如意牛バクティ
ふふ、とチャビリーは笑った。幼い頃、チャビリーは城を抜け出して、ひとり雪山に向かったことがあった。聖仙タタガット・ダスーに一目会い、できるならば弟子にしてもらおうと思ってのことだった。この試みはすぐさまお付きの守人たちによって阻止されたけれども。チャビリーはそのときのことを思い出したのだ。
チャビリーはカルナに向き直り、きっとにらんだ。これにカルナもにらみかえした。そこでチャビリー、
「そういうことなら、手加減はいらぬということだな」
と言うや、地を蹴って飛びカルナに襲いかかった。カルナももまた飛び、チャビリーの肘とカルナの肩とが激突すると、ドンッという激しい音がして衝撃波が辺りに飛び出し砂を舞わせた。互いに譲らない。次にふたりは両手を組み合わせた。チャビリーとカルナはにらみあうと、
「うおおおおっ!」
と声を合わせるようにして互いに激しく力を込めた。取り巻く諸人が見ていると、ふたりの髪が逆立ち、体が白い光を放って、その光が揺れ動いてグオングオンというような音を発した。砂がその光に吸い寄せられるように宙に浮かび上がっては、ドンッ! ドンッ! とふたりを中心に円形に断続的に発せられる衝撃波によって飛び散っていった。大地が激しく揺れ、ゴゴゴゴゴッというような地鳴りの音が轟いた。じつに神話に描かれた神々の戦いとはこのようなものかと思われた。そこで彼らは次のように嘆じた。
「人は自らの決意と努力とでこれほどのことを成し遂げることができるのか。我ら世の常の者どもはもろもろの理由をつけてはなんと自らの力に蓋をかぶせていることか」
と。
(こんな少年がいたものか!)
チャビリーは驚倒の思いを隠せなかった。カルナにしても同じであって次のように嘆じた。
(こりゃあウパティッサジーより強いぞ!)
と。カルナとチャビリー互いにタパスを激烈に燃やして組み合うことしばし、優劣がつかない。マヌーやウパティッサやチャビリーガールズ、取り巻く諸人とがこの勝負の行方いかにと息をのむと、業を煮やしたチャビリーは「せいっ!」と一声、柔術によって腕をひねりカルナを投げ飛ばした。
チャビリーは肩で息をして横転したカルナを眺めた。
(私を退かせるとは、どういう怪童だ!)
と驚きを静めることができないでいた。カルナはといえばぱっと起き上がり、「えーい!」などと呼ばわりながらチャビリーに向かって駆け出した。息を乱してもいない。さしものチャビリーもカルナの底知れぬタパスの熱を前にけおされた。そこでカルナを危ぶむように眺めているダマヤンをちらりと見ると、次のように考えた。
(遊んでいる場合ではなかったな。もうよい、この場で如意牛にお出まし願おう)
と。チャビリーが腰のピストルに手をやりカルナがチャビリーに飛びかかろうとしたそのとき、カラカラと笑い声がこだました。
如意牛バクティ 第十三回 アレックス・カニンガム卿ヨーガをあざけりダマヤン如意牛バクティを呼ぶのこと
もろもろの人々が笑い声がする方--それは火を噴く飛行船マツラ号の辺り--を見ると、にび色のジャケットとズボンの男を中心に、東バラタ会社軍のカーキ色の軍服を着た男たちがライフル銃を脇に立っている--一部の兵たちはガンゴ河の水をバケツリレーして船の火を消すのに大わらわだった--いわんやアルビオンからやってきたアレックス・カニンガム卿とその一味だ。古今にいう悪漢の運の強さというものは本当にあるのかもしれない。アレックスは大破したゴンドラにいたというのに負傷した様子もなかった。すばやく船体に逃げたのだろう。
アレックスはかん高い笑いをやめると、次のことを言った。
「これはこれは、ヨーギン、ヨーギニーの方々。孔雀王以来の伝統のタパス祭りを我らアルビオンも見せていただけるとは、光栄なことだ。ヨーガによってタパスを燃やし、シッディを成す…か。実に滑稽な見世物ではあるな。ハッハッハ!」
アレックスは侮蔑もあらわに笑ったので、チャビリーは大いに怒るともろもろの人々に先んじて次のように言った。
「機械の心臓と足とで走り自らの足で野を駆けることも忘れたきさまらが、ヨーガをあざけるか。ヨーガはバラタスタンに太古から受け継がれた、人が自らの力を自らの決意と努力とで引き出すための英知である。人をネジや歯車の如くみなすきさまらに、タパスのまばゆい光が見えるものか」
と。東バラタ会社は数年前からバラタスタン平原を横断する鉄道線路を建設中である。蒸気機関車、蒸気船、さらには飛行船。ミシンに電信。チャビリーはアルビオンの機械文明とヨーガとを対比させたわけだ。
ところがアレックスはくすくすと笑い出した。
「太古の英知…か。ふふ…諸君の自らの国の歴史への無知と無関心にはつくづくあきれるよ。おとぎ話のような神話を受け継ぐことで満足し、考古学的な調査というものをしようとも思わぬのだからな。なんと牛さながらに従順な愚鈍な人種ではないか。ディルムンびとの飼っていたどんな願いも叶える如意牛と聞けば、神が作って人に与えたもうたなどと、信じて疑わぬのだからな」
アレックスはそう言うとダマヤンを見た。憎々しげにこちらを見ているが、怪我をした様子もない。バクティの牛黄がダマヤンの胸元に置かれているのはとうに確かめていた。
(そうでなくては。ディルムンの王統がそう簡単に絶えてもらっては困る)
次にアレックスは傍らに裸形の青黒い肌の少年が立っているのを見た。
(しかしこの子供は何者だ? チャビリーと互角に渡り合うとは、恐ろしいヨーギンだが、見たことも聞いたこともない)
チャビリーとカルナの激しい戦いをアレックスも見ていたのだろう。カルナの得体の知れぬ力を密かに恐れた。
チャビリーはアレックスの言ったことを考えていた。チャビリーは幼い頃を除けば、人格的であろうとなかろうと神などというものは信じてなどいない。しかし如意牛の実在を信じている。おのれのタパスがそう告げる。だがそもそも如意牛とはなんなのか? 神が作ったのでなければ、誰が作ったのか?
(私としたことが、考えたこともなかった。私もまた迷妄に囚われていたということか)
チャビリーは自らを笑った。そこでアレックスに話を続けさせようと考えて、次のように言った。
「それで、きさまの調査ではどうなのだ、アレックス・カニンガム。ディルムンの飼い牛とはそもそもなにか」
アレックスは悦に浸るようだった。アルビオン人に特有の、自分の知識を未開な人々に教えることへの欲望にとりつかれているのだろうか。
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu