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如意牛バクティ

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 「そうか、タパス祭りか。おもしろい、我らのタパスも諸人に見せてやろう」
 そう言うと背後のチャビリーガールズたちを振り向いて、次のように言った。
 「このマツラをガンゴに落とすぞ! 群集の上には落とすな!」
 マツラとはバラタスタンの神話に出てくる巨大魚で、大河で暴れ大洪水を引き起こしてディルムンを滅ぼしたのち海へ去ったという。この魚の怪物のような飛行船を呼ぶにはこの名しかないだろう。じつのところ、この船を設計したアレックス・カニンガム自身が、そう名づけていたのだ。
 チャビリーが飛行船に向き直ると、バンッという音とともに弾丸が頬をかすめた。頬から血が空に飛び散っていく。チャビリーが弾の飛んできたところ--飛行船の上部、背びれに当たる場所にある見張台--を見ると、にび色のジャケットを着たひとりの男がピストルを向けて鋭い眼光でこちらを睨んでいた。これこそ謎の冷酷無比なる考古学者アレックス・カニンガム卿だ。
 「そこか、ヴリトラめ」
 ヴリトラとは神話で神々にあだなす悪竜(蛇)の名だが、なるほどアレックスには向いたあだ名である。
 チャビリーは手綱を引くと馬を舞わして弾丸をすり抜け、見張台めがけて駆け出だした。
 「陛下!」
 とチャビリーガールズたちが危ぶんだそのときには、もう馬ごと見張台に飛び降りていた。チャビリーとアレックスはしばしにらみ合った。アレックスの左右の東バラタ軍兵がエンフィールド銃を向けようとするのを、アレックスは無言で腕で静止した。そこでチャビリーはにやりと笑って、次のように言った。
 「ディルムンの調査もだいぶ進んだようだな、アレックス・カニンガム。バクティの牛黄のありかまで突き止めるとは、さすがアルビオン一の考古学者だ--いや、アルビオン一の、野心家、だったな」
 チャビリーは声をあげて笑った。アレックスも薄笑いを浮かべた。
 「お変わりありませんな、チャビリー姫。いや、カリンガ王になられたのでしたな、陛下。なに、これも以前亡きお父上からいただいた古地図のおかげですよ。テミルでディルムンの末裔の痕跡を発見できたのです」
 「抜け抜けと」
 チャビリーはきっと目を吊り上げた。
 「我が国庫から古地図を盗みだし、さらにバラタスタンから如意牛をも盗もうというのなら、きさまの命は私がもらおう。もっとも、いまここでバクティの牛黄を差し出すのなら、話は別だがな」
 今度はアレックスが声を上げて笑った。
 「陛下、親衛隊のご婦人たちに諜報させたのなら、ご存知でしょう? バクティの牛黄を持っているのは私ではありません」
 「わかっている。ゴンドラにいる少女だな? あの少女にも用がある。少女ごと差し出すがよい」
 「しかし陛下、あの少女はディルムンの王族の末裔。気位が高いばかりか意思の強さは鉄のようなのです。無理やり連れてこようものなら、舌を噛み切りかねません」
 「ほう」
 チャビリーは興味をそそられた。そのような強い意思を持つディルムンの王族の末裔とは、どのような娘なのか。
 「それに」
 アレックスは首を横に一振りした。
 「陛下には渡しません」
 と言うが早いか、ピストルを抜き打ちにした。首を振るのが合図だったのか、左右の兵もすばやくエンフィールド銃を発砲した。落下する飛行船の見張台のこと、硝煙はすぐに飛ばされて、左手で小太刀を抜いたチャビリーの姿があった。驚いた手並みである。小太刀で弾丸を防いだものらしい。
 「ち、引くぞ」
 アレックスはそう言って床の階段に滑り込んだ。左右の兵士もそれに続いた。チャビリーが追おうとすると、床の戸がバタンと閉まって、次には見張台全体がぐらぐらと揺れはじめた。
 「切り離せるのか、ええい」
 チャビリーが馬を駆け上がらせて見張台から飛び出すと、船体から見張台が外れて宙に舞い飛んでいった。チャビリーは飛行船の右舷、三人のチャビリーガールズがいる方へと馬を飛ばした。飛行船の側面の銃眼から弾丸の雨が降ってきた。
 「撃て! 一気に落してしまえ!」
 チャビリーが苛立ちながら号令すると、チャビリーガールズのひとりが、
 「陛下、このまま落とせば少女も死にますわ!」
 と叫んだ。もっともな意見である。
 「それでよいのだ」
 チャビリーはほくそ笑んだ。
 (ディルムンの王族が如意牛の牛黄を持つなら、それは血を守るために違いない。死ぬような目にあったときこそ…)
 チャビリーの眼下に地表は間近に迫っていた。

 タパス祭りの会場では人々がさまざまにわめいて右往左往と逃げ惑っていた。それもそのはず、魚の怪物と空飛ぶ騎兵とが戦いながら天から降ってきたのだから。
 ウパティッサはマヌーに語りかけた。
 「あれは東バラタ会社軍の飛行船でしょう。ヘリウムというガスの力で浮き、プロペラを蒸気機関で動かして推力となし飛ぶのです」
 「ほほ、たいしたもんじゃの」
 マヌーは率直に感心してみせた。アルビオン人の技術力と、ウパティッサの博識の両方について。
 「しかし、あのヴァーユ・シッディ(空を飛ぶシッディのこと。風神力)の使い手たちはいったい…」
 「カリンガの者たちじゃよ」
 ウパティッサの疑問にマヌーが答えた。
 「ご存知で?」
 「知っとるとも。かつてわしの弟子だった者どもじゃからな」
 「アンギラーサジーのご門弟?」
 ウパティッサは頭上に目を戻した。そういうことならばこの見事なヴァーユ・シッディもさもあろうといったところだ。しかし、そのカリンガの者どもがなぜこの船を襲っているのかについては、皆目わからなかった。
 「マヌージー」
 カルナがマヌーの腰に寄り添ってきた。マヌーは頭をなでてやった。
 「どうした、カルナや」
 「あの魚に、バクティの牛黄を持った女の子が乗ってるよ」
 カルナは言った。とにかくこのことをマヌーに伝えなければと思ったらしい。
 「なんじゃと? おぬしなぜそれがわかる」
 「おいらさっき見たんだよ」
 「見たとな?」
 マヌーは考える。
 (あのぼけーっとしちょったときか。カルナのタパスと感応するとは、その女の子とは常の者ではないに違いない。バクティの牛黄を持っていたとしても不思議はないということか。しかしそんなものが本当にあるというのか)
 と。ウパティッサにしてもにわかには信じられなかった。
 「バクティの牛黄? 如意牛の胆石などというものが、本当に?」
 ウパティッサはマヌーに向かって尋ねた。
 「わしゃ知らぬよ。じゃがカルナが見たというなら、本当じゃろう」
 マヌーとしてもそのように思い直した。シッディで遠くのものを見るとき、目によってではなくタパスによって見るので、常にものの本質を見ることができる。そうして如意牛の胆石を見たのなら、それは本当にそれであるに違いない。
 飛行船は煙を上げながらガンゴ河の砂州のあたりをめがけて落下を続け、もはや地に激突しようとしていた。そのときカルナの心に次の言葉が浮かんだ。
 (おいらがあの子を助けなきゃ)
 そこでカルナは地を蹴って猛然と駆け出した。
 (どこだ?)
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu