如意牛バクティ
マハー・ババが金貨から目を上げると、ダマヤンが持ってきた、カレーの入った椀が見えた。マハー・ババははっとして、
「だれか、その椀を、下げてくれ」
と、いまいましげに言った。
アレックスと兵士たちがアーシュラムの広場に出ると、騒動が起きていた。ダマヤンは怒りもあらわに叫んだり暴れたりしたので、アーシュラムの人たちが大人も子供も総出でダマヤンと兵士たちをとりまき罵声を浴びせ、兵たちはといえばマスケット銃を構えて円陣を組み威嚇していたのだ。
「ごみどもめ」
アレックスは侮蔑の言葉を吐くと、
「おい、何をしている。撃て。野良犬どもを追い散らせ」
と兵士たちに言った。そこで兵士たちはアーシュラムの人々の足元や頭上に向けて発砲した。アーシュラムの人々が怯えてたじろいだとき、
「よし、走れ!」
というアレックスの号令のもと、アレックスと兵士たちはなおも暴れるダマヤンを連れて駆け出した。アーシュラムの人々は追いかけて、
「ダマヤンちゃんを帰せ!」
「人さらい!」
などと怒鳴っては石やら太鼓のばちやら鍋やら手当たり次第に投げつけた--それらは兵士たちにしたたか打撲を負わせた--のだが、最後には煙幕弾を投げられてむせっているうちに、ダマヤンを乗せた魚型飛行船に飛び立たれてしまった。
ダマヤンは飛行船の一室に閉じ込められた。ダマヤンは泣いた。それは自分のこれからへの不安からではなかった。
(マハー・ババジーはどうして助けてくれなかったのかしら)
そのことが頭から離れなかった。
(きっとこの人たちに脅されて、どうしようもなかったんだわ)
そう結論づけるほかなかった。
それから、自分がまたひとりになってしまったことに気づいた。次に、その上に自由さえも奪われていることに気づくと、もはや涙が止まらなくなった。声を上げて泣いた。
そのとき、胸元で何かが光った。
「え?」
ダマヤンが胸元を見ると、紅い石--アレックスにバクティの牛黄と知らされたが--が、確かに、紅い光を放っていた。ダマヤンはその光の美しさにしばらく恍惚とした。光はゆっくりと消えていった。
ダマヤンの涙は止まっていた。悲しい気持ちは消え去っていた。ただダマヤンは次のようなことを考えるばかりだった。
(この石をこの人たちに渡してはいけない。とくに、あの人にだけは)
アレックスの、世の中のすべてを敵視するような、凍てつく眼の光について。
如意牛バクティ 第八回 カルナとダマヤン互いの太陽を見い出すのこと
さてその夜が明けて太陽の濁りのない光が天に地にと満ちると、パトナガルのガンゴ河岸に面した広場にはバラタスタン中から集まった人々が群がり、ヨーギンたちの燃えるタパスをひとめ見ようと待ち構えていた。タパス祭りがいま始まるのだ。
楽団のほら貝が吹かれ、銅鑼が鳴らされた。それは我々人間の存在を自然に向かって宣言するかのようだった。
カルナは楽団たちの奥、出場するヨーギン、ヨーギニーたち--若干の女性もいたのだ--の控える天幕の中にいた。
「あっ、いた」
カルナはウパティッサの姿を見つけると、駆け寄った。ウパティッサはカルナを見るとにっこり笑って合掌したので、カルナも親愛をこめた合掌を返した。
「ウパティッサジー、お元気ですか?」
カルナはマヌーに習った言葉で挨拶した。
「ああ、元気だとも。カルナくんはどうかな」
「おいらとっても元気だよ!」
カルナは邪気のかけらもなく笑った。それはウパティッサにも思わず笑顔を引き起こさせた。
(ふふ、違いない)
ウパティッサはカルナのタパスをそっと覗いてみて、この太陽の光を一身に集めて留めているような、この小さな体から大地という大地、星々という星々に向かってほとばしり出るのを待ち構えて踊っているような、まばゆいばかりの光を見ては、もはや驚くよりも歓喜したい気持ちになった。
「カルナくん、布乾の行をやったことはあるのかね」
ウパティッサは尋ねた。布乾の行とは水に濡らした綿などの布を体に張り、体温--すなわちタパスを燃やして発する熱--で乾かすというヨーガの行法である。タパス祭りではこうして乾かした布の枚数を競うのだ。
「ううん、やったことない。きのうマヌージーにやり方を教わったよ。でもおいら雪山でいつもタパスを燃やして体を暖めてたからね。それとおんなじだろ?」
カルナは自信ありげに言った。
「なるほどな」
ウパティッサは笑った。極寒の雪山で育ち、聖仙にタパスを燃やすすべを学んだこの少年にとって、この酷暑の地パトナガルで布切れを乾かすなど造作のないことだろうと納得した。
「アンギラーサ・マヌージーはどちらかな?」
ウパティッサが尋ねると、カルナはガンゴ河のほうを指差して、
「あっこだよ」
と言うのでウパティッサが見れば、観衆たちに混じってにこやかに笑って手を振るひとりの老遍歴行者があった。これぞかつて弱きを助け強きをくじいた伝説のヨーギン、アンギラーサ・マヌーに相違ない。
ウパティッサとカルナはマヌーに向かって合掌した。
「タタガット・ダスージーとアンギラーサ・マヌージー…ふたりの聖仙に教えを受けるとは、カルナくんは幸いだな」
ウパティッサは少しの嫉妬とともに言った。
「へっへー」
カルナは誇らしく思い、胸を張って笑った。
「だが私とて自然の力を知らぬではない。自分の力も信じている。負けぬぞ」
ウパティッサは右手を差し出して笑ったので、カルナはそれを両手で握った。
「おいらもだい」
カルナにとってウパティッサは初めての友だった。尊敬と親愛の思いが溢れてきて、ウパティッサの手を思い切り握り締めた。
そのうちタパス祭りを執行する係りの者たち--パトナガルの若い僧侶たち--が現れて、いくつもの大きな樽にガンゴ河の水を満たしたり、綿布を運んだりした。それからヨーギン、ヨーギニーたちが出身地と名前と門派とを呼ばれて、ひとりひとりガンゴ河岸の砂の上に座っていった。
「サーリー村、ウパティッサ! アスラダッタ派比丘!」
ウパティッサが呼ばれて歩み出ると、観衆のそこかしこで歓声が上がった。どうやらウパティッサの徳はバラタびとにはすでに知られた存在らしい。旅に出たおりなど行く先々で乞われれば講話したりシッディで人助けなどしているに違いない。
「えーっと…」
どうしたことか呼び出しの僧侶が口ごもってしまった。
「ゆき…雪山?…カルナ! ダスー門下! え…ダスージー!?」
「はーい!」
カルナがにこにこ笑いながら元気よく答えて駆け出すと、諸人の目はこの野性的で、愛くるしく、力に満ち溢れたひとりの少年に、釘付けになった。一瞬の沈黙と、ざわめき。
「ダスーって、タタガット・ダスージー?」
「この子が、タタガットジーの弟子?」
「すごい! タタガット・ダスージーは生きていた! 後継者を育てていたんだ!」
あとは大喝采だった。
「カルナ! カルナ!」
「かわいいー! こっち向いてー!」
作品名:如意牛バクティ 作家名:RamaneyyaAsu