすぐに突き出した。
ドオンッ! ドオンッ! ドオンッ! ドオンッ!
カルナが両拳を突き上げるたびに、大砲の弾か花火かが爆裂するような音とともに、カルナを中心に円形に衝撃波が発せられ、ぶつかる大気や樹木の枝葉をきらきらと輝かせながら、地平線と空とへ広がっていった。
このありさまを見てダマヤンは驚き、
「すごいわ、カルナ! あなたのタパスをわけてもらってみんなが喜んでる!」
と感歎すると、カルナはダマヤンの片手をとって言うには、
「ダマヤンのタパスもみんなにわけてあげようよ」
「うん! でもどうすればいいの? 私ヨーガなんてわからないわ」
「おいらの真似をすればいいんだよ。あとはみんなの音をよく聴いて、それに合わせればいいんだ。おいらが力を貸してあげるからできるよ。行くよ!」
ダマヤンは辺りを見回し、その音楽を聴いた。これに賛同しないで、いったいなにに賛同するのかと思われた。それで、
「はい!」
とカルナが言ったとき、ダマヤンはカルナと一緒に拳を握って、その想いを込めて空に突き上げた。
ドオンッ!
と巨大な太鼓を巨人が叩いたかのような音がこだまして、ふたりの四つの拳から衝撃波が飛び出し、八方を円形に駆け抜けていった。衝撃波がぶつかったところから、カルナひとりだけのときよりも眩しく色とりどりの光が瞬き、辺り一面の地表からは、樹木の芽がぴょんぴょんと飛び出した!
「ええ!?」
ダマヤンが驚いていると、
「ダマヤンのタパスはやっぱりすごいや! よーし、もっと行くよ!」
とカルナが言うので、ダマヤンはカルナと一緒に次々と拳を空に突き上げた。
ドオンッ! ドオンッ! ドオンッ! ドオンッ!
衝撃波が放たれるたびに、樹木の芽が空をめがけてぐんぐん伸び上がっていく。その多くがマンゴーの木で、衝撃波を受けるたびに枝葉を伸ばし、花を開き、最後には鮮烈な黄色い実をつけた。実のなっていなかった西の森のマンゴー樹もまた、次々と大きな実をつけていった。
ふたりには、すべての衝撃波が次々と、太陽よりも遠くまで、果てしなく飛んでいくのが見えた。
「わーい! わーい!」
ふたりは声を合わせて歓喜して抱き合い、それからもいつまでも歌ったり踊ったり笑ったりしていた。なんとも驚いた祝祭があったものである!
如意牛バクティ 第十六回 カルナとダマヤン、タパスをひとつに交わらすのこと
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu