如意牛バクティ
「教えてやろう、愚かなヨーギン、ヨーギニーども。諸君が賛美するヨーガは、確かにディルムンの昔から続くバラタスタンの古い技術だ。だがヨーガなどというものは、どんな願いも叶える如意牛の吐息ほどの力でしかないのではないかな? さて如意牛を作ったのは誰か? 神などという与太者が存在しない以上、ディルムンびとが作ったに決まっていよう! 人が作った以上、それは機械だ、科学だ! そうだ、きさまらが呪う我らの科学を最初に発見したのは、きさまらの祖先であるディルムンなのだ! 一生苦しい修行をしてようやく枯れ葉に火を着ける力を得るに過ぎないヨーガを捨て、誰にもどんなことも瞬時に成し遂げられる如意牛という機械を、科学の力で生み出したのは、諸君の祖先なのだよ。そう、きさまらがすがるヨーガを、タパスとかいう人の力を捨てることで生み出された如意牛を、きさまらはヨーガで、人の力の神秘とやらで追い求めているのだ。愚か、愚か! じつに三千年に渡ってな!」
アレックスのこの言葉はもろもろの人々にとって少なからぬ衝撃を与えた。ヨーガの修行を完成させたときに出会えるといわれてきた如意牛バクティが、蒸気機関車やガス灯と同じだというのだから。もっとも、アレックスのこの言葉に証拠はないのだが、不思議な真実味がみなぎっていたのはなぜだろうか。
(ふん)
チャビリーは息を吐いた。
(もとよりヨーガを極めることで会えるなどとは信じていないよ、アレックス・カニンガム。だから私も)
ダマヤンを眺めた。
(この娘を探していたのだ)
ダマヤンの胸元の、紅く丸い石、如意牛の牛黄を眺めた。
そのときアレックスがふいに指を弾いた。アレックスの周囲の兵がエンフィールド銃を構えた。
「愚者どもよ、科学の力の前に人の力など無力と知れ、このようにな!」
アレックスはそう言うやピストルを抜き打ちにし、兵士たちも立て続けに発砲した。バババババンッという音が轟いた。すべての弾丸はチャビリー目掛けて飛んでいった。チャビリーは眼を見開き髪を逆立て稲妻のように身を翻して数発の弾丸を交わしていくと、右手を振りかざし、
(見るがいい、アルビオンども。これがバラタスタンの英知だ!)
と念じてひとつの弾丸に向かって振り下げた。バチンッ! という音がして、弾丸は右方に弾かれた。
ダマヤンは弾丸が自分の胸元に向かって一直線に飛んでくるのを見ていた。もっとも、それはほんとうにひと刹那のことで、すぐに記憶から去ってしまった。ダマヤンが胸元の痛みを感じるのと、紅い光が辺りに飛散していくのを見たのは、ほとんど同時だった。ダマヤンにはその光が自分の血に違いないと思えた。実際にはダマヤンの血は辺りに噴き出すことはなく彼女の足元の砂にぽたぽた滴っていたのだが。
「カ…ルナ!」
ダマヤンが叫ぶより早くカルナは駆け出した。
「ダマヤン!」
カルナは泣き叫んで駆けたが、ダマヤンの胸元、バクティの牛黄から発した猛烈な光がジュオンジュオンというような音とともに風のように吹きつけて、やがて吹き飛ばされた。
もろもろの人々は見た。崩れ落ちるダマヤンの胸元から、紅い光に包まれて、ドリュッ! というような音とともに青黒い牛が飛び出してくるのを!
牛は空中をひと躍りし、低い声で一声いななくと、ダマヤンの傍らにふわりと降り立った。取り巻きの諸人があっと驚きその牛を見る。角はないから牝牛である。乳房も丸く膨らんでいる。大きさは普通の牛と変わりはない。しかしまつげはきらめき、瞳は星のように輝いていて、体中からオーロラのようにたなびく色とりどりの光を放っている。開いた口がふさがらない者、祈る者、逃げ出す者、さまざまであった。
「これが、如意牛…」
マヌーがつぶやけば、
「本当にいたのか…」
とウパティッサが歎ずる。
「そうか、あの娘を…」
アレックスは舌打ちして心のうちに思った。
(なぜ気づかなかったのか。如意牛はあの娘を守っていたのだ)
と。カルナはといえば如意牛の目の前で、その色とりどりの光をまとう横顔を眺めていた。
(バクティ…だ!)
声にはならない。一瞬の恍惚のあと、カルナの心に次の思いが浮かんだ。
(願いを言おう! ダマヤンを治してもらおう!)
と。しかしそのときチャビリーが駆け出だし、バクティの前に立つと、次のことを呼ばわった。
「如意牛バクティ! 我はカリンガ王チャビリーである。我の願いを叶えよ! 盗賊アルビオンどもをバラタスタンから追い出し、征服者バルラスウルスよりバラタの王位を我に譲らせよ! 我は法によってバラタびとを安らげるであろう!」
と。バクティはチャビリーに一瞥を与えたが、横たわるダマヤンに向き直ると、足を運んで彼女に近づき、乳房をダマヤンの口に含ませた。
「あ、あ!」
カルナは見ていた。ダマヤンの喉が動くのを。
(バクティのお乳を飲んだ!)
カルナが眼を見張っていると、バクティは眼を動かして、カルナを見た。
「え? なになに?」
カルナは尋ねるように首をかしげたのだが、バクティはうんともすんとも言わない--間違いなく人ではなく牛であった!--ただカルナをその輝く瞳で見つめていた。
カルナははっとした。
(そうだ、ここから逃げないと!)
と思い至った。チャビリー、アルビオン人たち、いずれもダマヤンを捕らえようとしていることはカルナにもわかっていた。
(おいらがダマヤンを守らないと!)
カルナはそう心に思うと、すかさずダマヤンを抱き上げて立ち上がり、
「ちょう!」
と声を上げてバクティの背に飛び乗った。カルナがダマヤンを抱えてバクティの青黒い毛にしがみつき、
「いいよ、バクティ!」
と言うと、はたして如意牛バクティ前足をひと踊りさせて宙に飛び上がると、虹のような光の帯を作りながら空に飛び去っていってしまった。
空を駆けるバクティの背で、カルナの腕の中で、ダマヤンは意識を取り戻した。カルナに抱かれているのに気づいた。
「カルナ!」
自分の腕でカルナに抱きついた。カルナはにっこり笑った。
「ダマヤン、大丈夫なのけ?」
「うん、ぜんぜん痛くない。私、銃の弾が当たったのに」
胸に触ってみる。服に穴が開いているし白いワンピースに血のりもついているのだが、痛くもなんともない。
「あは、やっぱり!」
「どうして?」
「だってダマヤンはバクティのお乳を飲んだんだもん!」
バクティのお乳? なんのことだろう? と考えたところで、ダマヤンはいま自分が空を飛んでいることに気づいた。眼下を山脈が走っている。
「カルナ、ここどこ?」
「バクティの上だよ!」
ダマヤンは後ろを振り向いた。ちょうどこちらを振り向いた青黒い牛のきらめくまつげと瞳がそこにあった。ダマヤンはあふれ出る涙とともに信じた。いまようやく自分に安らぎが訪れたことを。
如意牛バクティ 第十四回 アンギラーサ・マヌー、チャビリーに最後の教えを説きカルナ如意牛バクティの乳を飲むのこと
さて声高らかに願いを告げたにも関わらずバクティに飛び去られてしまったチャビリーは、自分の願いが叶えられなかったことに気づいていた。
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu