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如意牛バクティ

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 驚いた少女がいたものである。怒りに燃えた眼でアレックスを睨みつけていた。アレックスはといえば、冷や汗が出るような思いがした。
 (ディルムンの血というわけか…さてどうしたものか)
 「ダマヤン・バーイー、無礼を許してくれ。つい興奮してしまったんだ」
 思案しながら、そう言った。
 (ひとまず下手に出ておくほかないな。油断させて薬を飲ませる手もある)
 そのように思いいたった。麻薬のようなものを飲ませて自白させようという考えらしい。しかしダマヤンに言われたことに基づいて、自らを省みることはしなかった。彼はそういう習慣を持たぬのだ。
 「ではディルムンの遺跡については何か知らないかね? 君たちの遠い祖先の故郷だ。それがどこにあるのか、何か言い伝えを聞かなかったかね?」
 一転してやわらかい口調で尋ねた。
 「知りません」
 ダマヤンはそう言うと、もううんざりしてきてアレックスに背を向け、ガラス窓から空を眺めた。ディルムンの遺跡、先祖の故郷云々などは本当に一切知らなかった。
 ダマヤンは雲の上で何かが動くのを見た。怪訝に思いよく見た。陽光に照らされたなにかの影だ。
 (あの子?)
 さきほどの夢のような景色に出てきた、あの太陽のような男の子が、自分を助けにきてくれたなら、どんなにいいだろうと思った。しかしやはり鳥なのだろうと思った。
 「ダマヤン・バーイー、強情を張るのもいいかげんにしたまえ。そうだ食事くらい、食べたらどうだね。アルビオンのパンが口に合わないなら、チャパティもあるから、もう一度持ってこさせよう」
 窓の外から目を離さないダマヤンの背中で、アレックスはそんなことを言った。ダマヤンは出された食事を一度拒絶したのだろう。
 (鳥じゃない)
 ダマヤンは雲の上の影を凝視した。馬のように見えた。人が騎乗して、ライフル銃を構えているように見える。それが縦に並んで、三つ、四つ…八つある!
 そのとき、プロペラの回転音を突き破って、バンッという爆発音がした。部屋全体が地震のように揺れた。するとダマヤンの頭上のほうで、空気が走る、ごうごうという音が鳴り始めた。次に、サイレンの音。部屋の戸が開いて、兵士が駆け込んできた。
 「敵襲です! 左舷四番気嚢が撃たれました!」
 「馬鹿な。空の上だぞ」
 アレックスがいぶかしむのも無理はなかった。東バラタ会社軍を攻撃するとすれば敵対する藩王国か山賊のたぐいだが、彼らに航空戦力などあろうはずもない。
 「チャビリーガールズだ!」
 その声は廊下の伝声管から聞こえた。見張台からのものであろう。
 アレックスはガラス窓に貼りつくようにして外を見た。騎馬の女武者たちが空を駆け、大口径のマスケット銃をこちらに向けているのが見えた。ひときわ目立つのは、菩提樹のティアラを頂き、威風凛々と風を切る、長躯の青黒い肌の女。これぞカリンガ女王チャビリーその人に相違ない。
 「カリンガのアマゾネスか。シッディで空を飛ぶとは、魔女どもめ」
 アレックスはジャケットの懐からピストルを取り出すと、
 「ダマヤン・バーイー、君は伏せていなさい。窓際に行ってはいけないよ。心配はいらない」
 と言って、部屋に鍵をかけて出て行った。部屋の外から、
 「なにをしている。砲門を開け!」
 というアレックスの声が聞こえた。飛行船の大砲で応戦するつもりらしい。
 ダマヤンの心は冷静だった。それというのも、次のようなことを考えていたからだ。
 (もし逃げる機会が来たなら、勇気を出して逃げきゃ。そう、この窓から飛び降りてでも)


如意牛バクティ 第十回 カルナ大いにタパスを燃やすのこと

 カルナはといえば、あの太陽を体の中に置いているような女の子が突然立ち消えてしまったことで、呆然としてしまっていた。
 (あれは誰だったんだろ? それにあの子が首からかけてたあの石って…)
 こんなありさまでカルナの心はあの女の子にすっかり奪われたままだった。
 これを見た観客席のマヌーは怪しんで、
 「こりゃカルナ! なにをぼけっとしちょるか!」
 と言った。それでカルナはようやく我に帰った。隣のウパティッサを見れば、自然とおのれとの関わりの隙間を見つめて揺るぐことがなく、タパスは青く燃えさかり、乾いた布は十枚を超えている。カルナはといえばまだ六枚目を背中に貼りつけている。その他の者たちはニ、三枚程度で問題にならなかった。
 「わ、いけないや」
 カルナは慌てて、
 (バクティ! おいらの力を見ておくれ!)
 と念じておのれの内なる炉に薪をくべ直した。たちまちカルナの背中から再び水蒸気が舞い上がった。カルナの背中から布が舞い落ちては僧侶が貼りつけるということが繰り返されて、カルナの周囲はすっかり水煙に覆われてしまった。カルナは瞬く間に布十枚を乾かして、ウパティッサを逆転した。そこで観衆はどっとわいて、さかんにカルナへの声援を送った。
 「残り六十アッチャ!」
 と僧侶が叫んだ。アッチャとは指を弾くという意味でそうする間の時間を指すから、一アッチャはだいたい一秒に相当する。残り時間約一分ということだ。
 このままいけばカルナの優勝は間違いなし、と諸人が確信したそのとき、カルナの周囲を覆っていた水煙が風とともに去り、どうしたことか首をかくんかくんと上下させるカルナの姿が現れた。うつらうつらと睡魔に襲われているように見えた。これを見たマヌー、
 (いかん、一気にタパスを燃やしすぎおったな)
 と危ぶむと、果たしてカルナは大あくびをひとつして、いまにもまぶたを閉じてしまいそうだった。どんなヨーギンにも眠りながらタパスを強く燃やすことはできない。タパスとは生命が活動する力に他ならないからだ。これでは背中の布が乾くはずもない。逆にウパティッサの背中から綿布が舞い、これでカルナと同点となった。
 そのときカルナのこのありさまにウパティッサが気づいた。彼は次のように考えた。
 (この雪山の息子の力がこの程度であろうはずがない。じつのところこの怪童はいまだ幼く、秘められた力を引き出すには多くの教えやきっかけを必要としているのだ。私は知っている。私のタパスの熱は彼に遠く及ばないが、彼に道を指し示すことならばできることを。では私は疑念や虚妄を振り払い、自らの傲慢さを打ち負かしてこの言葉を彼に伝えよう。じつにこれこそが自然と人々にとって最高の喜びなのだ)
 と。そこでウパティッサは次の言葉を言った。
 「どうした、カルナくん。君の力はそんなものかね? この無限の自然の中で、君のできることは、やはりそんなものなのかね? そんなことではバクティに会うどころか、人々の利己や憎悪を吹き飛ばすことすらできずに、君の力など誰のなんの役にも立つまいよ」
 カルナはこのウパティッサの言葉を聞くと、すなわち眠気が立ち消え、はっとして辺りを見回した。
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu